グローバル“競走”が全てではない — 箱根駅伝を通じて「国力」の意味を考える
- 2014/1/5
- 文化
- ガラパゴス, 国力
- 17 comments
駅伝をオリンピック種目に
今年は用事があって箱根駅伝の中継を見る暇がなかったのですが、ブログサイトを眺めていたら「駅伝を五輪種目にできないでしょうか」という記事が目にとまりました。
本山氏は、お正月はコタツでみかんを食べながら駅伝をみるという習慣が日本ではすっかり定着しているのに、海外ではこの駅伝という競技が全く普及しておらずもったいないので、せっかくだからオリンピック種目にするよう日本から働きかけても良いのではないかと指摘されています。
駅伝に形態が似たものとしては400mリレーなどがありますが、距離が短いので楽しめる時間は短い。日本の駅伝のような長距離で「タスキをつないでいく」競技は、世界規模でも盛り上がってよさそうな気はします。まぁ、アフリカ勢に勝てる気が全くしませんし、1つの五輪大会でマラソンと駅伝の両方に出場するのは無理でしょうから人材が分散してしまい、意外に盛り上がらないかも知れませんが、各国の長距離の強豪選手がチームで争うという競技はさまざまな物語を生み出し得るとは思います。
駅伝批判
駅伝とオリンピックの関係といえば、数年前に「箱根駅伝が盛り上がり過ぎるせいで、マラソンで世界を取れる選手の育成ができなくなっている」という議論があったのを思い出します。
スポーツライターの生島淳氏が2005年に『駅伝がマラソンをダメにした』という本を出版していて、80年代に箱根駅伝がテレビ中継されるようになって、盛り上がったのは良いのだが、これが日本の男子長距離界の選手育成のあり方そのものをゆがめてしまい、マラソンで世界を取れる選手が育たなくなったということを指摘されていました。私も、単なる趣味としてではありますが、低レベルながら自分でもマラソンを走っていたことがあった(3年前に怪我をしてから走っていません)ので、こういう長距離走の話題には関心を持っていました。
一般メディアでも、2008年の12月には産経新聞が「遠ざかる表彰台 男子マラソンの現場から」という特集(現在はWeb版の記事がリンク切れになっています)で駅伝の弊害を指摘する陸上関係者の声をまとめていましたし、最近では2011年の正月に京都新聞が「『駅伝がマラソンをダメにした』は本当か」という特集を組んでいて、これは今もWebで読むことができます。
京都新聞:「駅伝がマラソンをダメにした」は本当か
(1)問題提起
(2)検証 トレーニング
(3)検証 燃え尽き症候群
(4)検証 スケジュール
(5・完)指導者からの提言
この特集の最初の記事にも『駅伝がマラソンをダメにした』の著者・生島氏が登場していて、「ガラパゴス化」「燃え尽き症候群」といった言葉で駅伝の問題点を指摘しています。
陸上関係者による(箱根)駅伝批判の論拠をまとめると、概ね次のようなことが主張されているようです。
- 箱根駅伝はテレビで非常に注目されるイベントであり、大学としてもかなりの広報効果が期待できるため力を入れざるを得ず、そのせいで駅伝以外の種目の選手育成が軽視されてしまう傾向がある。
- 箱根駅伝は1人だいたい20kmを走るが、オリンピック種目にハーフマラソンは存在せず、1万メートルの上は42kmのマラソンである。駅伝中心の育成をしていては、どちらにも対応できない。
- その結果、国内でしか通用しない駅伝がメディアに煽られて加熱して成長し、それに注力するあまりオリンピックなどの世界大会で勝てる選手が育ちにくくなるという「ガラパゴス化」が生じている。
- 大学陸上界における箱根駅伝の地位が高すぎて、優秀な高校生選手の多くが関東の大学に取られてしまい、他の地域に強豪校が無くなってしまった。
- 学生駅伝を頑張りすぎて「燃え尽き症候群」になり、本来は30歳ぐらいまでにマラソンで世界を目指すべき選手が、実業団に入った後に低迷してしまうようになっている。
コメント
-
2014年 1月 13日トラックバック:2014/01/09(Thu) | gattya.run
この記事へのコメントはありません。