あるオタク評論家の女性問題 ― ジェンダー規範の罠 ―
- 2015/1/29
- 文化
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オタキングが実はモテキングだった件
オタキングとして知られるオタク評論家・岡田斗司夫氏の愛人問題が話題になっております。経緯をごく簡単にまとめれば、事件の発端は愛人のAさんがツイッターで岡田氏とのキス写真を流出させたこと。
岡田氏は当初、Aさんは精神的に不安定で、流出させてしまったことを後悔していると説明、また自分が(最盛期は)八十人に至る愛人を持っていたともカムアウトしました。
が、後日、彼のコメント入りの愛人リストまでがネットに流出してしまい、それがかなりゲスなものだったため、事態が急激に悪化したのです。女性を事細かにランクづけ、
「若い子は騙して抱いて、終わったら捨てろ」というのが僕の中の法則
などといった記述すらありました(ただし、このリストについて岡田氏は「ほとんどは私が、仕事で会っただけの女性に対する妄想を書いたものです。ほとんどは実在の人物を元にした創作であり、そのような事実もないのに、名前を出されてしまった方々に心からお詫びします。」と弁明、謝罪をしています)。
本件において、岡田氏を擁護するのは難しいかも知れません。
ぼく自身、どうしたスタンスを取ったものか、判断しかねています。
何しろ岡田氏はオタク界の語り部として長らく活躍してきましたし、ぼくも親しみのような感情を持っています。
そんな彼が、しかもよりにもよってオタクのイメージとは相容れない「ハーレムを築いていた」などという事件で騒がれているのですから。
が、ここで敢えて言うのであれば、やはり「第三者が過度に騒ぐようなことじゃないなあ」との印象を、ぼくは持ちました。
事件の発端となったAさんとの件について、岡田氏はニコニコ動画の自らの番組「ニコ生岡田斗司夫ゼミ 1月11日号 岡田斗司夫の謝罪と、9人の彼女たちについて」*1において事情を語り、またAさんに「連絡をください」と呼びかけていました。
一方、この生放送と同時進行で、Aさんも自らのツイッターアカウントでつぶやきを続けていました。そこで彼女は岡田氏の言うことは事実とは違う、とご立腹でした。
放送のコメント欄の反応では岡田氏に対し、「もうAさんは放っておいてやればいいのでは」というものが多かったのですが、彼は真剣な表情で、「いや、彼女は助けを求めている、責任を取りたい、彼女とやり直したい(大意)」と言い続けていました。
以下は(岡田氏にもAさんにも)かなり失礼なことを書きますが、ぼくはそんな岡田氏を正直、「ストーカーっぽい」と思いました。恐らくですが、多くの人々がそう思ったのではないでしょうか。
しかし一方、岡田氏によればAさんはかなりメンタルが不安定な状況だったそうです。彼女のツイートを読んだ時も正直、「メンヘラっぽい」と感じました。これも、あちこちで散見された感想です。岡田氏の言い分を信じるならば、Aさんも事態を自分に都合よく語っている可能性は大いにあります。
「岡田氏がものすごい思い込みで女性をストーキングしている」可能性もあれば、「女性にものすごい思い込みで悪く言われているにも関わらず、しかし岡田氏が彼女を切り捨てることができず、何とかしようと奮戦している」可能性もあります。
むろん、百歩譲ってAさんとの件については岡田氏に分があるとしても、愛人リストの件になるや、岡田氏の味方をするのはやはり格段に難しくなります。
先の「内容がフィクションだ」との言い分は、(あくまで個人の印象ですが)正直ちょっと信じにくいですし、ツイッターなどでは岡田氏と関係があったと自称する女性の書き込みも出て来ているようです。
「若い子は騙して抱いて――」などゲスの極みだとは思いますが、ただ、敢えて言えばそれもあくまで仲間内での馬鹿話の上で出て来た表現ではあります。岡田氏を難じている人たちも、彼女の悪口を男友だちに、彼氏の悪口を女友だちに言ったことはあるのではないでしょうか?
