「永遠の0」にとんでもない難癖をつけてしまった京都大学大学院教授

藤井聡の永遠の0への失望の仕方

 2014年9月9日の『三橋貴明の「新」日本経済新聞』に、京都大学大学院工学研究科教授の藤井聡の記事『永遠に「ゼロ」?』が掲載されました。
 こう言っては失礼ですが、読んでいてあまりの低レベルに脱力してしまいました。ここまで酷いと失望するしかないのですが、脱力するだけでは疲労が蓄積されるだけですので、何とか建設的な議論を展開してみようと思います。

大ヒットしたから好きになれないという言論はいかがなものか?

 藤井は、『永遠の0』について次のように述べています。

この物語がどうしても好きになれませんでした.その根本的理由は,「これだけの大ヒットは,今日の日本を覆う『大衆社会』の大衆人の『俗情』と結託せずして生じ得るはずなどないだろう...」というだけの安易な理由でしたが,それだけでは批判する根拠も十分でもありませんし,この物語に対して批判を差し向けると,世論,とりわけ,いわゆる「保守」陣営の方々を中心として,かなりの反発があるだろう….と予期し,面倒なので,取り立ててこの物語について論評する事を避けてきました.

 今日の日本で大ヒットしているから好きなれないというのは、正直なところ私には理解しがたい感情です。大ヒットしていて素晴らしい作品もあれば、酷い作品もあるわけですから。ヒットの有無は好悪の「根本的理由」にはならないし、してはならないと私は考えています。
大ヒット作品が素晴らしいとは限らないというのは、いわゆる大衆批判において参照すべき見解だとは思います。しかし、大ヒットしているから好きになれないというのは、密かに思っている分には良いでしょうが、公式に表明してしまう感性には違和感を覚えます。そこには、大衆批判が好きな仲間内で、大衆の悪口を言って悦に入るという後ろ暗い情念が透けて見えるからです。

「保守」陣営で藤井大先生に反発する人とは?

また、『永遠の0』を批判すると「保守」陣営から反発があるというのは本当でしょうか? 藤井が『永遠の0』批判を開始したのは、『表現者 2014年 09月号』の『戦う以前にウソを見抜け』という原稿からでしょう。ここでの藤井の見解に対し、私は『藤井聡『戦う以前にウソを見抜け』のウソを見抜け』という記事などで非難しました。ただし、私は、「ホシュ派」でも「保守派」でも「真正保守派」でもありません。
藤井の『永遠の0』批判について、「保守」陣営や他陣営からの反発をご存知の方がおられましたら、(コメントなどで)是非とも教えていただきたいです。藤井聡大先生の『永遠の0』批判に対し、反発するような不届きな人物の意見を是非とも読んでみたいものですから。

不都合な部分はちゃっかり改竄

 私の記事なのか他の人の意見なのかは分かりませんが、藤井の『永遠の0』批判に対し何らかの批判が出たため、藤井はそれに応えなければならなくなったようです。

先日,とある雑誌の原稿で,ある映画作品を批判し,その最後に「『永遠のゼロ』においても、同様の構造を見いだす事ができる。」と一文を追記したのですが,この一点がやはり,一部,批判を呼ぶこととなりました.

ここでの「とある雑誌」とは『表現者 2014年 09月号』のことで、ある映画作品とは『男たちの大和』のことです。ここで、具体的な雑誌名を出していないということに注目できるかどうかは、けっこう重要ですよ。
続けて藤井は、次のように論理を展開していきます。

確かに『永遠の0』がなぜ,「批判されるべき構造にあるか」については一切言及しておりませんでしたので,ここに至っては致し方無し...ということで,本日は『永遠の0』について,改めてどの様に当方が感じているかを,記載することと致した次第です.

 ここまでで、藤井の論理がおかしいことに気づいてほしいのです。
 藤井は、とある雑誌の原稿で、ある映画作品(『男たちの大和』)を批判しています。その批判の構造は、『永遠の0』でも同様だと言っているわけです。ですから、藤井は『永遠の0』を批判する構造をすでに示しているはずなのです。なぜか具体名を伏せている雑誌の原稿の中で。
 では、『戦う以前にウソを見抜け』から問題の箇所を引用してみましょう。

 つまりは多くの人々が、とりわけ「ホシュ」と呼ばれる人々が賛辞を送りがちなこうした物語ですら、山本常朝の「生と死」の思想は、徹底的に排除されているのである。
 そして、戦争という国家の命運を分ける戦いの中における妻子への愛情という「生に向かう私的な欲望」を描いた『永遠の0』においても、同様の構造を見いだすことができる。

 藤井は、『永遠の0』とは私的な欲望を描いたものであり、そこには山本常朝の思想が排除されていると言って批判しているわけです。つまり、勝手に山本常朝の『葉隠』を持ち出し、さらには勝手に『葉隠』思想を曲解し、勝手にダメ出ししているということです。その詳述については、『藤井聡『戦う以前にウソを見抜け』のウソを見抜け』を参照してください。
 このような経緯があったため、藤井はその批判を繰り返せばよかっただけなのですが、なぜか「一切言及しておりませんでした」と言い出しているのです。まあ、その批判が致命的におかしなものだったことに気づいたので、それはなかったことにして、新たに別の批判理由を作り上げたということなのでしょう。
そのために藤井は、

 つまりは多くの人々が、とりわけ「ホシュ」と呼ばれる人々が賛辞を送りがちなこうした物語ですら、山本常朝の「生と死」の思想は、徹底的に排除されているのである。
 そして、戦争という国家の命運を分ける戦いの中における妻子への愛情という「生に向かう私的な欲望」を描いた
『永遠の0』においても、同様の構造を見いだすことができる。

 上記のように、実際の記述から(藤井にとって)不都合な部分を削除して引用しているのです。その上で、

確かに『永遠の0』がなぜ,「批判されるべき構造にあるか」については一切言及しておりませんでした

という文言を追加しているのです。これで、不都合な箇所は、『三橋貴明の「新」日本経済新聞』の読者には知られずにすませられます。藤井聡大先生のお言葉が本当かどうか実際に確かめてみようとするような人は、ほとんどいないということを見越した上で、念のために「とある雑誌」と具体名を伏せることで調べる経路をふさいでいるわけです。実に鮮やかな手法であり、その手口には驚嘆の念を抱いてしまうほどです。
 ただ、これって「改竄」ですよね。あまりに当たり前過ぎて言うのが気恥ずかしいのですが、「改竄」はいけないことですよ。

息子のご利用は計画的に

 さて、藤井は『戦う以前にウソを見抜け』での批判内容を封印し、『永遠に「ゼロ」?』で新たな『永遠の0』批判の理屈をひねり出しています。
 その新しい批判に対して検討しようと思うのですが、藤井は彼の家族の意見を持ち出しながら論じていくのです。その上で、

そしてここに記載する責任は全て「藤井聡一個人にのみある」事を強く明記しつつ,本稿を終えたいと思います.

と締めています。
 私もできれば藤井聡一個人のみを批判したいのですが、問題の記事では藤井家の人たちがそろって『永遠の0』を批判しているというか、バカにしていくという構成になっています。そのため藤井聡への批判が、彼の息子への批判にもなってしまいます。彼の中三の息子や小六の息子を非難することには心が痛みますが、いたし方ありません。
 家族に意見を求めることや、家族の会話からアイディアを得たりすることはまったく構いませんが、それらをまとめた上で藤井聡一個人の見解として提示すべきでした。家族の会話という形式にするべきではなかったと思います。

特攻で失った夫に代わり、生活を支えた後輩との再婚をキモイと嘲笑

 主人公の宮部が特攻に行くとき、後輩に家族を助けて欲しいというメモを渡します。その後輩は約束を守るために、宮部の妻子を見つけ出します。妻子を助けていくうちに情が募り、その後輩は宮部の妻に告白し結婚します。そのとき、小説版では、戦争が終わってから九年が経過していたと記されています。
それらのシーンについての藤井家の会話は以下の通りです。

父「おまえ,仮にこの主人公みたいな立場になったら,自分の奥さんと子供の事を助けて欲しい,ってメモ,渡すか?」
中三「そんなん,わたすわけ無いやん」
父「せやなぁ.まぁ,ここは普通,嫁さん宛の手紙やなぁ.それやったら逆に,このメモ,渡されたらお前,この奥さんに,こんな告白じみたこと言うか?」
中三「そんなん絶対ゆわんわ.だいたい,先輩に失礼やろ.まじキモい.」
親子(大爆笑)

 宮部は自分が特攻で死んだら、妻子が困窮してしまうことを分かっていました。ですから、後輩へ支援を頼んだとしても何の不思議もありません。別に嫁宛の手紙を書いても一向に構いませんが、それが残された妻子を頼むことの非難にはならないでしょう。あまりにも愚かな批判だとしか言いようがありません。
 また、復員軍人と戦争未亡人の再婚は現実にいくらでもあった事例です。支援することから情が生まれた事例もいくつもあったでしょう。確かに、純愛を貫いて再婚しなかった女性の高潔さは賞賛に値します。しかし、それが再婚した者たちを否定して良い理由にはなりえません。藤井は、

本稿は戦前に戦った方々を貶めるものでは断じてありません.

