『夢幻典』[拾式] 連環論
- 2017/1/24
- 思想, 歴史
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連環理が示された。
ここに示された。
しかし、これを鵜呑みにしてはならない。
究極の典拠は存在しない。
原理的に存在しない。
根拠の根拠は、底が抜けている。
だからこそ、根拠の根拠の前段階、つまり、ある根拠を選ぶしかない。
不十分なままで。
不完全なままで。
そのとき、常に別の可能性を考えておくべきだろう。
なぜなら、これは理を巡る言説であるが故に。
何ものも至上なものとしてはならない。
なぜなら、よく分からないのだから。
一なる神は、何者ぞ。
識らず。
言えず。
存在するとも識らず、存在しないとも識らず。
生とも言えず、死とも言えず。
その飛躍は許されない。
赦されるとも、許されない。
連環理が示されている。
今があり、前があり、後がある。
連環が巡り、循環する。
楔を打ち込むことは恣意的。
知り得ないことを語ることはない。
だから、この世界はそのまま終わる。
よく分からなかったということで終わる。
それは、おそらく確信に近く語られる結末の予感。
有の思想と無の思想、そして、空の思想。
世界そのものの根本である太極は、世界における無極でもあることが示された。
そして、それらが異なることで、言葉が可能となることも。
有我は無我であり、無我は有我である。
有我は無我ではなく、無我は有我ではない。
この空において、世界が、この世界として開かれている。
だから、無が別様に示されるだろう。
ここに無の意味が、言葉によって示されることによって、変わる。
有心と無心。
有心は無心ではなく、無心は有心ではない。
それゆえ、有心は無心であり、無心は有心である。
ここにおいて、言葉による自己の抹消が成され得る。
ゆえに、その抹消が、さらに深く抹消される。
その深い抹消も、二方向へと延びるだろう。
忘却と、沈黙と。
忘却は、忘却するが故の沈黙。
忘却のための忘却、それは、忘却による言葉。
沈黙は、沈黙することによる言葉。
沈黙のための沈黙、それは、沈黙による言葉。
言葉から離れているものを、言葉によって語る歪(いびつ)。
言葉から離れていることを、言葉によって示す歪(ひずみ)。
すべては移り変わる。
諸行無常。
ゆえに、遊べ、遊べ、遊べ。
時の歌を奏でる。
すべては時であると語り得るだろう。
そして、語り得ぬところで、すべてはこの時であることを奏でる。
我と汝が時を奏でる。
我の時と、汝の時が、一つだと思われる。
その飛躍をもって、我々が生きて、死ぬことの意味が生まれる。
すべては巡り廻る。
時の歌が奏でられる。
今に収束する。
今が収束する。
連環理が示される。
その陥穽も仄めかされている。
その続きを紡ごう。
世界を続けよう。
それは、きっと、物語を紡ぐということ。
これは、きっと、世界の終わりのさらに先の物語。
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