『夢幻典』[肆式] 中空論
- 2016/11/30
- 思想, 歴史
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有と無の思想が示された。
ここに空の思想を示そう。
有と無の繰り返しを、空の思想によって示そう。
有と無は、互いを否定し、それによって互いを肯定する。
互いを拒絶することによって、互いを新たに甦らせる。
その繰り返しが、空の思想として語られる。
否定による否定。
否定の飽くなき繰り返し。
否定の否定、それは否定の肯定性。
視点を定めないという視点。
有の否定と無の否定。
否定が繰り返される。
本質の否定によって、空が示される。
語りたいことは、完全には語り得ない。
語り尽くすことができない。
それは空虚であり、そこには空白がある。
いかに精緻であろうとも、いかに整合的であろうとも。
言葉があり、論理がある。
しかし、そこには空がある。
空虚があり、空白がある。
そう想定しなければならない。
そう想定しないならば、それは妄想でしかないのだから。
ある論理体系の構築。
点の設置が行われる。
ある点では、在る。または、無い。
ある点では、在り、かつ、無い。
ある点では、在るとも無いとも言えない。
ある点では、存在の有無すら分からない。
何も、分からない。
だから、そこには空がある。
しかし、そこには空がある、と言った刹那に亀裂が走る。
空虚を語り、空白を埋める作業が要請されてしまう。
語り得ぬことの語りが求められる。
ここに、秘密と公然の区別が生まれる。
生まれざるを得ない。
なぜなら、世界は複雑だから。
幸か不幸か、この世界は豊穣であるのだから。
実在が否定され、実在が肯定される。
認識が否定され、認識が肯定される。
欲望が否定され、欲望が肯定される。
有と無が交わり、離れ、再び交わる。
形が表れ、形が裏へと隠れる。
それは二つの現れ。
二つの否定と肯定。
二つの融和。
空において中(あた)るための論理が示される。
言葉への疑いは底が抜けてしまう。
疑うということを疑うとき、疑うことを続行することすらできなくなる。
有と無の思想において、その混乱において、一つの方向が示される。
空の思想によって示される。
それは、空の思想が示されることによって、方向が示される。
色即是空、空即是色。
色あるものは、空ということである。
空しきこと、それは真実である。
空ということは、色あるものである。
真実であること、それは空しきことである。
ここで、さらに意味が二通りに深化する。
花はやがて散ってしまう。
だから、執着してはならない。
花はやがて散ってしまう。
だからこそ、美しい。
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