と述べていますが、とてもそうは思えません。類似例がいくらもあるからです。
ここで示された「キモい」という言葉、それを親子そろって大爆笑するということ、さらには、それを公開するということ。人の道を踏み外すという実例を見せていただきました。

人間関係を無視した視点

 藤井のトンデモ批判はまだまだ続きます。年老いた後輩の大石が、宮部が特攻した理由を、「言葉にできるようなことではない」と言ったことに対し、息子からツッコミが入ります。それを受けて、映画を見ながらメモを取っていた藤井は、息子に次のように言うのです。

「さっき,この主人公,特攻に行く前の段階で,自分が教え込んだ生徒達が特攻に行って,バタバタ死んでいくのを観続けてた時,こんなんゆーてはったやろ.

『おれは逃げた.彼等を見殺しにした.
おれは,彼等の犠牲の上に生きながらえている.
彼等が死ぬ事で,生き延びている.
おれはどうすればいい.』

こう言うとったけど,なんで特攻行ったか,言葉にできひんか?」

 言葉にできません。なぜなら、上記の言葉を聴いたのは景浦(ヤクザの人)であり、大石とは別人だからです。景浦が大石へ、宮部の言葉を伝えた描写も存在していません。視聴者はすでにこの時点で、宮部に対する多くの情報を得ています。しかし、大石が知っている宮部に関する情報は限られたものなのです。ですから大石は、「私にははっきりとは言葉にできない」と述べているのです。
 『永遠の0』は、適当にななめ読みしていても最後に探偵が犯人を教えてくれる探偵小説とは違います。本作品では、宮部の孫である健太郎が、宮部と関わった生き残りの人たちの話を聞いて回ります。生き残りの人物たちの証言は、宮部のピース(小片)なのです。全体を注意深く読み込み、いくつものピースを合わせていくことで、宮部という人物が浮かび上がるように緻密に構成されているのです。ですから宮部が景浦に語った言葉も、宮部の特攻理由の大きな要因の一つであることは間違いありません。さらに他の人物の証言も合わせて考えることで、宮部という人物が何を考えていたのかが健太郎および読者には仄見えてくるのです。もちろん、そこには想像の余地も残されています。
 そういった繊細な作品なわけですから、誰が誰に何を言ったかを度外視して意見を言うのは勘弁してほしいですね。

それはトンデモ難癖というもの

 映画を見終わった藤井は、作中のセリフに難癖をつけ始めます。宮部が後輩に助けられ生き延び、そのために後輩は大怪我をしてしまう場面があります。そのとき後輩は、宮部は死んではいけない人だと伝えるのですが、宮部はあなた方こそ生きてこの国のために立派な仕事をするべきだと後輩に怒るのです。
そのセリフに対し藤井の息子は、父が素直に感じた気持ちを代弁して次のように言うわけです。

息子「立派な仕事するべきって,『お前! 今オレ,お前助けるって仕事したんやけど,そのオレの仕事は,立派ちゃうんかぁ!?』って思う.」

 別に立派だって褒めても良いですよ。でも、それが宮部のセリフの批判にはなりえないでしょう。いちいち解説するのも野暮ですが、宮部のセリフは、自分(宮部)が死んでもあなた(後輩)は生き残るべきだという意味なのです。
 分かりやすくするために、自分の身に置き換えて考えて見ましょう。例えば、私と友人が一緒に道を歩いているとしましょう。そのとき、暴走車が私に向かってくるのですが、友人が私をかばって死んでしまいます。生き残った私は死んだ友人に対し、「お前は命を懸けて私を助けたから立派だ」と思うでしょうか?
 私なら、とてもそうは思えません。「私なんかをかばって死ぬなんてバカなことだ。死ぬなら、お前ではなく私が死ぬべきだった」と考えると思うからです。
 つまりこの場面では、宮部と後輩のお互いが、自分よりも相手の命を優先して考えているという感動的な場面なのです。後輩はバカではないので、そんなことは分かっているでしょう。自分の命を捨てても守る価値のある人が、同じように、相手(後輩)の方が生き残るべきだと言っているのです。私なら、立派だと言われるよりも、はるかに嬉しく感じられるだろうと思います。その心の機微は、『永遠の0』を見た人たちには是非とも感じ取っていただきたいものです。

多様な考えの一部を取り出して、他の意見を批判する危険性

 さらに藤井の難癖は続きます。宮部は教え子たちが特攻で死んでいく様を思い起こし、戦争が終わった後の日本のために生き残るべきだったと言うのです。そのセリフに対し息子は、父が素直に感じた気持ちを代弁して次のように言うわけです。

息子「そんなん『戦争終わった後の日本』って,戦ってはった時,そんなんがあるかどうかなんてわからへんやん.日本が無くなるかもしれんかったんやろ?」

 この意見には、一理あります。ですが、宮部の意見にも一理あるのです。映画を見れば分かりますが、この時点ではアメリカ側の対策により、特攻の戦略的優位性がほとんどなくなっています。宮部の教え子たちは、敵に一矢報いる前に撃墜されてしまうのです。有効な手がもはや打てなくなっているという状況、教え子の生命が無残に消えていくという現実。宮部が、教え子たちは戦後の日本に生き残るべきだったと考えて、何がおかしいというのでしょう。
当時の資料を眺めるだけでも、いろんな人がいろんな考えをもっていたことが分かります。例えば、特攻で亡くなった西田高光中尉は、負けを見据えた上で、講和の条件やその後の日本人の運命について考えていました。
陸軍大将の栗林忠道は、バンザイ突撃による玉砕を禁止し、部下に徹底抗戦を指示しました。彼は総指揮官として硫黄島(いおうとう)へ出向く際に、彼を慕う貞岡信喜の同行を許しませんでした。そのため貞岡は、戦後日本に生き残ることができました。
昭和天皇は、戦争継続が国体も国家の将来もなくしてしまうことを憂慮し、ご聖断を下されました。
他にも、帯で百田尚樹氏が絶賛している『零戦 最後の証言(神立尚紀)』を読めば、あの時代に生きた人々がそれぞれに様々な考え方を持って生きていたことが分かります。当たり前と言えば、実に当たり前の話です。
 それぞれの考え方には、それぞれの理があるのです。ですから問題は、多様な考えの一部を取り出して、他の意見を批判するということの危険性にあるのです。

権力者に都合の良い手法に共感する権力者

 既に他の方々からも批判が挙がっていますが、次の親子の会話はひどすぎます。

息子 「それにそもそも,こっちからケンカうったんやろ? アメリカに. それやったら,とことんやらな,しゃあないやん」(注:標準語で言うと,最後の一言は「だったら,とことんやらなければ仕方が無いじゃ無いか」)
父 「なるほど,そらそやなぁ,だいたい,真珠湾で最初にイッたったんは,こっちやからなぁ….

 真珠湾攻撃については、アメリカが欧米を巻き込んで日本を追い込み、日本が先に手を出さざるを得ない状況を作り上げたというのはもはや常識です。フライングタイガース隊、在米日本資産の凍結、日本への石油輸出の禁止、ハルノートなどなど。
 私が心の底から嫌だと思うのは、こういった強者が弱者を追い込み、手を出させて正当性を演出してから攻撃するという手法そのものです。これって、経済強者や政治権力者にとって、非常に魅力的な方法なのです。ですから私は、アメリカが日本にしたことに怒りを覚えます。もし日本が、正当な理由無く弱小国にこの手法を使うなら、日本政府を批判します。当たり前の話です。
この手法は、国単位でも、団体単位でも、個人単位でも使用可能な汎用性の高いものです。ですから、権力者がこの手法に共感を寄せるのを見ると、私は薄ら寒くなります。
 そういえば藤井聡は、京都大学大学院工学研究科教授であり、同大学レジリエンス研究ユニット長であり、第2次安倍内閣の内閣官房参与でしたね。日本どころか、世界中のどこに出しても恥ずかしくない立派な権力者でしたね。

思うことについて

 次の文章も、ただただ脱力してしまったのですが、頑張って論じてみましょう。

下の息子は「えっ,それってみんなにメチャクチャ言われるんちゃうの? でも,思ってること書いたらあかんって,マジでぜんっっぜん意味わからへんわ」とも宣っておりました [←ありがとう!]).

 これも解説することが恥ずかしいレベルですが、「思っている」というそのことを根拠に、書くことの正統性を主張することには無理があります。
 子供が「なんで思っていることを言っちゃいけないの?」と問うのなら、親は「思っていても言って良いことと悪いことがある」と躾なければなりません。子供の発達段階に応じては、「言うべきこと」と「言うべきでないこと」があるということを一緒に考えてあげることも必要でしょう。これは、「言う」を「書く」に変えても同様に成り立ちます。
 それにしましても、小六にもなってこんなことを言い、父親である京都大学の教授がそれに「ありがとう!」と返すのです。世の中には、不可解なことが起こるものですね。

失望の仕方

 以上のように、藤井の『永遠に「ゼロ」?』について検討してきました。あまりの低レベルに失望し、無気力になってしまいそうになりました。ですが、無気力になっても何も良いことはないので、藤井の批判を分析し、反面教師にすることにします。失望するにしても、有意義な失望の仕方があると思うのです。
 信じてもらえるとは思っていませんが、私は藤井が遠回しにでも『永遠の0』への非難を改めたなら、その知的誠実性を絶賛する記事を書くつもりでした。しかし、それは実現しませんでした。藤井は、

本稿はあくまでも,かの大ヒット作品こそが戦った方々に対して礼を尽くしているに見えてその実,作家と観客総ぐるみで戦った方々全員を貶めているのではないかという疑義を描写申し上げているものとしてご了解願えますと幸いです.

