ナショナリズム論(3) 対アーネスト・ゲルナー

ナショナリズムの定義

 ここでは、アーネスト・ゲルナー(Ernest Gellner, 1925~1995)の『民族とナショナリズム』を参考にしてナショナリズムを考えていきます。本書では、有名なナショナリズムの定義が出てきます。

 ナショナリズムとは、第一義的には、政治的な単位と民族的な単位とが一致しなければならないと主張する一つの政治的原理である。

 つまり、〈エスニックな境界線が政治的な境界線を分断してはならないと要求する政治的正統性の理論〉なのです。
 この定義を考える上で、ゲルナーは国家と民族に言及しています。マックス・ヴェーバーの説を参照し、〈国家とは、社会の中で正統な暴力を独占的に所有する機関〉と説明されています。民族については、まず〈同じ文化を共有する場合〉が挙げられています。文化の意味するところは、〈考え方・記号・連想・行動とコミュニケーションとの様式から成る一つのシステム〉です。次に、〈同じ民族に属していると認知する場合〉が挙げられています。〈民族とは人間の信念と忠誠心と連帯感とによって作り出された人工物〉だというのです。

ナショナリズムの時代

 本書では近代化と結びつけられた形で、〈ナショナリズムの時代〉という用語が出てきます。ここには、ナショナリズムのない時代から、近代になってナショナリズムの時代へ移行したという考え方があります。その移行には、産業主義が影響したと考えられています。

 一般的な社会的条件が、エリートの少数派にだけではなく全人口に普及する標準化され同質的で中央集権的に支えられた高文化を促進する時、教育を通じて容認された輪郭のはっきりした統治的文化が、人々が進んで、時には熱烈に一体化したがるほとんど唯一の単位を構成するという状況が生まれるのである。

 つまり、文化が少数派のエリートだけではなく、全人口に波及することでナショナリズムが生まれるというのです。ゲルナーの説では、産業化によってナショナリズムの時代が出現することになります。

 産業世界では、複数の高文化が普及するが、彼らは一つの協会ではなく一つの国家を必要とし、しかもそれぞれ一つの国家を必要とする。これが、ナショナリズムの時代の出現を要約する一つのやり方である。

 ゲルナー自身は、ナショナリズムの時代が今後も続くと述べています。

 些細で無害の例外を除くならば、概して、政治単位と文化単位との一致というナショナリズムの要求は、適用され続けるであろう。その意味では、ナショナリズムの時代が終わると予測する必要はないのである。

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西部邁

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