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2コメント
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岡田氏をオタクの代表と考えると話がややこしくなりますが、これって「強者男性が多くの女性を獲得していた」という、それ自体はどこにでもある話なんですよね。家族を解体し、男女関係が自由になればこの傾向はより強まるのでしょう。フェミニズムが称揚するノルウェーでも実質的に勝ち組男性が女性を独占する国家になっているとも聞きますし、ある意味彼女たちは女性の本能に最も忠実な人達なのかもしれません。
> しかし「結婚」を「男性の女性への支配のシステム」であるとして否定してきたのはフェミニズムであり、岡田氏の主張はそれと見事に符合します。
となると、果たして本件を、フェミニストや彼女らに唱和してきた進歩派インテリたちは、批判する資格があるのでしょうか。
LITERAというリベラル寄りのサイトでは、岡田氏の著書をミソジニーに溢れていると非難しています。http://bit.ly/1vin0NS
仮にそれを認めるとして、今回の件はそのような男性であっても全く女性には不自由してはいなかった、ということを示しています。おそらく岡田氏はこんな批判は歯牙にもかけないでしょう。それでも付いてくる女性がいるのですから。それが家庭から解放された男女の自由な結び付きなのだとすれば、リベラル派がどうこう言う筋合いのものではないはずです。
しかしここで皮肉なのは、おそらくそういう「自由恋愛市場」において求められるのはフェミニスト的な女性ではないだろうということです。流出した岡田氏のリストにも「従順度」などという採点項目があり、口うるさい女性など最も嫌っているのでしょう。女性を選べる立場なのだから当然ですが。フェミニストは強者男性を求めても強者男性はフェミニストを必要としていないわけで、そうした女性たちのための処方箋が「おひとりさまの老後」だったのかと思うと、なかなか笑えないものがあります。
コメントありがとうございます!
どうもお返事が遅くなり、すみません。
>これって「強者男性が多くの女性を獲得していた」という、それ自体はどこにでもある話なんですよね。
そうなんですよね。
一部には「岡田斗司夫は女性差別主義者だ!」という論調を展開したがる人もおり、まあ、あのリストを見て女性が不快感を感じること自体は無理もないのですが、個人と個人で片をつけてもらうしかない問題にこうしたイデオロギーをまとわせること自体がもう、お里が知れる、という感じなんですね。
>LITERAというリベラル寄りのサイトでは、岡田氏の著書をミソジニーに溢れていると非難しています。
ぼくの著作をねじ曲げて吹聴した田岡尼師匠じゃないですかw
学問としては斜陽のフェミニズムですが、しかしこうしたサイトはいくつもあり、発言の機会は多く用意されていますね。
見ていくと、田岡師匠は
>女性には“もっと自由に生きられる!”と聞こえのいい言葉で性の解放を謳いながら、その内容はおっさんにとって都合のいい女を量産したいだけ。
と書いていますが、岡田氏の主張がフェミニズムと符合する以上、フェミニズムもまた、
>女性には“もっと自由に生きられる!”と聞こえのいい言葉で性の解放を謳いながら、その内容はフェミニストにとって都合のいい女を量産したいだけ。
とのブーメランを受けることになるのですが(この直後、ミソジニーだホモソーシャルだと書き連ねているのには、失笑してしまいました)。
>フェミニストは強者男性を求めても強者男性はフェミニストを必要としていないわけで、そうした女性たちのための処方箋が「おひとりさまの老後」だったのかと思うと、なかなか笑えないものがあります。
同時に今のネットで散見される、フェミニストたちの凄惨な弱者男性に対する攻撃は『おひとりさまの老後』と対をなす、さしづめ『男おひとりさま氏ね!』とでもいったものであると言えますね。
岡田氏は「だめんず・うぉ~か~」の対談において、倉田真由美氏に未来の家族論、恋愛論を語っていました。
いまから10年以上前ですが、その時語ったことそのままの行動を実践していたようですね。
対談なので話は色々飛んでしまうのですが、
要点としては今後恋愛や結婚は趣味の問題でしかなくなる
個人が自立していけば当然そうなる。
岡田氏はフェミニストを自認してないですが、
個人の自由を礼賛する立場であり、フェミニズムと親和的な価値観をもっている人なのが伺えます。
なので従来の家族観や、ロマンティックラブイデオロギーなども否定する立場です。
倉田氏は離婚直後のシングルマザー状態のときで、
「女性の自立、解放」といった面ではフェミニズムに賛同する立場です。
雀荘に入り浸っていたような人ですし、深澤真紀氏との交流もある方ですので。
ただ頭ではなく、心情的な面では伝統的な価値観を持っている人でもあります。
少女漫画を書いていたり、サッカー部のマネージャーになる人ですから。
ですので岡田氏の意見に理論的には納得しながらも、心情的に否定するという対談となります。
岡田氏が語ったのは、未来の社会で待っているのは、
男の8割は非モテとなり、2割だけモテる世界が来る。
自分は2割に入れるように努力しているということでした。
女性が自由な選択権をえることによって、恋愛強者が女性を独占する時代がくると。