と述べています。しかし、藤井の『永遠の0』に対する批判を検討してみましたが、どれもイチャモンレベルでしかありませんでした。「作家と観客総ぐるみで戦った方々全員を貶めている」と言える有力な論拠は、まったく示されていませんでした。残念です。
私は今でも国土強靭化には大賛成ですが、藤井聡個人についての興味はほぼ消滅しました。今後、彼がどのような言動や振る舞いをしたとしても驚かないでしょう。
 私の今の関心は、「本物」が出てくるかどうかです。『戦う以前にウソを見抜け』は『表現者』に掲載されました。『永遠に「ゼロ」?』は『三橋貴明の「新」日本経済新聞』に掲載されました。一連の藤井の『永遠の0』批判に対し、知識人や言論人の誰かが公式に論じることがありましたら、(コメントなどで)是非とも教えていただけると助かります。そもそも現代の日本に、「本物」がいるのかどうか知りたいのです。

誹謗中傷は止めていただきたいです

 2014年9月5日に、ASREADに『藤井聡『戦う以前にウソを見抜け』のウソを見抜け』が掲載されました。私は記事の冒頭で、「私個人の責任に基づく見解であることを明記」しています。本記事についても、同様です。
 また、7日にはASREADメルマガにより、「本記事は執筆者の木下元文氏の個人的見解であり、ASREADの見解とはまったく関係ありません」と明言されました。ASREADは、私に言論の場を提供してくれただけなのです。ですから、一定のレベルに達している私への異論・反論があるなら、ASREADは掲載してくれます。
しかし、記事の掲載後、内容に対する筋の通った反論は皆無であり、「バカ記事」だとか「立場をわきまえろ」などの単なる誹謗中傷ばかりという有り様でした。それが私に来る分にはまだしも、ASREAD編集部へ非難を向ける人が出てきました。ASREAD編集部に対しては、まことに申し訳なく思っております。
 藤井聡をいくら褒め称えても良いですし、私を誹謗中傷しても良いですが(本当は嫌ですが)、ASREAD編集部への誹謗中傷だけはしないでいただきたいのです。それだけは、よろしくお願いいたします。

西部邁

木下元文

木下元文

投稿者プロフィール

1981年生。会社員。
立命館大学 情報システム学専攻(修士課程)卒業。
日本思想とか哲学とか好きです。ジャンルを問わず論じていきます。
ウェブサイト「日本式論(http://nihonshiki.sakura.ne.jp/)」を運営中です。

【ASREAD連載シリーズ】
思想遊戯
近代を超克する
聖魔書
漫画思想
ナショナリズム論

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コメント

    • 渡部幸子
    • 2014年 9月 14日

    お二人の論争、興味深く拝読させていただきました。私は、木村さんの意見に共感を覚えます。

    • 太郎
    • 2014年 9月 15日

    私は、藤井さんの学者としての誠実さが評価できるだけに、今回の極論のごとく「永遠の0」批判は残念に思います。
    全体的に木下さんの仰ることはわかりますが、一箇所について藤井さんを擁護したいと思います。
    木下さんが「権力者に都合の良い手法に共感する権力者」の段落で、アメリカの汚いやり方と藤井さんが権力者であることを結びつけて批判している所は、さすがに無理があるように思います。
    というのも、藤井さんのこれまでの言論を見る限り、アメリカの悪行を十分知っているはずです。
    今回の藤井さんの文章から、彼がアメリカの汚い手法に共感している、と読み取るのも強引すぎます。(私の読解力が問題なら別ですが)
    つまり私は、「アメリカの悪行があったにしろ、事実として日本から手を出したんだから、戦後の新しい日本とか言う前に、とことん勝つためにやらなしゃないやろ」というのが藤井さんの言いたかったことだと解釈しています。
    そして、これは健全というか当然な考えであり、アメリカの汚い手法に共感するかどうかとは関係ないです。
    大学教授や内閣参与がそもそもあんな汚い手法に共感出来るほどの権力ポジションかは知りませんが、この段落だけ読めば、藤井さんの肩書への僻みで、無理やり批判しているように見えてしまいます。

    あと、これは私の個人的な考えですが、負けた日本がいくらアメリカの悪行を咎めても負け犬の遠吠えでしかないように思います。事実として、卑怯な手法を使ってでも勝った方がものを言えるわけですし。
    (もちろん、だから日本もそんな手を使えばいいとか全く思いません)
    日本人としてアメリカの悪行は許せないけど、戦争突入や敗戦にはもちろん日本にも原因があるわけで、そこを見ないでアメリカの悪行ばかり論うのは、過去の日本をただ否定する左翼と同じくらい、実にみっともないです。
    むしろ日本人として日本のどこがダメだったのかをちゃんと反省し、次こそはそんな手に乗らないように、とか、万一戦争になっても勝てるように、とか、以前よりもっと積極的に国家戦略を追求することが健全ではないかと考えています。
    私はこのように考えているため、藤井さんのあの一言をもってアメリカの汚いやり口への共感とする、木下さんの批判に (この部分に限り) 違和感を持ちました。
    そして、藤井さんもこれに近い考えを持っていて、だからこそ戦後日本人に幻滅して、あのような無理のある作品批判をしてしまったのではないでしょうか。
    個人的には、こういう作品については佐藤健志さんの評論を見たいです。笑

    • 太郎さん、コメントありがとうございます。

      > 一箇所について藤井さんを擁護したいと思います。

      擁護だとしたら失敗しています。
      その理由を以下に示します。

      > つまり私は、「アメリカの悪行があったにしろ、事実として日本から手を出したんだから、
      > 戦後の新しい日本とか言う前に、とことん勝つためにやらなしゃないやろ」
      > というのが藤井さんの言いたかったことだと解釈しています。
      > そして、これは健全というか当然な考えであり、
      > アメリカの汚い手法に共感するかどうかとは関係ないです。

      私には不健全だとしか思えません。
      「勝つ」ためには、相手の悪行はきちんと批判し、
      国際的に自国の正当性を主張しておくことはきわめて重要です。
      戦中も戦後も、日本はそういった宣伝戦があまりうまくないように思えるので、
      そこは強化すべきだと考えます。

      > 大学教授や内閣参与がそもそもあんな汚い手法に
      > 共感出来るほどの権力ポジションかは知りませんが、

      私はその手法について、
      「個人単位でも使用可能な汎用性の高いもの」だと述べています。
      彼の立場が権力者でないというのは、さすがに無理があると思いますが。

      > あと、これは私の個人的な考えですが、
      > 負けた日本がいくらアメリカの悪行を咎めても負け犬の遠吠えでしかないように思います。
      > 事実として、卑怯な手法を使ってでも勝った方がものを言えるわけですし。
      > (もちろん、だから日本もそんな手を使えばいいとか全く思いません)

      私は、このような「勝てば官軍」のような思考は大嫌いです。
      そもそも、太郎さんが悪行により被害を受けたとき、
      悪行を咎めて公的機関や友人などへ助けを求めないのでしょうか?
      太郎さんは、自身の場合を棚に上げて、
      日本にだけハンディキャップを押しつけているようにしか見えません。

      仮に太郎さんが、自分が悪行によって負けても泣き寝入りするというのなら、
      そのドM人生に反対はしませんが、日本にもその考えを押しつけないでください。

      > 日本人としてアメリカの悪行は許せないけど、
      > 戦争突入や敗戦にはもちろん日本にも原因があるわけで、
      > そこを見ないでアメリカの悪行ばかり論うのは、
      > 過去の日本をただ否定する左翼と同じくらい、実にみっともないです。

      「アメリカの悪行ばかり論う」というのは、
      誰がどこで言っていることですか?
      今回の一連の議論でも、
      私が言ってもいないことを、
      私が言ったかのようにして非難してくる手口がけっこうあります。
      そういった手口には、もううんざりなんですが。

      > むしろ日本人として日本のどこがダメだったのかをちゃんと反省し、
      > 次こそはそんな手に乗らないように、とか、万一戦争になっても勝てるように、とか、
      > 以前よりもっと積極的に国家戦略を追求することが健全ではないかと考えています。

      私も反省は重要だと考えています。
      ですから、たとえ負けたとしても、
      相手の悪行はきちんと言い立て、
      国際的な正当性や優位性を得ていくべきだと考えているわけです。

      PS.
      不毛なコメントにつきあうのも時間の無駄なので、
      今後は回答するコメントは厳選させていただきます。

        • 太郎
        • 2014年 9月 15日

        すみません、私の文章能力の問題もありますが、少し論点が見えづらくなってしまいましたので、改めてまとめますと、
        「権力者に都合の良い手法に共感する権力者」の段落では、藤井さんが権力者であるという理由で、権力者が一般に共感する (であろう) かつてのアメリカの汚いやり口に藤井さんも共感している、と木下さんが主張していることになってしまいますが、それは強引すぎませんか?ということです。
        全体的に木下さんが批難している趣旨は支持しますが、この部分はその趣旨からもずれていると思いますし、はたから見れば、彼の肩書に嫉妬して批判それ自体が目的になっているように見えてしまいます。

