『ネット世論』を目の敵にする朝日新聞

※この記事は月刊WiLL 2016年1月号に掲載されています。他の記事も読むにはコチラ

「鬼女」って誰だ?

 佐野研二郎氏のデザインによる二〇二〇年東京五輪のエンブレムが、白紙撤回へと追い込まれた「エンブレム騒動」。ベルギーのリエージュ劇場のロゴとの類似性が指摘された当初、新聞やテレビでは「シンプルなデザインが似ることはある。商標権を取得してあり、問題はない」と擁護する論調が目立ちました。
 流れを変えたのは、佐野氏のデザインを巡る数々の疑惑を発掘したネットの捜査力であり、それを支持した「ネット世論」です。いわば、ネット上に展開された「みんなの意見」が社会を動かしたのです。
 ところが新聞やテレビは、これを批判的に報じました。朝日新聞は、ネット社会での徹底的な疑惑追跡に「自由な発想にブレーキがかかる」との声もある(二〇一五年九月二日Web版)と首を傾げてみせ、系列のテレビ朝日「モーニングバード」では、捜査したネットユーザーを「鬼女」とネットスラングを用いて恐怖を煽ります。
 安保法制に反対するデモや、学生の抗議団体「SEALDs」については「国民の声」と称揚する一方、ネットの声は警戒しろと呼びかける。ご都合主義的な民意の選択は彼らの得意とするところですが、そこには彼らの〝存立危機事態〟を招いている「フローからストック」への変化があります。
 エンブレムが発表されると、ベルギーのリエージュ劇場のロゴマークとの類似性が指摘されます。大会組織委員会は問題ないとし、デザイナーの佐野研二郎氏も模倣を否定。ところが、佐野氏監修と銘打たれたサントリーの販促グッズのデザインで盗作が「発掘」され、こちらは本人が認めます。
 他の作品でも同様の「発掘」が相次ぐなか、大会組織委員会は記者会見を開き、エンブレムには発表されていない原案があり、それはリエージュ劇場とは似ても似つかないため模倣ではない、と反論を試みますが、その原案が別のデザイナーの作品展のロゴに類似している、と「発掘」。
 さらに、エンブレムの展示例(使用例)に使用された写真が外国人女性のブログからの盗用だ、と会見の数時間後には「発掘」され、そして白紙撤回へと追い込まれました。
 右の説明における「発掘」と表記した箇所が、〝鬼女〟の仕事です。「鬼女」とは、匿名掲示板「2ちゃんねる」の「既婚女性板」(テーマ毎の掲示板)の略称が転じたもので、情報収集に長けたネットユーザーの代名詞のように使われています。
 番組ではこれらの事例を紹介したうえで、コメンテーターの吉永みち子氏が「ネットとの関係を考えていかないととんでもないことになる」と脅します。あたかも佐野氏に粘着してストーカーのように嗅ぎ回ったかのようなトーンで語られがちですが、騒動の説明で「発掘」としたように、鬼女はあくまでもネット上に、しかも〝容疑者〟自らが公開していた情報を集めたに過ぎません。
 少し前ならプロフ、いまならLINEやFacebook、Twitter上に個人情報を公開している人は多く、いわば「ググる」だけで見つかるレベルの情報で、これを掲示板などにまとめて分析しているだけのことです。
 また、エンブレム騒動で発掘されたのは盗用という「事実」にすぎません。なぜこれが「とんでもないこと」なのでしょうか。
 背景にあるのは「フローからストック」への変化です。「フロー」とはすぐに消えていく情報を指し、保存により積み上げられていくものが「ストック」です。
 二十世紀のインターネットは、アップされては読み捨てられる「フロー」でした。コンピュータの性能が低く、定期的にコンテンツが削除されていたこともあり、その場限りの情報が溢れていました。「便所の落書き」と揶揄されていた理由でもあります。
 テレビも「フロー」のコンテンツです。放送されたそばから記録は消えていく。そのため政治家が相手なら「批判精神」という建前を用いて、特に安倍総理の場合は難病すら嘲笑し、個人的見解と嘯いて政治的傾斜の強い情報を配信しています。悪質な捏造が発覚しても「打ち切り」で幕引き。捏造が噂されても、視聴者には放送をあとから検証する術がなかったため噂の域を出るのは極めて困難で、つまりは「言ったもの勝ち」でした。
 新聞もさして変わりません。読者の多くは読後の新聞を廃棄するので、過去の記事を検証することは困難でした。朝日新聞の誤報を改めない体質を生み出した理由のひとつかもしれません。
 ところが二十一世紀になり、便所の落書きは「ストック」されるようになりました。それまで削除されていた僅かな人気しかないコンテンツでも、膨大な数を抱えることで収益化(マネタイズ)が可能となる「ロングテール」というビジネスモデルを、グーグルが成功させたからです。
 ブログの普及や、Twitterに代表されるSNSがストックを加速させます。それぞれの「つぶやき」は断片的でも、ストックされることでひと塊の情報としての意味を持つようになったのです。

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西部邁

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