AI脅威論はマスコミのビジネスモデル
- 2017/1/20
- 社会
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人間を越えること
2045年に迎えるとされた「シンギュラリティ(技術的特異点)」は、毎年のように前倒しされ、最近では2020年説を唱える人まで現れました。シンギュラリティをウィキペディアで引くとこうあります。
《人工知能(AI)が人間の能力を超えることで起こる出来事とされ、テクノロジーが急速に変化し、それにより甚大な影響がもたらされ、人間の生活が後戻りできないほどに変容してしまうとする未来予測のこと※括弧内筆者》
真面目な科学者までもが真剣に「AI脅威論」を語るので笑ってしまいます。要するにAIそのものが自発的に考え、行動しはじめることにより、人間社会がAIの支配下に置かれるというもので、ジョージ・オーウェルの小説『1984』に登場する独裁者「ビッグブラザー」のようなイメージでしょうか。空想が過ぎます。機械が人間の能力を超えることを怖れるなら、ウサイン・ボルトよりも早く移動できる原付バイクや、飛べない人間を軽く凌駕して飛び立つ「ドローン」に怯えなければならなくなります。なによりすでにコンピュータは計算処理能力において人間の能力を超えているからです。
理由は明白
理論物理学者のスティーブン・ホーキング博士や、マイクロソフトのビル・ゲイツ氏、国内では多すぎて割愛しますが、「脅威論」を唱える多くがAIの専門家ではありません。隣接する研究者も散見しますが、その主張の多くは空想と妄想を下敷きとした安物のSF小説のようです。
それをマスコミが大々的に取りあげる理由は簡単。「脅迫」は売れるのです。20世紀でいえば『ノストラダムスの大予言』で、2000年の「Y2K問題」も同じく。最近ではオヤジ雑誌と呼ばれる『週刊ポスト』や『週刊現代』などが、「健康」をテーマとして記事を繰り返しているのも同根。読者を脅すのはマスコミの常套手段で、「トレンド」を煽る理由にも通じます。最新トレンドとして紹介するAIとは、「今後、AIを知らなければ取り残されますよ」という脅迫です。
一方、元マサチューセッツ工科大学(MIT)教授で、「ロボットの父」と呼ばれるロドニー・ブルックス氏は、AI脅威論を「過度な考え」と一蹴し、千葉工業大学未来ロボット技術研究センター所長 古田貴之氏は、月刊Hanada(2016年10月号)で楽観論と悲観論の両方を否定します。古田氏の指摘を一言でまとめるなら「AIとはパラメータに過ぎない」となります。
AIとは何か?
AIとはプログラムの一種です。人工知能と訳されることから、人間と同等の思考回路をイメージしますが、まったく異なるものです。そもそもAIを含めた(コンピュータ)プログラムとは、反復処理の手順をまとめたものです。電卓は数字キーと、「+」や「×」といった演算キーを押下することで、計算結果を表示する「プログラム」が組み込まれています。AIもこの延長線上にあり、古田氏が「パラメータ」と指摘するのは、数字キーや演算キーのことで、何を押下するかは人間次第だということです。人間の思考の一部を模したプログラムがAIであり、どの人間の思考の、さらにどの部分を切り出し、それにどんな役割を与えるかを決めるのは人間だということです。つまり、AIを脅威にするのも、電卓にするのも人間次第で、AIが勝手に動き出すとは主客転倒の暴論に過ぎません。
AI脅威論を唱える人は、こうしたパラメータの設定すらAIが行うようになるのが、先のシンギュラリティであると脅しますが、「電池」を抜いた電卓が役に立たないように、電源プラグを引き抜いたAIは永遠に沈黙します。つまり脅威になったとしても、電源コードをネズミがかじれば終わる程度の脅威に過ぎません。
専用ソフトには勝てない
AI脅威論がヒートアップしたのは、昨年2016年3月グーグルの人工知能「AlphaGo(アルファゴ)」が、世界のトップランクの棋士 イ・セドル九段を破ってからでしょうか。翌月にはより難易度が高いとされた「将棋」の世界でも、山崎隆之八段が、将棋ソフト「PONANZA(ポナンザ)」に破れます。これをもって「人間を越えた」とは論理の飛躍です。それぞれ、囲碁と将棋に特化したAIであり、それぞれの分野、限定された領域において人間を越えたのでしょうが、「AlphaGo」や「PONANZA」にチェスは打てません。
すでに将棋界の生きるレジェンドである羽生善治名人はチェスの名手として名高く、一時は国内ランキングの最上位を争うほどの腕前です。また、海外のチェスの大会に出場するため、英語を習得したといわれ、2016年5月に放送されたAIを扱ったNHKの番組内で披露した英語力は、ネットで話題になっていました。「AlphaGo」や「PONANZA」に英会話を自習する機能はありません。つまり、汎用性において、人間とAIの間にはとてつもない開きがあるのです。
途方にくれるペッパー
先日、とあるパチンコ屋で「ペッパー君」を見つけました。ソフトバンクがAI搭載と謳う接客ロボットですが、パチンコ台の喧噪にまみれ、会話は成立しませんでした。人間である私は、ペッパー君の電子ボイスだけを認識することができましたが、ペッパー君は不規則な騒音のなかでの声の選別はできないようです。命令を聞き取れないペッパー君は、まるで「途方にくれる」かのようでしたが、それ人間の思いこみに過ぎません。「スタンバイ状態」に戻っただけのことです。AIに人間性を確認するのは人間の錯覚です。
AIを否定するのではありませんが、AIは道具のひとつに過ぎないということです。ライオンの牙もなく、像の巨体に遠く、鷹や鷲といった猛禽類の狩猟能力に及ばない人類が、地上の覇者になり得た理由のひとつが「道具」を使いこなしたことです。AIとはコンピュータ上で作動するプログラムに過ぎず、ワープロソフト「Word」や表計算ソフト「Excel」と同じ「道具」です。AI脅威論にはAIを道具とみるリアリティが欠けているのです。
繰り返される脅威論
AIを道具とみれば、自ずとAIは人間に最適化されることに気がつきます。平たく言えば、人間の役に立つAIしか開発されないということです。それが証拠に、AIはすでに生活に溶け込んでおり、スマホやパソコンで文字を入力する際、先回りしてキーワードの候補を表示する「予測変換」は「AI」の仕事です。検索結果やサジェスト機能も同じくです。シンギュラリティを越えたとき、予測変換を支配したAIが、人類の洗脳がはじめ・・・たとして、それが利用者にとって望まない予測結果なら、利用しなくなるだけで、AIによる陰謀はスマホのバッテリーが切れると同時に潰えることでしょう。
AIが脅威になる世界が訪れる可能性がゼロではない限り、脅威論が撲滅されることはないでしょう。しかし、我々は歴史から未来を推測することができます。20世紀の昔、オフィスにコンピュータが導入される「OA化」が叫ばれたとき、ホワイトカラーの事務職員の仕事はなくなると煽られたものです。AI脅威論も同じです。新しい技術に対する過剰反応であり、読者を脅迫するマスコミのビジネスモデルと、マスコミ御用学者の小遣い稼ぎのコラボレーション。もちろん、特撮番組に登場するような「悪の秘密結社」が存在し、人類の支配を目論むAIを開発するならば、その限りではありませんが。
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