今回は、古代ギリシャの歴史家ポリュビオス(Polybius, B.C.204?~125?)と、共和政ローマ期の政治家であり哲学者でもあるキケロ(Marcus Tullius Cicero, BC106~BC43)の著作を参照していきます。
ポリュビオスによる制度の分類
ポリュビオスはギリシャのメガロポリスの貴族だったのですが、古代ローマとの戦いに敗北後、ローマに連行されました。著書である『歴史』は、ローマの歴史を中心に描かれています。『歴史』では、国の制度が次の六つに分類されています。
(1)王制
・被支配者からの自発的な同意を得て、良識によって運営される。
(2)優秀者支配制
・公正さと賢明さによって優れた人たちが選び出される。
(3)民主制
・伝統と習慣のある社会で、多数者の意見が優先される。
(4)独裁制
・支配者を選択する基準は力。
(5)寡頭制
・特権と威勢による権力。
(6)衆愚制
・暴力支配制とも呼ばれる。
ちなみに民主制で要求される伝統と慣習の具体的な内容は、神々を崇め、親を敬い、年長者を尊び、法に従うことだと語られています。
ポリュビオスの政体循環論
これらの国制に対し、有名な政体循環論が語られます。政体循環論は、上記の六つの国制に僭主制が加わって展開されます。
まず独裁制が、なんらの作為も経ず自然に成立すると考えられています。次に、ある種の作為と是正の結果として王制が誕生します。王制は、やがて自らと生まれを同じくする邪悪な僭主制に変質し、それが解体して優秀者支配制が生じます。それがいずれ寡頭制に堕落し、民衆が憤激して指導者たちの不正を追及し、民主制が誕生します。それが放縦に走り、法を侵犯するため衆愚制(暴力支配制)が出現し、一連の移行が完結します。そして、再び独裁制へと循環するというのです。
まとめると、次のような流れで政体が循環するというのです。
独裁制 → 王制 → 僭主制 → 優秀者支配制 → 寡頭制 → 民主制 → 衆愚制(暴力支配制) → 独裁制 → ・・・
しかし、この循環論は、受け入れられません。なぜなら、ある一つの国制は、他のどの国制にも移行することが可能だからです。もちろん、移行しやすさに差がある可能性はあります。ですが、移行が順番どおりに進むこととは限りません。それゆえ、ポリュビオスの政体循環論は間違っています。
ポリュビオスの混合政体論
ポリュビオスは最善の国制について、王制と優秀者支配制と民主制の三種の形態それぞれの特徴を組み合わせたものだと述べています。これは混合政体論と呼ばれる考え方です。
混合政体の理念はポリュビオスの発案ではなく、それ以前に長い思想史的伝統をもっていました。彼の時代には、混合制の思想は広く流布していたと推測されています。
混合政体では、三つの各部分の力が抑えあったり助けあったりして調和するため、いかなる状況にも適切に対処できるとされています。特に外部からの脅威に対しては、すべての市民が競い合って危機への対抗策を考案するため、大きく強い力を発揮すると考えられています。
さらに、それぞれの部分が膨れあがることなく、慢心に陥ることはないとされています。この考え方は、参考に値します。それぞれの国制による牽制と調和という考え方は、非常に有用だと考えられます。
ただし、それでも国家の堕落の可能性は指摘されています。ある国家が無敵の覇者となり絶頂に達すると、生活は贅沢に傾き、官憲への欲望が高まり、無名であることの不満も高まります。日常生活のなかに虚栄と奢侈がはびこり、民衆が怒りと激情によって自分勝手に振る舞うようになるというのです。そのとき、自由と民主という麗しい名称を獲得した衆愚制へと行き着くというのです。ここには、民衆に対する危機感が表明されています。このことも、基本的に正しいと思われます。
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