主流派経済学と「不都合な現実」

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 現実にあるものを無いと言ったり、黒を白と言い張る人は世間から疎まれる存在です。しかし、その人に権力がある場合は事情が異なります。例えば絶対権力を有する独裁者の言の前では、人々は理不尽さを感じつつも外面上服従しなければならないでしょう。実は経済学の世界にも、主流派経済学の権威を盾に無理を通す一群の経済学者がおります。彼等は人々の現実認識を巧妙な論理を使って歪めています。そうして出来上がった歪んだ経済観を払拭するためには、正確な経済知識が必要です。本日は啓蒙の意味も込めて、理論を見境なく現実に適用しようとする経済学者の愚行について二回に渡ってお話ししたいと思います。今回は専ら理念的な面を、次回は統計的な面を主題にいたします。単純なカラクリさえ見抜けば、「王様は裸である」と堂々と主張できるのです。

主流派経済学の景況感

 景気判断は、経済政策の立案に際しての前提条件です。しかし、前回の論考(【第2回】「ネオリベ経済学の正体」)において、現代の主流派経済学である「供給側の経済学」は、景気循環現象を無視していること、すなわち均衡の連続として経済過程を捉えていることを説明しました。
 無論、主流派の中心をなす「新しい古典派」の理論的ベースは「実物的景気循環論(RBC)」ですから、名前からして景気循環を考慮しているのではないかと思われがちですが、そうではありません。確かに、その論理では技術進歩率の変化といった実物的要因によって実質GDPの変動が生じます(RBCには貨幣が存在しませんので全て実質値)。しかし、その変動は合理的主体に全て読み取られているため、景気変動下にあっても主体的均衡は達成されているのです。すなわち、景気動向に関わりなく経済主体はいつも満足しているのです。
 付言すれば、

主流派経済学には非自発的失業も存在しません。職探しをしている人がいたとしても、彼等は自らの意志で自発的にそうしているのです。主体的均衡を達成するために、その方が得だから「職探し状態」を選択しているだけなのです。

 
 そうなると主流派経済学における景気循環の意味とは何なのでしょうか。答えは一つです。「別段、問題ない」ということです。実質GDPが増大しようが減少しようが、人々は常に満足した状態にあるからです。失業者を想定した場合も同じです。彼等は自発的に失業状態を選択しているため、失業は社会問題とはならないのです。無論、政府の失業対策などもっての外です。幸福を追求する彼等の自主的な行動を政府が妨げてはならないのです。そんなことをすれば個人の自由に対する干渉になってしまいます。
 このように主流派経済学において、景気対策は不要です。実質GDPを増大させ、景気を良くしても経済的厚生は高まりません。政府が介入すれば、かえって資源配分を歪め、パレート最適(効率性)状態から経済を乖離させてしまうのです。これが主流派経済学の景気に対する考え方です。経済が均衡を保ったまま循環していようが、一定の均衡状態に収束していようが、経済主体にとっては同じことなのです。
 

ベッドの長さに合わせて足を切る

 しかし、国民の経済生活に悪影響を及ぼす景気循環(変動)が存在することは紛れもない事実です。現実経済には不況に苦しむ人々がいるのです。所得減少に直面する人、事業に失敗する人、そして非自発的失業者がいるのです。主流派経済学者は、「景気対策など意味がない」と自らの理論に基づき救済を求める人々を突っぱねるのでしょうか。確かにそうする学者もおります。「経済は教場の黒板の中にある」と考える、いわゆる黒板経済学者達です。ある意味、学問的信念を曲げないという点では、彼等は筋が通っていると言えましょう。現実経済に口を挟まず、象牙の塔に籠って純粋理論の研鑽に没頭している限り彼等は社会にとって無害な存在なのです。
 主流派学者が皆そうした学問的矜持を保っていれば問題は生じないのですが、実際は現実経済を論じたがる学者が多数おります。しかし、彼等は現実経済に対して、一体、何を唱えるのでしょう。理論上、景気循環に対して言うべきことなど無いはずですから。

 現実経済に対する不見識を糊塗するために、彼等は次のように主張します。すなわち

「現実が間違っている」

と。

「現実が理論どおりにならないのは、人々が経済理論を知らないために間違った行動をとるからだ」

と強弁するのです。例えば、十数年も前から日本の財政破綻を唱え続けている著名な主流派財政学者の弁を借りれば、「日本が財政破綻しないのは国民が経済理論を知らないためだ」といった具合です。もしもその見解が正しいのなら、私としては今後とも国民が主流派経済学を学んでほしくないと願わざるにはいられません。

 「理論が正しく現実が間違っている」と考える経済学者は、理論と現実の関係を顧みないことを自ら表明しているようなものです。しかし、残念ながら多くの経済学者がそうした思考に陥っています。「専門知(専門家の知見)」と「世間知(国民の知識)」という言葉をよく使う学者がおりますが、これも同類です。専門知は経済理論の帰結に基づくものであるから、常に世間知より優れていると言いたいのでしょう。そして

「専門知に基づく政策は、国民には耳の痛いことであっても実行しなければならない

と続けるわけです。財政再建論者に多く見られるパターンです。
 しかし、さすがに、これは学者の思い上がりでしょう。所詮、専門知は現実を抽象化した理論から演繹された結論にすぎません。抽象化の程度を高めれば高めるほど、その理論は現実と全く隔絶した世界についてしか語ることができなくなるのです。経済社会を「市場システム」と捉える主流派経済学は、正にその陥穽に陥っているのです。この論理に立脚した専門知は、現実認識に関して世間知に遥かに劣ると言わざるを得ません。

 それでも理論にこだわり現実に目を背ける経済学者は、「理論肯定、現実否定」の立場を保持し続けるのです。これは「ベッドの長さ(理論)に合わせて足(現実)を切る」所業に他なりません。これでは体が幾つあっても足りませんが、彼等は「身長(現実)に合わせてベッド(理論)をつくる」という誰でもわかる世間知には思い至らないのです。

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西部邁

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  1. 1162

    2014-10-20

    主流派経済学と「不都合な現実」

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