あるオタク評論家の女性問題 ― ジェンダー規範の罠 ―

モテキングが萌えキングになるのもまずい件

 以上のようなわけで、本件に対しては突きつめれば「当事者同士で裁判ででも争ってくれ」という以上のことは言いにくいのです。

 仮に、ぼくたちが面識を持たない「○子さんと×夫さんが痴漢をされた、いやしてはいないでもめていた」としても、どちらの味方にもなれない、その程度のことだと思うのです。

 仮に○子さんが×夫さんを訴え、×夫さんが有罪判決を受けたとしても、今のぼくたちは「いや、何でもかんでも痴漢認定されるらしいし、よくわからないぞ」くらいにしか思えない。

 そしてそれはむろん、一面では司法や警察の問題でもあるとは言え、同時に「女性はいかなる時も被害者、男性はいかなる時も加害者を演じざるを得ない」というジェンダー規範こそが問題の根源であることも、ぼくたちは理解しつつあります*2。
そうなると本件の岡田氏がいかに黒く見えても、第三者がそれをジャッジすることではないなあとしか、言いようがないのです。

 さてそうは言っても、目下、ネットは岡田氏を批判する声で溢れています。オタク御用達のBBS「ふたば☆ちゃんねる」などでも連日スレッドが立ち、岡田氏への罵詈雑言が並べ立てられています。

 実のところ、岡田氏はオタク界でも元から敵が多く、彼を難じる人は多かったのです。

 が、しかし、と思います。

 岡田氏は十年ほど前に、『フロン』、『恋愛自由市場主義宣言!』などといった恋愛論の本を出していました。

 『フロン』では「家庭から夫をリストラせよ!」とぶち上げるなど、語られているのは、一言で言えばフリーセックス論、家族解体論です。
これら著作も、今となっては「自分が多くの女性に手を出したいがための自己正当化だろう」などと批判されており、またそう読めるのも事実です。

 しかし「結婚」を「男性の女性への支配のシステム」であるとして否定してきたのはフェミニズムであり、岡田氏の主張はそれと見事に符合します。

 となると、果たして本件を、フェミニストや彼女らに唱和してきた進歩派インテリたちは、批判する資格があるのでしょうか。

 青年たちをセックスから遠ざけるのは間違っている、女性の自己決定権を重要視せよといった、リベラルな口当たりのいい言葉の果てにあったのが本件だとするならば、リベラル寄りの文化人は、あまり岡田氏に文句も言えないのではないでしょうか?

 ただ、本件でぼくが何より感じたのは、(上に書いたような、フェミニズムに同調するような主張の一方で)岡田氏も相手の女性も、驚くほどジェンダー規範の縛りから抜け出せず、まんまとその罠にハマってしまった、ということでした。

 岡田氏の愛人であった女性の中には、DVにあったと主張する方もいらっしゃいます。
 が、先のニコ生で語ったところによれば、岡田氏にはどうもSMめいた嗜好があるようで、そうなるとSMプレイを後づけで「無理に非道いことをされた」とするのはかなり容易なことです。むろんいずれにせよ、ぼくには岡田氏が正しいとも相手の女性が正しいともジャッジする裁量はありませんが。

 岡田氏は上に挙げたニコ生で「ぼくはMの女性が好き、このSとはサービスのS、Mは満足のMというのがぼくの持論だ」と語っていました。正直、失礼ながら、評論の世界において常に新たな視点を提示してみせてきた岡田氏にしては、随分と凡庸な自説だと感じました。

 この凡庸さの本質は、彼が骨の髄からジェンダー規範に絡め取られているところにありましょう。SMでなくとも、男性は加害者となってしまう、女性は被害者となってしまうリスクを常に背負わされており、そしてそうした事態に対するぼくたちのリスクマネジメントはあまりにも稚拙です。

 しかし、かと言って「ジェンダーさえリセットすれば夢の世界が来るのだ」などと言う幼稚な論調には乗っかれないこともまた、事実です。

 フェミニストたちすらも、実のところそうした世界を望んでいないのは、岡田氏以外のオタクが現実の恋愛に背を向け、アニメの美少女との恋愛に耽溺し始めたとたん、そうした「草食系男子」を難詰し始めたことからも、それは明らかです。

 ぼくたちは「この期に岡田氏をつぶし、後釜に座ろう」などとけちくさい了見を捨てて岡田氏と女性たちを仲裁し、しかる後にもうちょっとだけ穏健な男女関係のあり方を模索するべきなのではないでしょうか。

*1 http://www.nicovideo.jp/watch/1421125974
*2 フェミニストはこの種の問題について「司法や警察が悪いだけだ」と逃げ回りますが、ジェンダーフリーを説く彼女らは何故、こうした(一面では女性差別的でもある)司法や警察に対し、一切の批判をしないのでしょうか。