倉田氏は言ってることはわかるけど、それには納得しがたいと言います。
複数の女の一人になることは嫌だし、
女性は加齢とともに恋愛競争力が落ちるのが目に見えているから女に不利ではないかと。
岡田氏は、そしたらランクを下げて8割の非モテの中から伴侶を選べばいいと説きます
倉田氏はそれも納得しがたい様子でした。完全な自由恋愛は女にとって無理ゲーではないかと。
この対談は10年以上前の話なので、今現在は倉田氏の考え方は変わっているかもしれません。
しかし岡田氏の考えは当時とほとんど一緒だとおもいます。
そしてこの倉田氏の考え方こそ、ネットフェミニストの反発と同じだと思いますね。
岡田氏の行為に反発を覚えるのは、一夫一妻制であったり
ロマンティックラブイデオロギーであったり、
伝統的価値観(といっても100年程度でしょうが)にそぐわないからであって、
本当のフェミニストであれば岡田氏の行為を当然のものとして受け取るべきだとおもいます。
個人が、そして女が自由になればこうなるのはむしろ当然なのですから。
岡田氏こそフェミニズムの行者といってもいいとおもいます
大事な点として、岡田氏はみてくれこそアレですが東大講師やらなんやら務めた社会的強者で、
好き嫌いはともかく知識も知能も凡人より数段上の知的強者なわけで、恋愛強者といってもいい。
真の強者にとってはフェミニズムって都合がいいんですよね。男側にとっても。
既得権益に唯拠する男にとっては都合が悪いけど。
もし批判するのだとしたら、もし女が同じことをすればもっと非難されるのではないか?という視点とかでしょう
あと女性が未だに弱い立場にいることが多いから、経済的社会的に強者の男性に囲われやすいとかね。
あと岡田氏はハーレムを作りながら、女性が同じことをしたら激怒したとかならわかる。非対象性の批判として。
社会構造としての批判はアリだけど、倫理的に岡田氏を批判する根拠はフェミニズムには本来ないはず。
だから有象無象のネットフェミニストはともかく、
アカデミアのバックボーンがあるフェミニストは批判してないんじゃないですかね?してるのかな・・
しかし倉田氏が反発したように、フェミニストを自認しているような人でも伝統的価値観は残っていたりする
そういう人たちが、ミソジニーという言葉を乱用して岡田批判しているのだとおもいます。
またフェミニスト男性が岡田氏に覚えている反発も、
デブキモオタのおっさんが女性を囲うなんてうらやま・・否、許せん!ってとこだとおもいます。
ただ結局のところ、倉田氏みたいな反応がほとんどだとおもうのですよね。
フェミニストを自認しているにせよしないにせよ、
女性が自立して選択肢が増えることには賛成。もっと自由に、強くなりたい。
でもお姫様でありたい。女性ジェンダーのおいしいところは手放したくない。
恋愛弱者の男の伴侶にならなくてすむ自由はほしい。
しかし恋愛強者の大勢の女の一人になるのは許せない。
女同士で競争するには疲れる。しかも若い女が次々現れる不利な競争ではないか!
女が逆ハーレム作るのは生物学的にも難しい。納得がいかない!
原因は男が情けないことにあるのだ。みんなが王子様になれば幸せになれるのに!
女が強くなった分、男も強くならないのが全ての原因だ!
まあ後半あたりにきずきはじめたから、女性のフェミニズム離れが進んだのだと思います。
なんだかんだいって、まだ恋愛したい人、未練がある人の方が多数派ですから。
フェミニストでも恋愛そのものに否定的な人は、今回の件に怒らないんじゃないですかね?
それはそれで少子化不可避という問題がでますが、
そこらへんを精子提供によるシングルマザー推奨とか、
生殖と恋愛の分離をはかることで解決しようとしているようにもみえる。
はじめまして、コメントありがとうございます!
おっしゃる本は読んでいないのですが、岡田氏は一時期恋愛本をよく出していて、彼の著作『恋愛自由市場主義宣言!』でもくらたまさんと対談していますね。
ここでの彼の主張は「オンリーユーフォーエバー幻想はもう古い」というもので、これがフェミニズムの「ロマンチックラブイデオロギーの否定」と「完全に一致」しているわけですね。
>社会構造としての批判はアリだけど、倫理的に岡田氏を批判する根拠はフェミニズムには本来ないはず。
>だから有象無象のネットフェミニストはともかく、
>アカデミアのバックボーンがあるフェミニストは批判してないんじゃないですかね?してるのかな・・
ぼくが見る限り、フェミニストが名指しで岡田氏に文句を言っているのは見たことがないです。
ただ、それはオタク界隈のフェミは岡田氏とつきあいもあって文句を言いにくい、という程度のことであって、理を通しているからではないと思います。
おっしゃるようにくらたまさんが岡田氏に反発したのは、論理的には矛盾しているし、多くのフェミニストがそうした論理的矛盾、ダブルスタンダードを平然と押し通そうとしているというのは、後半でご指摘なさっている通りだと思います。
>あと女性が未だに弱い立場にいることが多いから、経済的社会的に強者の男性に囲われやすいとかね。
ここはどうでしょう。
それは単に「男は仕事を得られないと死ぬが、女は結婚に逃げ込める」ということでしょう。
もちろん、その女性が必ずしも好ましい男性に「囲われる」保障はないけれども、死ぬ以外選択のない男性に比べればこれ以上はないほどに恵まれた立場なわけです。