        以下は蛇足かもしれませんが、ご返信していただいた論点に対する返答です。
        >私には不健全だとしか思えません。
        >「勝つ」ためには、相手の悪行はきちんと批判し、
        >国際的に自国の正当性を主張しておくことはきわめて重要です。
        >戦中も戦後も、日本はそういった宣伝戦があまりうまくないように思えるので、
        >そこは強化すべきだと考えます。

        もちろん、私もそう考えています。
        私が言いたかったのは、ストレートにあそこの藤井さんの言葉を解釈すれば、アメリカに嵌められたにしろ、「事実として」日本から攻撃してしまったわけですから、とことん勝つためやらなしゃあないやろ、ということになり、そこからアメリカの汚い手法に共感するかを読み取るのは強引では?ということです。
        そして、そもそも藤井さんでも誰でもまっとうな日本人なら、当時の日本人の立場にたって考えたら、「とことんやらなしゃあないやろ」と考えるのは当然で健全なナショナリズムでしょ?という話です。
        これは別に、上記の木下さんの意見と矛盾しませんよ。

        >私はその手法について、
        >「個人単位でも使用可能な汎用性の高いもの」だと述べています。
        >彼の立場が権力者でないというのは、さすがに無理があると思いますが。

        まず、私は彼の立場がそんな権力者かは「知らない」と言っており、「彼の立場が権力者でない」と私が言っているかのごとく断ずるのは、さすがに無理があります。
        そして、私の論点はそこではなく、「藤井さんがそんな権力者であるかは関係ないのに 、権力者であることを理由にアメリカの汚い手法と結びつける」ことが強引ではないか?というところです。
        私には強引に見えますので、その段落だけ読めば、ただ藤井さんの肩書に嫉妬して、批判それ自体を目的としているように見えました。

        >私は、このような「勝てば官軍」のような思考は大嫌いです。
        >そもそも、太郎さんが悪行により被害を受けたとき、
        >悪行を咎めて公的機関や友人などへ助けを求めないのでしょうか?
        >太郎さんは、自身の場合を棚に上げて、
        >日本にだけハンディキャップを押しつけているようにしか見えません。
        >仮に太郎さんが、自分が悪行によって負けても泣き寝入りするというのなら、
        >そのドM人生に反対はしませんが、日本にもその考えを押しつけないでください。

        私も最初のコメントで明記している通り、「勝てば官軍」なんて全く考えていませんよ。
        ただ事実として、現実はそういう面が強く、そんな甘くないでしょってことです。(かつてのアメリカの悪行を訴える公的機関として国連が頼られるはずがありませんし)
        なら、相手の事をとやかく言う前に、まず日本として二度とそんな目に会わないように、しかるべき対策をすべきだと考えているわけです。
        別に、アメリカの悪行を責めるな、とか言っているわけでなありません。

        >「アメリカの悪行ばかり論う」というのは、
        >誰がどこで言っていることですか?
        >今回の一連の議論でも、
        >私が言ってもいないことを、
        >私が言ったかのようにして非難してくる手口がけっこうあります。
        >そういった手口には、もううんざりなんですが。

        そういう風に伝わってしまったのなら、私の文章力の問題ですので、申し訳ありません。ただ、私は別にそのつもりはありませんので、一応弁解しますね。
        その段落の初めで私が書いているように、補足として「個人的な考え」を述べたまでであり、「アメリカの悪行ばかり論う」のを否定したのは、先程述べた「まず日本として二度とそんな目に会わないように、しかるべき対策をすべき」という本来の主張への裏付けであり、アメリカの悪行を論うのをやめろという意味でもありません。そして、この「個人的な考え」の段落の目的は、これまでの言論を見る限り、アメリカの悪行を知っているはずで、そしてそれに憤慨もしているはずで、現在も国土強靭化などで精力的に活動されている藤井さんなら、これに近い考えを持っているのではないかと考えられるのに、彼がアメリカのやり口に共感しているとする、木下さんの主張に違和感をもった根拠を補足するためです。回りくどくて、すみません^^;
        あと、「言ってもいないことを、言ったかのようにして非難してくる手口」を言うのなら、この「権力者に都合の良い手法に共感する権力者」の段落の主張こそ、藤井さんに対するそれに当たってしまいますし、私に対するコメントでもその傾向がありますね。

        >私も反省は重要だと考えています。
        >ですから、たとえ負けたとしても、
        >相手の悪行はきちんと言い立て、
        >国際的な正当性や優位性を得ていくべきだと考えているわけです。

        もはや言うまでもありませんが、私もそのように考えているとお分かりいただけるのではないでしょうか。別に日本のそのような宣伝戦を否定なんてしていません。

        最後に、改めて断っておきますが、この度の藤井さんの評論に対する木下さんの批判の趣旨は支持しています。だからこそ、「権力者に都合の良い手法に共感する権力者」の段落はその趣旨からはみ出ているのを指摘したわけです。
        この段落での論法はいわゆる詭弁というヤツで、しかも文章の後半という重要な部分ですので、部分的とはいえ、藤井さんを擁護したわけです。
        どうしても、あの一言をもって「藤井は大学教授で内閣参与もやっている権力者だから、権力者が好きそうな、かつてのアメリカの汚いやり口にも共感しているのだ」と強弁するのなら、この議論は不毛ですので、私もだまりますね。

  1. 初めまして、私ブロガーの 「みぬさ よりかず」と申します。

    実は、私のブログの「国家戦略特区」blogで

    『永遠の0擁護論』というエントリーをアップしました。

    http://ameblo.jp/minusa-yorikazu/entry-11904811441.html

    ご覧頂ければ幸いです。

    永遠の0に関しては、出版された当初から、保守派から批判が有ったと思います。

    その点では、藤井氏の批判は保守として当然なスタンスかと思います。

    というか余りにも当然過ぎて、藤井さんは保守派なんだなと再認識した次第です。笑

    しかし、私としては、文庫本が520万部以上売れて、何故映画が大ヒットしたのか、

    この構造に注目しております。

    つまり永遠の0に関して一番批評すべきことは、このヒットの原因であって、

    更にその先に議論が展開するのにな・・・・・と思う次第です。

    • みぬささん、コメントありがとうございます。

      『永遠の0擁護論』も見させていただきました。
      議論がこれ以上広がると私のキャパが追いつかないので、
      コメントは差し控えさせていただきます。

      「保守として当然なスタンス」というのが、
      私には理解できないのですよね。
      感動したならその理由を言えば良いし、
      悪かったらその理由を言えば良いだけだと思うんですけどね。

      ヒットの原因も、私には単純なことしか思い浮かばないですね。
      原作者が、丁寧に過去の作品を調査し、それらを丁寧にまとめあげたからでしょう。
      映画も、原作をうまく再構築し、丁寧に作ったからでしょう。

    • スットコおっちょこちょい太郎
    • 2014年 9月 15日

    私は藤井氏の提唱する国土強靭化はさっさとやればいいと思っているけれど、今回の件はこちらの木下さんの仰ることの方が冷静だと思います。

    環境が人を作るってことはあると思うし、自分の息子が自分の思考フレームと似たものになりがちだと言うことはよくあることじゃあないのかなとおじさんは思います。木下さんは家庭があるのか解らないけれど、もし自分の子供を任せるなら藤井氏より木下さんだなあと思います。勿論お二人にお会いしたことはないし、文章だけで判断するということは危険だけれど二択ということになれば、ですよ。

    極端なことを言えば思想家評論家というのは突飛なことを言ったっていいと思う。おかしなことを言ったっていいと思う。その影響に対して責任を取る姿勢をもつことが出来れば。自分の市場を確保し続けるのに意固地な思想業者みたいな人居ますからね。

    「大衆」ってそんな意味じゃないのになあ。と藤井氏の動画を見てよく思いますよ。時代と地域文化を限れば、保守思想(に見える)専門人てのもあり得ると思うんですな。キャラクターと言うか。それを見て直情的に喜ぶ方にも罪はありますな。

    バラバラで申し訳ない!!!木下さんガンバッテ!!

    • スットコおっちょこちょい太郎さん、コメントありがとうございます。

      冷静なご意見ありがとうございます。

      私はまだ家庭を持っていませんが、
      子供好きなんですよね。

      私の言っていることは何も特別なことではなく、
      ごく普通の人や親が身につけている常識でしかないと思っています。

      > 木下さんガンバッテ!!

      ありがとうございます。
      頑張ります!!!

