主流派経済学と「不都合な現実」

不都合な現実と経済学の制度化

 理論の鋳型に現実を押し込めるために、主流派経済学者は如何なる手立てを用いているのでしょうか。その方法は彼等にとって「不都合な現実」を否定することです。具体的には、自らの論理で説明できない不況概念をこの世から消し去ることです。無いことにすればよいのです。例えば「現行賃金で働きたいにもかかわらず仕事がないので働けない状態」にある非自発的失業者に対して、

「あなたは非自発的失業者ではない。そんな概念は主流派経済学の教科書には載っていない。もっと経済学を学べばそのことはわかる」

と言うのです。同様に、不況で困っている人に対して、

「不況などは存在しない。あなたは勘違いをしている。現況は長期均衡からの一時的乖離にすぎず、不幸な人など理論的にいるはずがない

と諭すのです。
 確かに、非自発的失業や不況といった概念を教科書から抹消することは可能でしょう。実際、経済学のほとんどの教科書から非自発的失業という言葉は消えてしまいました。ロバート・ルーカスのような主流派の重鎮が「私の前で非自発的失業といった言葉を発するな」と脅せば、若手や後継の経済学者達はそれに従わざるを得ません。それが現代における「制度化された経済学」の必然的帰結なのです。

 経済学の制度化とは、社会において経済知識に対する一定の需要が存在し、経済学教育および研究プログラムが整備され、それに基づく職業としての経済研究が成り立ち、自動的に研究者が再生産され、そしてある程度の社会的地位が確保されるシステムが確立していることを意味します。経済学、経済研究、経済学者に対し社会が恒久的な居場所を与えたということです。
 最近では、その先にマネーゲームのための理屈を欲する金融業界が存在します。リスクマネーの流入のみを求める金融業界にとって、人々を一時的に扇動する理屈が必要なのです。その需要に応ずるために、経済理論とは似て非なる奇妙な経済的見解が氾濫しているのが現状でしょう。著名な経済学者がマスコミで株式評論をする時代になりました。経済学を濫用すれば利益が得られることに経済学者は気づいたのです。もちろん、当初は一部の心無い学者に限られましたが、昨今は燎原の火の如く多くの学者にその傾向が見られます。ビジネスと結びついた経済学は、「産業化された経済学」、もしくは「産業としての経済学」とも言えます。米国ほどではないにしろ日本も着実にその方向へ進んでいます。

 我が国における以前の徒弟制度的な研究者養成システムに関して言えば、事の善悪は別として、学問の多様性は現在よりも認められていたと思います。様々な考えを持つ碩学が多数存在していたからです。しかし、そうした学者が一線を退き、産業化された経済学の段階に至ると、皆が同一の教育プログラムに立脚するため研究方向が収斂する傾向となりました。
 もはや孤高の経済学者などは生き残れません。学問的情熱以前に経済的事情が立ち塞がるからです。研究者にとって、主流派思想に乗ることが就職のための早道なのです。制度としてそうなったのです。結果的に反主流なり異端の思想は姿を消してゆき、学問の画一化が進行することになります。それを以て、「効率化された高等教育の姿」だと誤認する文部科学省の役人もいるでしょうが、学術的観点からすれば最悪の事態です。学問は多様な思想の存在を前提に、それらの間での論争を通じて発展するものであり、間違っても一神教になってはならないのです。いわば阿修羅像のような多面性が必要なのです。

 現代経済学の文脈で言えば、ケインズ経済学およびその後継の諸学説や制度学派の思想が経済学界から姿を消しつつあります。ケインズに代わり現代の主流派になったのが供給側の経済学です(ケインズ経済学の没落をもたらしたアメリカ・ケインジアンの理論的失敗に関しては、別の機会に論じます)。新古典派経済学に現代的様相を施した主流派経済学は、まさしく経済学の制度化という時代の潮流に合致する理論構造を有しておりました。なによりそれは数学という共通言語で構築されていたからです。
 この共通言語を使用すれば、何時でも何処でも誰とでも経済学について語り合うことが出来ます。数学ですから当事者間での認識の相違は生じません。このことは教育プログラムを作成するにせよ、共同研究をするにせよ、大変なメリットです。さらに数学の理解度に基づいて学生や研究者の評価システムも容易につくることができます。結果として、数理が思慮に優先する時代が到来したのです。哲学をはじめとする人文科学研究ではこうはいきません。

 主流派経済学は均衡状態の説明を目的としたものであるために数学によって叙述可能なのです。均衡モデルは、数学モデルです。第一回の論考(連載【第1回】「経済社会学のすゝめ」)で論じたように、主流派経済学は数学の論理で説明できない経済現象を全て捨象しているため、数学という共通言語を使えるのです。しかし、ケインズ経済学の場合はそうはいきません。一例を挙げれば、不確実性です。景気動向や心理的状況によって各個人の将来予測は刻々と変化します。それがマクロ経済にフィードバックされ新たなうねりが生じるのです(全く逆の予測をする人が正規分布の形で社会に存在しているわけではないのです)。将来何が起こるかわからない状況を数式として表現することはできません。また現実経済では合理的期待仮説の想定のように全ての人が同一モデルに基づいて将来予測をするわけではありませんから、不確実性を誤差項として処理するのも不適切です。
 
 数学モデルは操作性に優れたモデルであり、教育効果も高い。しかし現実説明力はない。誰もがわかるこの当たり前の事実から演繹されることは、

「数学モデルはひとつの学問的な経済の見方(経済観)としての意義はあるが、現実の経済分析には別の経済観に立脚すべきである

という極めて常識的な結論です。にもかかわらず主流派経済学者の多くは、後段を考慮せずに自らの論理で現実経済を説明しようとする。その結果、現存するものを理念的に消し去るという暴挙に出たのです。

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西部邁

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