思想遊戯(3)- 桜の章(Ⅲ) 和歌

一葉「次は、無常観と桜を結び付けた歌です。」
 彼女が語り出す。

 空蝉の
 世にもにたるか
 花ざくら
 さくと見しまに
 かつちりにけり
 [巻第二 春歌下 七三]

 空蝉(うつせみ)・・・って聞いたことがあるような・・・。
智樹「空蝉って、どういう意味でしたっけ?」
一葉「空蝉というのは、蝉の抜け殻という文字を当てることで、この世や現に生きている人は儚いということを表しています。」
智樹「蝉の抜け殻のように、世の中やそこに生きている人は儚いという意味ですね。」
 彼女は薄く微笑む。
一葉「そうです。その通りです。この歌は、桜は儚い世の中に似ていて、咲くかと思って見ている間に、もう片端から散ってしまったということを詠っているのです。」
智樹「桜がぱっと咲いて、あっという間に散っていくことを、無常な世の中に例えているのですね。」
一葉「はい。この桜の咲き散りと、世の中の無常を結び付ける感覚は、日本史を貫いて共有されていきます。世の中は儚いのですが、そう思うこと、つまり世の中は儚いと思うことそのものは、永くながく日本人の精神に刻まれてきたのです。」
 そう言って、彼女は厳粛な表情になる。僕は、素直に感動した。ああ、彼女は素晴らしい。
智樹「いや、ほんと、勉強になります。」
 僕の答えに、彼女は静かに薄く微笑む。
一葉「それでは、次の歌です。この歌は、百人一首にもあり、教科書にも載っていて有名です。」

 久方の
 ひかりのどけき
 春の日に
 しづ心なく
 花のちるらむ
 [巻第二 春歌下 八四]

 確かに聞いたことがある。その内容までは、それほど真剣に考えたことはなかったけれど。
智樹「確か、教科書に載っていて見たことがあるような気がします。」
一葉「日の光ものどかな春の日に、落ち着いた気持ちもなく、桜の花が散っているようだという歌です。」
智樹「しづこころって、沈んだ心のことで、だから落ち着かないって意味ですか?」
一葉「残念。しづこころは、静かな心のことです。」
智樹「なるほど。」
 そうか、静かな心で、落ち着いた心か。でも、そうなら不思議な感じもするな。
智樹「この作者は、桜が散っている様子を落ち着かないと考えているわけですよね。僕は、桜が春の日に散っていくのは、ある意味で落ち着いた風景の一つだと思うのですが・・・。」
 彼女は、ゆっくりとうなずいた。
一葉「そうですね。桜の花が散っていくのは、桜の観賞の一つの醍醐味だと言えるでしょう。ですが、桜が満開に咲いている光景も、やはり素晴らしいものです。桜が散っていくというのは、その満開の光景が失われることを意味しています。桜の満開は、一瞬の出来事です。桜を楽しみにしている人からすれば、散っていくのは、やはり惜しいという気持ちがあるのでしょう。それが、桜の観賞に相応しいのどかな春の日であれば、散るのが早いと思うのも無理のないことだと思います。その気持ちが、桜が落ち着かずに散っていくという感慨になったのではないでしょうか?」
 僕は彼女の説明をじっと聞いていた。確かにその通りだと思った。
智樹「そうだと思います。桜の散る風景というのは、見る人によって、落ち着いた風景と見えたり、落ち着かない風景と見えたりするのですね。なんか不思議ですね。」
 彼女は、ゆっくりとうなずいた。
一葉「はい。そこには、人の心が関係してきます。小野小町の歌に、人の心と花を重ねて詠ったものがあります。」
 そう言って彼女は、小野小町が詠った歌を奏でる。

 色見えで
 うつろふものは
 世の中の
 人の心の
 花にぞ有りける
 [巻第十五 恋歌五 七九七]

 世の中とか、人の心とか、花という単語が並んでいる。
智樹「どういう意味でしょうか?」
一葉「色には見えずに移り変わるものは、この世の中の人の心という花であったという歌です。」
 僕は、少し考える。
智樹「人の心が移ろうことを、花が姿を変えることに例えているということですか?」
一葉「というよりも、人の心は花であるということですね。」
 僕は、彼女の言うことが全部は分からなかったけれど、なんとなくは分かるような気がした。
智樹「人の心は、花・・・。」
一葉「小野小町の歌で、私が好きな歌に、こういう歌もあります。」
 上条さんが小野小町の歌を詠う。確か小野小町は、絶世の美女だと伝えられていたはずだ。絶世の美女が残した歌を、上条一葉という美女が詠う。その歌を聞く僕。今の僕は、とても素敵な場所に居るのだと思う。

 世の中は
 夢かうつつか
 うつつとも
 夢ともしらず
 有りてなければ
 [巻第十八 雑歌下 九四二]

 僕は、彼女の歌に耳を澄ませた。彼女は、優しく歌の解説をしてくれる。
一葉「この世の中は、夢なのか、それとも現実なのか。世の中が現実なのか夢なのか私には分からない。存在するようで、また存在しないのだから・・・。」
 彼女の語る言葉を聞きながら、僕は古(いにしえ)の呪文に思いを馳せたのだった。


※次稿「思想遊戯(4)- 桜の章(Ⅳ) 桜の樹の下には」はコチラ
※本連載の一覧はコチラをご覧ください。

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西部邁

木下元文

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投稿者プロフィール

1981年生。会社員。
立命館大学 情報システム学専攻(修士課程)卒業。
日本思想とか哲学とか好きです。ジャンルを問わず論じていきます。
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