    • 777
    • 2014年 9月 15日

    「太郎」さんのような絶対的・相対主義者にも困ったものです。
    どちらか一方を悪いと言えば、もう一方も悪いはずだと思い込み、
    どちらか一方の良いところを言えば、もう一方の良いところが語られないと気が済まない。
    当然ですが、
    どちらか一方が100%良いこと、正しいこともあるでしょうし、
    100%悪いこともありうるでしょう。

    左の人間が「日本が100%悪い!」という言説を弄したって、それ自体に問題はないのです。
    その内容に虚偽・捏造・錯誤・妄想が含まれているかどうかなど、
    ようするにその妥当性が問題なのです。

    したがって右だろうが左だろうが、100%でも90%でも、
    意見が偏りを見せているからダメというのはいかにも幼稚であって、
    「お互いの意見を尊重しましょうね~」
    といった小学校教育を原理的に解釈し、それに囚われてしまった結果であるように思えます。

    おそらく、
    「絶対の正義なんてないのさ」
    などのような陳腐な台詞が絶対正義と化しているのではないでしょうか。

      • 太郎
      • 2014年 9月 16日

      すみませんが、名前まで出して指摘をしてくれるのなら、せめて私のコメントのどの点が、あなたの指摘したい所なのか、くらいは明記していただけますか?
      でなければ、あなたのコメントの最初の「太郎」さん意外の部分はすべて、あなたの頭の中の架空の人物に対してあなたが妄想で一方的に指摘しているだけに見えますよ。
      それこそ、木下さんのお言葉を借りれば、「人が言ってもいないことを、言ったかのようにして批難してくる手口」はやめていただきたいです。

    • 777さん、コメントありがとうございます。

      > 「太郎」さんのような絶対的・相対主義者にも困ったものです。

      確かに困ったものですよね。
      彼の再コメントも、あまりにおかしいので、もう相手にしないことにします。

      もちろん一つずつ反論できますが、
      それをしても彼のような人間には言葉が通じないでしょう。
      また、わざわざそんなことをしなくても、
      最低限の日本語能力と知的誠実性があれば、
      どちらがおかしなことを言っているのかは分かると思います。

      ですので、後は、ここを読んでいる皆様が、
      どちらの言い分が正しいのか判断していただければと。

      私は、あまりの酷さに笑いすらおきず、
      ただただ憐れみの感情が出てきました。
      その後は、もう関わりたくないという嫌悪感しかなくなりましたね。

        • 太郎
        • 2014年 9月 17日

        すみませんね、嫌悪感を与えちゃって。オナニー中に図星を突かれたら、そりゃ嫌な気持ちになりますよね。笑
        ただ、議論の途中で感情が湧いてくるのはいろんな場合があり得るが、今回関連すると思われるのはお主に以下の二パターン。
        一つ目は、自分の嫌な所を突かれて、とっさにその嫌な所を相手に見立てて、感情的に反発する。
        二つ目。相手の論理があまりにも酷い場合になぜか優越感を抱くタイプもいるが、強者や弱者を持ちだして、弱者の味方のごとく振る舞う木下さんが、相手を見下すなんてそんな人のはずありませんもんね。笑

        つまり、木下さんが感情的に反発している「日本語能力と知的誠実性」の欠如はあなた自身ってことですよ。
        その証拠に、木下さんは全く文脈や趣旨を無視して、一言一言について趣旨とずれた方向でしか反論できていません。文脈や趣旨を無視して、全然違う方向に持っていけば、なんだって論破できるし、小学生でもできます。(ま、そもそもそれは議論として成り立っていないけどね)
        その上、「一つずつ反論できます」というのだから、趣旨を理解する意思すらないことが伺える。

        部分的だが、藤井さんの文章に対してもそう。「多様な考えの一部を取り出して、他の意見を批判する危険性」の段落では、藤井さんの意見に一理あると認めたのにもかかわらず、その文脈で読めばとてもそうとは解釈できないような解釈をして、次の段落で藤井さんに難癖をつけています。
        藤井さんの言葉を普通に解釈したらこうなるのでは?と指摘した私に論点のずれた反論をして、その解釈は不健全、と返すのですから、じゃ、その前に一理あると認めた君が不健全ってことになりますね。
        藤井さんの文章の該当する箇所はざっと300文字ちょっと。つまり自分の言語能力で文脈を解釈できるのは300文字程度ってことを自分で証明しちゃってる始末。

        知的誠実性については、すでに指摘したとおり「権力者に都合の良い手法に共感する権力者」の段落の論法はいわゆる詭弁。
        某リフレ派の人顔負け。あ、本当の顔って意味ではないですよ、念のため。本当の顔は寧ろ勝っています。笑

        他人が「自分のことを棚に上げる」のに敏感な木下さんがまさかねえ。。。
        「藤井さんが勝手に葉隠を持ちだして、勝手に解釈して、勝手に他人の作品の難癖を付ける」ことへの批判という本来の趣旨には一理あるだけに残念。
        ま、いくら正論を言ったところで、議論するときの姿勢に人柄がでます。
        自分に肯定的な意見と少しでも指摘してくる意見とでは、まるで態度が違いますからね。
        そのうえ、不毛と一方的に封じれば、おまけに論破した気になれるのですから。
        なかなか面白いものを見させていただきました。

        • monostatos
        • 2014年 9月 21日

        木下さん

        うーん。太郎さんは少しもおかしなことを言っていない用に思いますが。

        それにたいして

        私は、あまりの酷さに笑いすらおきず、
        ただただ憐れみの感情が出てきました。
        その後は、もう関わりたくないという嫌悪感しかなくなりましたね。

        とか罵詈雑言しかなげないのは少なくとも「知的誠実性」という観点からして極めて問題があると思いますよ。

      • 木下さんの意見に賛同します!
        藤井先生はどうされたんでしょうかね?

        ただ、太郎さんの返信に対して以下のコメントは賛同できません。
        逃げというか、中傷というか、良くないと思います。

        「確かに困ったものですよね。
        彼の再コメントも、あまりにおかしいので、もう相手にしないことにします。

        もちろん一つずつ反論できますが、
        それをしても彼のような人間には言葉が通じないでしょう。
        また、わざわざそんなことをしなくても、
        最低限の日本語能力と知的誠実性があれば、
        どちらがおかしなことを言っているのかは分かると思います。

        ですので、後は、ここを読んでいる皆様が、
        どちらの言い分が正しいのか判断していただければと。

        私は、あまりの酷さに笑いすらおきず、
        ただただ憐れみの感情が出てきました。
        その後は、もう関わりたくないという嫌悪感しかなくなりましたね。」

        人間同士、保守同士でも、どんなに話し合ってもわかり合えない事もあります。
        でも、捨て台詞を吐いて話し合いを放棄してはいけないとと思います。
        もう話をしたくないというのであれば、

        「私の話の●●~●●を理解してもらえないと話の決着が着きそうにないんで、疲れたので
        これでお開きにしたいと思いますが、どうですか?
        私も太郎さんの●●~●●がどうにも納得できません。お互い納得できない部分を抱えてて
        この議論が決着つくとは思えないので。」

        という感じでお開きにしてはどうでしょうか?

        私は百田さんも藤井先生も大好きで以前から尊敬しております。
        それだけに今回の藤井先生の話は残念で仕方ありません。

        木下さんのブログは今日初めて拝見しました。
        木下さんのお話に賛同しました。
        それだけに、木下さんのこのコメントが残念です。

        総理大臣、百田さん、藤井先生、木下さん、勿論私も人間ですから誰でも間違いや失敗、勘違い
        気の迷いはあります。
        魔物に魅入られる? こともあります。

        訂正して、やり直せばいいんだと思います。
        みんなでやりなおしましょう。

        日本の事を愛して、良くしようと思ってる人達が喧々諤々やりあうのは良いと思います。
        でも、陰湿な感じになるのは嫌です。
        ぶっちゃけあって、認めるとこは認め、納得できないとこはできないと言い合って
        いま決着がつかなくっても

        それじゃあまたお会いしましょう!にこっ!

        といって握手して別れたほうが前向きだし、人生積極的だと思います。
        みんないい人達なのになんか残念、さみしいですよ。
        アホな文章で失礼しました。

        • 山崎さん、コメントありがとうございます。

          「太郎」の文章は色々と致命的であり、
          そのおかしさは一連の流れを考えながら追っていけば分かります。
          ただ、山崎さんは丁寧にコメントしてくださいましたので、
          礼儀として一つの解答を示すことにします。
          (他の論点については、それぞれで考えていただければと思います)

          ちなみに、本回答は山崎さんへ向けたものなので、あしからず。
          (議論ができない人はお断りという意味です)

          「太郎」は、
          「藤井は大学教授で内閣参与もやっている権力者だから、
          権力者が好きそうな、かつてのアメリカの汚いやり口にも共感しているのだ」
          と書いています。

          これは、完全に改竄です。
          私の元の文章を読んでくだされば分かりますが、私はこんなことを言っていません。
          この手法は、論理学の「逆」を応用した手口であり、
          「だから」という言葉を勝手に挿入して批判可能な文章に作り替えているのです。
          勝手に文意を変更して非難してくるという、極めて悪質な手口なのです。

          その上で、こちらに対し詭弁だとか言ってきているのです。
          改竄も詭弁も「太郎」がしていることでしかありません。

          ここまで悪質な手口に対しては、
          まともに相手をする義理はありません。

          > 逃げというか、中傷というか、良くないと思います。

          私は、
          自分が改竄しておいて相手を詭弁だと罵るような卑劣漢については、
          相手にする価値がないと考えています。
          それを逃げだというのなら、逃げと言ってもらって構いません。
          議論になりませんから。

