TPPハワイ閣僚会合を振り返る

TPPハワイ閣僚会合を振り返る

 7月28日から31日に行われたTPPハワイ閣僚会合は、各国の利害が大きく対立したまま、目標の大筋妥結には至りませんでした。交渉の現場となったハワイのウェスティンホテルでは、リゾート姿の観光客と、閣僚が通りかかるのを待ち続けるクールビズ姿の日本のマスコミ、そして各国のジャーナリストやNPOが入り乱れる不思議な光景が見られました。

2228_01↑↑リゾート客とステークホルダー、メディアが入り乱れ・・・

2228_02↑↑閣僚や交渉官が通りかかるのを待ち続ける日本のマスコミ

 現地では日ごとに楽観論と悲観論が入れ替わり、最終日にどのような結果がでてくるのか誰もが予想できず、ピリピリした雰囲気が漂っていました。閣僚会合二日目の29日にリッツカールトンホテルで行われた政府説明会でも、妥結ありきで交渉していると取られたくないので説明会を一度しか設定しなかったが、万万が一妥結した場合には詳細な記者ブリーフィングを行うという、妥結できそうなのか、無理そうなのか、いかようにも取れる「いつもの」説明が行われただけでした。
 最も緊張が高まったのは、30日の夕方でした。この日は午後1時半から甘利大臣のぶら下がり会見、午後2時からは閣僚会合が予定されていましたが、事務レベル協議がまとまらずにそれぞれ3時間午後5時へと延期され、徹夜の待機を覚悟した人も多かったのではないでしょうか。しかし、午後9時ごろにはすでに閣僚が夜通し協議することはないことがわかり、大筋合意はできないのでは、という楽観的な見方が生まれてきました。(言うまでもないことですが、立場によっては悲観的な見方が生まれたとも言えますので、そこは複雑ですね。)
 交渉最終日、お昼前に午後1時半に設定された記者会見が午後4時に延期されたことが伝えられ、ほどなく市場アクセス交渉が決裂したことが確認され、正午過ぎには米国の交渉官が記者らに対し、ハワイでの妥結はせず、閣僚はそれぞれの国に残された課題を持ち帰って協議することになった、と立ち話しで伝えたので、その時点て緊張は一気にほぐれました。
 筆者もその会話を輪に入って聞くことができ、交渉官が立ち去った後、米国メディアがお互い内容を確認し合った後、中心となって話していた米国メディアの記者に改めて内容を確認することができたので、すぐに主要な仲間にメールやSNSなどを通して伝えました。
 交渉の現場となる場所のロビーでは、交渉官がメディアやステークホルダーに対して気軽にブリーフィングする光景がよく見られます。対照的に、日本は現地でも外国のメディアに対してほとんど口を開くことはないようです。日本の交渉官は、そもそも出歩いている姿を見かけないということもありますが、どちらかというと厳しい交渉を物語るような、疲れ切った表情で通り過ぎていくことが多いので、日本のメディアも声がかけにくいのかもしれません。いわんや海外メディアは日本のメディアではないということで、甘利大臣の記者会見すら取材させてもらえないことがある、という方もいました。
 それに比べると、各国の交渉官やステークホルダーはとてもフレンドリーですし、明らかに計算していると思いますが、筆者のような一般人にすらその国が何をどのような理由で求めているかをにこやかに主張してきます。手法の善し悪しはさておき、交渉における国益の守り方の違いがこういうところにも表れるのだなあと興味深く感じています。最終日の午後は、交渉が決裂したというのに私たちのすぐそばの席で声を挙げて談笑する交渉官の姿も見られ、長年の交渉でお互い国益をかけた真剣勝負をやりつつ、お互いのことを深く知る内に、一たび交渉の場を離れればまるで家族のように親密になっている、というのは本当なのかもしれないと思いました。
 さて、そこから注目は閣僚らの共同記者会見で出される声明に次の会合の予定が入るかどうかに移り、果たして次の予定は決まらず、短い声明文が出されるにとどまりました。甘利大臣はその後の単独記者会見で、日本からは8月中に改めて閣僚会合を開くという提案をしたが、もう二度と失敗できないアメリカは、次の閣僚会合の期限を切ることは消極的だったというお話しでした。[注1]
 現在TPP交渉は米国の大統領選をにらんだ国内事情によるタイムリミットを何度も延長しているのですが、ついに漂流し始めたという報道も多いです。そんな中でもメキシコ・シティで8月20日から29日の予定で現在までに合意した章に関するリーガル・スクラブを行っているという報道もあります。まだ年内、あるいは来年初めの署名を諦めていない勢力がいるということです。リーガル・スクラブというのは交渉の最終段階で行う作業ですから、妥結もしていないのに前倒しで進めているというのはかなり異例なことだと言えます。特に、JC総研のレポートでは「8 月 1 日に記者発表に準備されていた資料が 100 ページを超えるものだった」[注2]とあり、日本政府の本気度は相当なものだったようです。
 そこで現地で得た情報や報道をもとに、今回のハワイ会合で出された主要な争点について振り返っておきたいと思います。

→ 次ページ「ハワイ交渉決裂を決定づけた自動車の原産地規則」を読む

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西部邁

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