          しかし、中傷とは「根拠のないことを言いふらすこと」です。
          私は根拠があって非難しているのですから、中傷はしていません。

          コメントに対する返信は自粛するつもりでしたが、
          山崎さんは誠実にコメントしてくださいましたので、
          対応することにしました。

          今後ともよろしくお願いします。

    • kanata
    • 2014年 9月 16日

    私は三橋メルマガの読者です。あの日の藤井さんの記事はあまりにも馬鹿げた内容だったので、私も思わずコメントを書き込んでしまいました。『僕は「永遠のゼロ」の映画を見ていないし、本も読んでいないので、的外れかもしれませんが、藤井さんが指摘された2点、「主人公が後輩にメモを渡したこと」「恩人の奥さんに好意を抱いたこと」が、ありえないとは思いません。時は戦時で、今まさに死のうとする人間が、何とかして妻と子供を守りたいという切実な感情は、柔らかいソファに座って、子供と一緒にポテチを食べながら見ている感覚では、感情移入しにくかったのではないでしょうか?恩人の奥さんに好意を寄せる気持ちにしても、それが道義的に許されないことであっても、現実的には起こりうることだし、しかもこれはフィクションです。お子様の反応は分かります。しかし、藤井さんの反応は大人にしてはナイーブすぎるのではないかと感じます。』私の意見は、映画も見ず、本も読まずに書いたものなので、取るに足らぬものですが、この日はコメントが多く、何も考えずに藤井さんの馬鹿げた意見を賞賛する者、かなり厳しい批判をしている者、半々だったと思います(やや藤井優勢)。木下さんの評論で全体像がよく分かりました。それにしても藤井さん、どうしちゃったんでしょうね。この程度の人だった、ということなんでしょうか?

    • kanataさん、コメントありがとうございます。

      素晴らしいコメントありがとうございます。
      映画や本も見てくださると嬉しいです。

    • 熟成
    • 2014年 9月 16日

    ジーク木下!!!

    • 英樹
    • 2014年 9月 16日

    前回の記事で木下氏は「反・藤井派が利用できるようなものでもないですし」というおっしゃってましたが、案の定ガンガンに利用されていますね。特に新自由主義的な政策に賛同し、保守派を攻撃している所謂「リフレ派」の方たちは喜び勇んで拡散しています。

    https://twitter.com/smith796000/status/511739184701128704
    https://twitter.com/hyakutanaoki/status/511750750104346626

    反・藤井派が盛り上がることくらい想像できなかったでしょうか。それとも木下氏にとっては腹の立つ藤井が貶められて満足ですかね?

    今回の誹謗のような文書でなく、せめてもう少し礼節を持った表現で建設的な批判をすれば国益につながった可能性もあると思いますが、ASREADには心底がっかりしました。藤井一派を貶め、反保守派を喜ばせただけですね。

    木下氏が寄稿しなかった頃に藤井氏たちが紹介することによってサイトのアクセス数も伸びたという事実を知らないわけでもないでしょうし、その程度の礼節も何も持っていない人間の吐く言葉に価値は無いと思います。失礼します。

      • 英樹
      • 2014年 9月 16日

      失礼、もう一つだけ。

      あなたは今回、反・藤井派に利用されるばかりの、国土強靭化に賛成で新自由主義的な政策に反対である日本人にとってマイナスの、藤井氏を貶めるプロパガンダをやっただけのようなものです。

      国益に叶う国土強靭化という政策(木下氏もそれには賛成のようですね)を推し進める旗印である藤井氏を貶め、今得をしているのは反・藤井派のリフレ派、新自由主義者たちなわけです。木下氏の国土強靭化への賛意が口だけでないのなら、今後、藤井氏を罵倒すること以上に拡散させるべき言論活動があるのでは?ということを付けたさせて頂きます。

      しかし、ASREADの代表や編集の方は、このサイトを藤井氏や藤井氏周辺の方たちに紹介していただいたり、寄稿して頂いたりした恩義というものは感じでいないのでしょうか・・・。「トンデモ」だの「よほど自分で考えるということを放棄していない限りは引っかからない」だの「藤井は自死していないと筋が通らない」だのと言うのは明らかにただの誹謗、貶めるための言葉ですよね。

        • 太郎
        • 2014年 9月 16日

        この木下さん、藤井さんの国土強靭化に賛成と言ってはいますが、大学教授と内閣参与という立場から本来弱者を守るためでもある国土強靭化を行っている藤井さんに対して、大学教授と内閣参与という権力者であるという理由だけで、強者が弱者を追い込む汚いやり口に藤井さんが共感している、と断定しているくらいですから。
        上にある私との議論に臨む姿勢を見れば、どの程度の誠実さをもった人か、簡単にわかりますよ。
        本来の趣旨から外れた点を、その趣旨から外れた方向で反論し、体裁だけは論破してやった感を出して、議論を一方的に終わらせて議論に勝ったつもりでいますからね。
        (私が指摘していなかった彼の主張まで、彼自身のコメントのブーメランで論破してしまっているのに。笑)
        日頃、夜な夜な一人でパソコンに向かってやっている自慰行為を、こんな言論サイトで堂々とやっているわけです。さぞかし気持ちいのでしょう。
        今回、藤井さんはそのオカズになっただけです。
        立命館とはいえ、修士課程まで出た人間があのような姿勢で議論を展開し、公開できるのですから、その暑い顔を寧ろ称えるべきかもしれません。
        サイト運営者さんもちゃんと人選んだ方がいいですよ。
        いくらたくさんの本を読んで広い知識を持っていようが、大学でまともに学んだことのある人なら弁えているはずの議論のマナーや素養を持たない人に言論させちゃまずいでしょ。
        今回の藤井さんの評論にもいくらか無理な点はあるように思いますが、この手の「他人の意見は全否定するけど、自分に対しては些細な指摘も許さない」人が藤井さんに噛みつくのはリフレ派の連中で十分に見飽きていますから。

          • Unknown
          • 2014年 9月 17日

          おれ、太郎さん支持する。

        • 突然失礼します。
          太郎さん、私は百田さんの大ファンです。藤井先生も大好きです。お二人を尊敬してます。
          でも今回の藤井先生の件は、とても残念でしょうがありません。

          その流れで、この木下さんのブログにたどり着きました。
          そこで木下さんの文章に納得、賛同しました。
          更に太郎さんの文章を読み、なるほどこの部分はそうかもしれないと思いました。
          ただ、木下さんの以下のコメントはよくないと思い、それを先ほど投稿させて頂きました。

          「確かに困ったものですよね。
          彼の再コメントも、あまりにおかしいので、もう相手にしないことにします。

          もちろん一つずつ反論できますが、
          それをしても彼のような人間には言葉が通じないでしょう。
          また、わざわざそんなことをしなくても、
          最低限の日本語能力と知的誠実性があれば、
          どちらがおかしなことを言っているのかは分かると思います。

          ですので、後は、ここを読んでいる皆様が、
          どちらの言い分が正しいのか判断していただければと。

          私は、あまりの酷さに笑いすらおきず、
          ただただ憐れみの感情が出てきました。
          その後は、もう関わりたくないという嫌悪感しかなくなりましたね。」

          ですが、同時に太郎さんの以下のコメントもよくないと思いました。

          「日頃、夜な夜な一人でパソコンに向かってやっている自慰行為を、こんな言論サイトで堂々とやっているわけです。さぞかし気持ちいのでしょう。
          今回、藤井さんはそのオカズになっただけです。
          立命館とはいえ、修士課程まで出た人間があのような姿勢で議論を展開し、公開できるのですから、その暑い顔を寧ろ称えるべきかもしれません。」

          これは、単なる中傷です。
          しかも下ネタで中傷するのはよくないです。
          売り言葉に買い言葉だったのでしょうけど、太郎さんが正当な議論をしても、この下ネタ中傷で台無しです。

          オナニーは男なら誰でもします。
          でもそれは、子孫を残し、人類を繁栄させるための神様から賜った、崇高な男の肉体的構造なのです。
          人を中傷するネタに使ってはいけません。

          百さんも藤井先生も、木下さんも太郎さんも、日本を愛し平和を愛し、世の中を良くしようと思う仲間で
          喧々諤々するのは良いと思いますが、中傷のための中傷は憎しみを生むだけです。
          この場の議論は議論として、前向きな状況で最後は握手して別れないと、ご自分達の世界を狭くしてしまいます。

          お二人がどっかのパーティーで会った時に気まずい思いをするでしょうし、
          また将来、お二人の息子と娘が結婚するかもしれませんし。
          可能性0ではないですよね(笑)

          第三者の私が余計なおせっかいですが、仲良くやり直して頂けると第三者の一人としても、日本を愛する一国民としても大変うれしいです。
          失礼致しました。

    • 善光寺
    • 2014年 9月 16日

    ツイッターの方よりこの記事を知りまして、興味深く読ませていただきました。
    個人的に特にひっかかった部分としましては、

    父「おまえ,仮にこの主人公みたいな立場になったら,自分の奥さんと子供の事を助けて欲しい,ってメモ,渡すか?」
    中三「そんなん,わたすわけ無いやん」
    父「せやなぁ.まぁ,ここは普通,嫁さん宛の手紙やなぁ.それやったら逆に,このメモ,渡されたらお前,この奥さんに,こんな告白じみたこと言うか?」
    中三「そんなん絶対ゆわんわ.だいたい,先輩に失礼やろ.まじキモい.」
    親子(大爆笑)

    といった文がありましたが、木下さんのいうとおり、安易に嘲笑するのはどうかと思います。
    仮に私が主人公みたいな立場になりましたら、自分がいなくなった後のことを近しい友人(後輩)に託すことはすると思います。
    逆に友人より託されたのなら、その家族を助けると思います。
    その結果、残された人があたらしい自分達の幸せをつかむことはむしろ嬉しく感じるでしょう。
    また、そういった友人がいることが小さな誇りでもあります。

    逆に藤井教授にはそういった心許せる友人がいないのでしょうか?
    個人的にはそういった信頼関係を築けない(藤井教授が築けないといいたいわけではないです)ということは悲しく思う次第です。

    雑文失礼しました。
    木下さんの他記事も時間があるときに拝文できればとおもいます。
    活動がんばってください。

    • 善光寺さん、コメントありがとうございます。

      貴重なご意見だと思います。

      > 木下さんの他記事も時間があるときに拝文できればとおもいます。

      他の記事の方が思想レベルが高かったり、
      思い入れが強かったりしますので、
      そう言ってもらえると大変嬉しいです。

      > 活動がんばってください。

      頑張ります!

    • トージ
    • 2014年 9月 16日

    木下さんは
    「藤井に対して、お前はどうなんだとツッコミを入れてみましょう。藤井は非常に頭が良いので、そういったツッコミも想定済みです。問題の論稿の中で、既に次のように述べていますから。
     
    改めて指摘するまでもなく、この武士道の思想はあらかた蒸発している

    そう言ってから、すぐ後に( )を入れた形で次のように言っています。

    (恥ずかしながら、かくいう筆者も含めて)

    ですから、お前は「犬死か否かを問うことそれ自身を下らない戯れ言」と言って他人を非難しているけど、お前がそれを実践してないじゃないか、と藤井に詰問しても無駄なのです。なぜなら、藤井はすでに自分だけは例外扱いにし、高みの見物を決め込んでいるからです。
     これがいわゆる、自分のことを棚に上げて他人には偉そうに言うってやつですね。」

    「恥ずかしながら、かくいう筆者も含めて」
    これは、自戒を込めた普通の表現で日常的に使われるものだと思いますが、イチャモンに近い見方をしていますよね。

    そしてこれです。
    「そこには、大衆批判が好きな仲間内で、大衆の悪口を言って悦に入るという後ろ暗い情念が透けて見えるからです。大衆の悪口を言って悦に入るという後ろ暗い情念が透けて見えるからです。」

    この二つの文章はその気持ちがあるかないかに対する証明のできない印象操作ではないといえる何かがありますか?

    そういう批判をよしとするのであれば、木下さんは藤井氏を権力者として勝手に位置づけ、それに向かっていく自分をヒーローに見立ててますよね。まともに議論ができる土壌に立っていないと存じます。

      • 同意
      • 2014年 9月 27日

      激しく同意です。

    • 文太
    • 2014年 9月 17日

    「多様な考えの一部を取り出して他の意見を批判するという危険性」
    木下氏の仰る通り。
    しかしながら、批判の矛先を何故藤井氏なのか理解出来ないのです。
    その危険性を一番色濃く映しだし、利用しているのは、男たちの大和、永遠の0ではないのでしょうか。

    確かに現代社会において、藤井氏の書いた内容には批判があるでしょう。
    また、英霊達にも現代思想と同じ考えをしていた人々も居たでしょう。
    しかし現代思想では、理解できない美徳もそこにはあるのです。

    なぜ特攻は、海外(西洋)では理解出来ないのでしょうか。
    なぜ特攻は日本人(一部を除く)には、理解出来るのでしょうか。
    人それぞれ、過去、現代、教育、文化、歴史、宗教、さまざまな場面により物事の善し悪しはかわるのです。

    では何故、永遠の0、では現代思考の強い主人公をもってきたのか。
    たとえば、後輩が宮部を助けた際、宮部は後輩に対し、俺の命より自分の命を大事にしろ、的な発言をしています。
    これは一部の思想を意図的に抜粋し、なおかつ葉隠れの精神を否定するものです。
    つまり「多様な考えの一部を取り出して他の意見を批判するという危険性」そのものです。
    なのに木下氏は、
    「解り易くする為に、自分の身に置き換えて考えてみましょう」………….。
    この発言により木下氏の議論水準が解りました。

    人情、愛情、友情、など現代思考の美を語るのは、大変素晴らしい事です。
    しかし、特攻並びに、日本の為に戦った英霊たちを、その題材に利用するのは辞めて頂きたいと心より祈ってをります。

    • 009
    • 2014年 9月 18日

    木下さん、ごくろうさまです。
    正論です、木下さんの意見は。
    藤井教授は本来チャーミングで利口な人なんですけど、アホなことやってしまいましたね。
    この人の経済本はすごく為になるんですが。
    バカ発見器はツイッターだけじゃないということで。

    戦時中、我々のじいちゃん、ばあちゃん、ひいじいちゃん、ばあちゃん、
    みんなとんでもなく苦労したんですよね。
    いくつもの命が失われ、いくつもの気持ちが引き裂かれたことでしょう。

    そういうことを考えると、
    大石、宮部、松乃・・
    こういう話もあったんだろう、
    もっとつらい話もあったろう、
    そう思います。

    今の平和な世の中に生きている中学生の世界で、
    ある男の子が、自分の先輩の恋人と結ばれる。
    そういう話とは全く状況も前提も違うってこと、
    そんなこと小学校高学年でも分かるだろうに。

    あの映画の大石の苦しみの中での選択を観て、
    「大石はキモい」
    こう言えてしまう感覚、
    いまどきの中学3年ってそんなに幼稚なんですかね。
    ま、親の責任、大ってところでしょうか。
    「いいか、戦争、戦時ってのはな・・」と懇々と諭すどころか、
    「大石、キモい」で一緒に爆笑ですか、立派なパパさんだこと。

    ってことは、藤井教授の息子さんが、大石のような元兵士にあってその事情を聞いたら、
    「おじいちゃんってキモい人だね」と口に出して言わずとも、心の中で思うわけですからね。
    そんな想像すらも働かず、
    「作家と観客総ぐるみで戦った方々全員を貶めている」
    こんなことよく言えたもんだなと。
    貶めて踏みにじってるはどっちだよ、って話です。

    確かにどんな感想を持とうが、どんなところで笑おうが自由です、この国は。
    そしてその人の感想や振る舞いの仕方で、他者がその人をどう評価するかもまた自由なわけですからね。
    藤井教授とその息子に対する評価をさせてもらうなら、
    「親が親なら、子も子だな」
    「この親にして、この子ありってことか、悪い意味で」
    こんなとこですかね。

    藤井教授は45歳、
    書き言葉も話し言葉も理路整然、しかもユーモラス、日本には貴重な人なんですけどね。
    オベンキョーしかしてこなかったってことかな。

    木下さんが、藤井教授の小狡い隠蔽・改竄を明らかにしてくれたおかげで
    藤井教授という人の『程度』が知れてよかったです。
    本当にご苦労さまでした。

    • 009
    • 2014年 9月 18日

    木下さん、ごくろうさまです。
    正論です、木下さんの意見は。
    藤井教授は本来チャーミングで利口な人なんですけど、アホなことやってしまいましたね。
    この人の経済本はすごく為になるんですが。
    バカ発見器はツイッターだけじゃないということで。

    戦時中、我々のじいちゃん、ばあちゃん、ひいじいちゃん、ひいばあちゃん、
    みんなとんでもなく苦労したんですよね。
    いくつもの命が失われ、いくつもの気持ちが引き裂かれたことでしょう。

    そういうことを考えると、
    大石、宮部、松乃・・
    こういう話もあったんだろう、
    もっとつらい話もあったろう、
    そう思います。

    今の平和な世の中に生きている中学生の世界で、
    ある男の子が、自分の先輩の恋人と結ばれる。
    そういう話とは全く状況も前提も違うってこと、
    そんなこと小学校高学年でも分かるだろうに。

    あの映画の大石の苦しみの中での選択を観て、
    「大石はキモい」
    こう言えてしまう感覚、
    いまどきの中学3年ってそんなに幼稚なんですかね。
    ま、親の責任、大ってところでしょうか。
    「いいか、戦争、戦時ってのはな・・」と懇々と諭すどころか、
    「大石、キモい」で一緒に爆笑ですか、立派なパパさんだこと。

    ってことは、藤井教授の息子さんが、大石のような元兵士にあってその事情を聞いたら、
    「おじいちゃんってキモい人だね」と口に出して言わずとも、心の中で思うわけですからね。
    そんな想像すらも働かず、
    「作家と観客総ぐるみで戦った方々全員を貶めている」
    こんなことよく言えたもんだなと。
    貶めて踏みにじってるはどっちだよ、って話です。

    確かにどんな感想を持とうが、どんなところで笑おうが自由です、この国は。
    そしてその人の感想や振る舞いの仕方で、他者がその人をどう評価するかもまた自由なわけですからね。
    藤井教授とその息子に対する評価をさせてもらうなら、
    「親が親なら、子も子だな」
    「この親にして、この子ありってことか、悪い意味で」
    こんなとこですかね。

    藤井教授は45歳、
    書き言葉も話し言葉も理路整然、しかもユーモラス、日本には貴重な人なんですけどね。
    オベンキョーしかしてこなかったってことかな。

    木下さんが、藤井教授の小狡い隠蔽・改竄を明らかにしてくれたおかげで
    藤井教授という人の『程度』が知れてよかったです。
    本当にご苦労さまでした。

    • 梶谷
    • 2014年 9月 18日

    >真珠湾攻撃については、アメリカが欧米を巻き込んで日本を追い込み、日本が先に手を出さざるを得ない状況を作り上げたというのはもはや常識です。
    >フライングタイガース隊、在米日本資産の凍結、日本への石油輸出の禁止、ハルノートなどなど。

    >私が心の底から嫌だと思うのは、こういった強者が弱者を追い込み、手を出させて正当性を演出してから攻撃するという手法そのものです。
    >これって、経済強者や政治権力者にとって、非常に魅力的な方法なのです。ですから私は、アメリカが日本にしたことに怒りを覚えます。

    記事の本旨については概ね賛同するのですが、この部分について違和感を覚えました。

    歴史認識と歴史的事実の問題になりますが、そもそもフライング・タイガースの派遣や在米日本資産の凍結をアメリカが行わったのは、いつまでたっても支那事変が終わらなかったからです。
    支那事変の勃発と長期化の責任は日支双方にありますが、戦いを優位に進めていたのが日本側であるという事実、日本側が自ら和平の道を閉ざした近衛声明「国民党政府を相手にせず」の存在を考えると、
    いつまでたっても支那から手を引かず、居座り続ける日本を英米が脅威とみなすのは当然であり、仮想敵国扱いされるののはやむなしではないでしょうか。
    挙句の果てには仏領のインドシナに進駐し、いわゆる連合国の勢力圏である東南アジアへ手を伸ばす意思をあらわにしたのですから、インドシナ進駐に抗議する形でのアメリカの対日石油禁輸は一定の合理性を持っていると言わざるを得ません(結果的には愚策であったが)。
    実際、緒戦で日本軍は連戦連勝であり、アジアにおける「強者」は紛れも無く日本でした。

    日米双方が、愚かな政権のもとで国益の最大化をはかった結果としての開戦ですから、いわゆる保守論壇で語られがちな、強者が弱者を追い込むという構図は、事実の切り取りが過ぎるのではないでしょうか。
    対日石油禁輸という部分だけ見れば、確かにそのような観方は説得力を持ちますが、「なぜアメリカは禁輸に至ったのか」という点を考慮すると、日本の外交的失敗に目を向けざるを得ません。

    • 朴元文
    • 2014年 9月 19日

    アホくさ。
    藤井さんが、どういう批評をしようが、
    あんたには関係ないだろ。
    どんだけ暇やねんw
    ハイエナ商法で売名とか、
    セコイことするなよバカが。

      • 梶谷
      • 2014年 9月 21日

      アホくさ。
      百田さんが、どういう本を書こうが
      藤井さんには関係ないだろ。
      どんだけ暇やねんw
      ハイエナ商法で売名とか、
      セコイことするなよバカが。

      アホくさ。
      木下さんが、どういう批評をしようが、
      あんたには関係ないだろ。

      このように、「はしごを外す」ような論は、ブーメランとなって帰ってきてしまうものです。
      こういう論を展開しても何も産みませんから、やめておいたほうが良いですよ。

        • 朴元文
        • 2014年 9月 23日

        藤井さんは文芸評論で飯を食ってるわけではない。
        だから、個人的な評論で、ここまで叩かれるのは単なる言論弾圧なんだよ。
        この木下というのは、この記事で原稿料を貰ってるわけだ。
        だから、こいつは批判されても仕方ないんだよ。
        筋違いの反論をしてくるなバカ。

          • 梶谷
          • 2014年 9月 26日

          >ここまで叩かれるのは単なる言論弾圧
          言論弾圧とは、言論をすること自体を「権力の力」によって封じることを指します。
          木下さんは、特に権力を持っているわけではありませんし、むしろ藤井さんの方が社会的な立場は上でしょう。
          明らかに「言論弾圧」という表現は誤用であり、撤回されるべきだと私は考えます。

          そもそも私は、あなたが木下さんを批判すること自体を批判しているわけではありません。
          私も木下さんへの批判はしていますし、公開された評論への更なる評論は自由であるべきです。
          私は単に、あなたの木下さんへの批判が的外れであると考えるから、あなたの批判を批判しているのです。

          上の「関係ないだろ」&「どんだけ暇なんだ」論は、あなた自身や藤井さんにも帰ってくる時点で、論として成り立っていません。
          もっとも、自己批判と藤井さんへの批判も含めて、木下さんを批判しているというのならば、話は違ってくるのですが、少なくともそうは見えません。

            • 同意
            • 2014年 9月 27日

            朴元文さんのようなコメントに反応して、「俺、正論(´ー`)フッ」みたいにおもいたいの?正義漢ぶってる暇人みたいだよ。

            • 朴元文
            • 2014年 9月 28日

            言論弾圧については、俺も書いた後に思った。
            言論封殺にすべきだったと。
            そこは訂正する。
            だが、それ以外はあなたの意見を知っても、変える気にはならない。
            俺はな、こういった「⚪︎⚪︎が、こんなこと言ってましたw」みたいな、告げ口批判が大嫌いなのよ。
            こういうのをハイエナって言うんだよ。
            スカッと生きろよ、バカ野郎。

    • 朴元文
    • 2014年 9月 20日

    おい、逃げずに反論してみろや。
    お前もリフレ派の詐欺野郎か?
    リフレ派って、もれなくクズだよなw

    • 生粋の日本人
    • 2015年 1月 16日

    朴元文 :
    おい、逃げずに反論してみろや。
    お前もリフレ派の詐欺野郎か?
    リフレ派って、もれなくクズだよなw

    ↑これが韓国人?という生き物ですw

    • eegge
    • 2015年 1月 18日

    お邪魔して、投稿させて頂きます。おそらく私が一番年長(75才)の投稿者ではないかと思います。私の遺言と思って付き合って下さい。

    私は或る言説に接した時、言説そのものよりも、その言説の底流にある「人格」を見ることにしています。木下さんには必死に自らを鍛え上げてきた強さを感じます。

    私は私なりに、「大衆の原像」の一微粒子として、戦後を超克すべくのたうち回ってきました。そうした中で、辿り着いた唯一の光明は、日本古来の慣習法である『喧嘩両成敗』でした。この喧嘩両成敗は戦に明け暮れた武士の倫理であり、その原点は仏教、わけても「禅」にあります。木下さんは西田幾多郎にも触れていますが、所謂西田哲学なるものは「禅の哲学」そのものです。西田哲学の核心は「絶対の現在」『永遠の今』すなわち「いま・ここ」における「絶対無」の体認であり、この絶対無の場に於いては、一切の矛盾が統一(弁証法ではないので止揚という概念は不適切)されるのです。生きることは死ぬこと、すなわち生即死ということを、単なる知(理性)ではなく情意を含めて、全人格を挙げて体認するのです、窮極の認識(直覚・般若)を得るのです。多分、特攻隊員たちはこの地点に達して、家族の為は自分の為、国家の為は自分の為という、相対するものが何ら矛盾なく統一された「一なる世界」すなわち「絶対無の世界」に入っていったのではないかと思います。ちなみに仏教ではこの世界のことを「彼岸」あるいは「浄土」といっています。慣習法とは無意識の法です、無意識の意識として日本人の中に今も生きているのです。

    先の戦争で、私たちは『喧嘩両成敗』という自らの倫理を省みず、戦争に踏み切りました、これが第一の誤りでした。第二の誤りは東京裁判で「片成敗」を受けながら、それを是とする自虐史観と非とする自尊史観に分かれ、未だに不毛の議論が続いていることです。私たちがなすべきことは、ただ懺悔することだけではなく、ただ自国の正当性を主張するだけでもない、「両成敗」の倫理的意義を連合国に知らしめることです。といっても、連合国に報復するということではありません、謝罪と反省を促すのです。連合国(米、英、仏、中、ロ)は戦後70年間、40以上の戦争・紛争に関与し「片成敗」を続けて来ました。その結果、当然のコストとして、テロ(弱者の報復)に脅えるはめになっています。日本国政府としてではなく、私たち一人一人が「民衆」として、「どっちもどっち」の紛争の為に「どっちも」が多大の犠牲を払うという報復の連鎖を断つ為に、『喧嘩両成敗』の倫理的意義を、国際社会に拡散しなければならないと思います。(具体的方策については割愛)

    『喧嘩両成敗式目』
    1、天下泰平に反する戦は絶対悪である
    2、戦の裁定者は客観的第三者でなくてはならない
    3、戦の当事者双方はその理非を問わず罰せられねばならない
    4、戦の当事者双方はその罪に相当する罰を受けねばならない
    5、戦の当事者に加担した者も同様に罰せられねばならない
    6、斯くして報復の連鎖は断たねばならない

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