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西部邁

兵頭新児

兵頭新児

投稿者プロフィール

アキバ系ライター。
主著に『ぼくたちの女災社会』
女性ジェンダーが男性にもたらす災いとして「女災」という概念を提唱。
ついついフェミニズム批判ばかりをしていますが、自分では「男性論」、「オタク論」がフィールドだと思っています。
ブロマガ「兵頭新児の女災対策的随想、兵頭新児の女災対策的随想(http://t.co/gpKQJTszv9)」もよろしく。
ご連絡はshin_2_h@ybb.ne.jpまで。

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コメント

    • rainmaker
    • 2015年 1月 31日

    岡田氏をオタクの代表と考えると話がややこしくなりますが、これって「強者男性が多くの女性を獲得していた」という、それ自体はどこにでもある話なんですよね。家族を解体し、男女関係が自由になればこの傾向はより強まるのでしょう。フェミニズムが称揚するノルウェーでも実質的に勝ち組男性が女性を独占する国家になっているとも聞きますし、ある意味彼女たちは女性の本能に最も忠実な人達なのかもしれません。

    > しかし「結婚」を「男性の女性への支配のシステム」であるとして否定してきたのはフェミニズムであり、岡田氏の主張はそれと見事に符合します。
     となると、果たして本件を、フェミニストや彼女らに唱和してきた進歩派インテリたちは、批判する資格があるのでしょうか。

    LITERAというリベラル寄りのサイトでは、岡田氏の著書をミソジニーに溢れていると非難しています。http://bit.ly/1vin0NS
    仮にそれを認めるとして、今回の件はそのような男性であっても全く女性には不自由してはいなかった、ということを示しています。おそらく岡田氏はこんな批判は歯牙にもかけないでしょう。それでも付いてくる女性がいるのですから。それが家庭から解放された男女の自由な結び付きなのだとすれば、リベラル派がどうこう言う筋合いのものではないはずです。

    しかしここで皮肉なのは、おそらくそういう「自由恋愛市場」において求められるのはフェミニスト的な女性ではないだろうということです。流出した岡田氏のリストにも「従順度」などという採点項目があり、口うるさい女性など最も嫌っているのでしょう。女性を選べる立場なのだから当然ですが。フェミニストは強者男性を求めても強者男性はフェミニストを必要としていないわけで、そうした女性たちのための処方箋が「おひとりさまの老後」だったのかと思うと、なかなか笑えないものがあります。

    • 兵頭新児
    • 2015年 2月 06日

    コメントありがとうございます!
    どうもお返事が遅くなり、すみません。

    >これって「強者男性が多くの女性を獲得していた」という、それ自体はどこにでもある話なんですよね。

    そうなんですよね。
    一部には「岡田斗司夫は女性差別主義者だ!」という論調を展開したがる人もおり、まあ、あのリストを見て女性が不快感を感じること自体は無理もないのですが、個人と個人で片をつけてもらうしかない問題にこうしたイデオロギーをまとわせること自体がもう、お里が知れる、という感じなんですね。

    >LITERAというリベラル寄りのサイトでは、岡田氏の著書をミソジニーに溢れていると非難しています。

    ぼくの著作をねじ曲げて吹聴した田岡尼師匠じゃないですかw
    学問としては斜陽のフェミニズムですが、しかしこうしたサイトはいくつもあり、発言の機会は多く用意されていますね。
    見ていくと、田岡師匠は

    >女性には“もっと自由に生きられる!”と聞こえのいい言葉で性の解放を謳いながら、その内容はおっさんにとって都合のいい女を量産したいだけ。

    と書いていますが、岡田氏の主張がフェミニズムと符合する以上、フェミニズムもまた、

    >女性には“もっと自由に生きられる!”と聞こえのいい言葉で性の解放を謳いながら、その内容はフェミニストにとって都合のいい女を量産したいだけ。

    とのブーメランを受けることになるのですが(この直後、ミソジニーだホモソーシャルだと書き連ねているのには、失笑してしまいました)。

    >フェミニストは強者男性を求めても強者男性はフェミニストを必要としていないわけで、そうした女性たちのための処方箋が「おひとりさまの老後」だったのかと思うと、なかなか笑えないものがあります。

    同時に今のネットで散見される、フェミニストたちの凄惨な弱者男性に対する攻撃は『おひとりさまの老後』と対をなす、さしづめ『男おひとりさま氏ね!』とでもいったものであると言えますね。

    • 佐々木
    • 2015年 2月 11日

    岡田氏は「だめんず・うぉ~か~」の対談において、倉田真由美氏に未来の家族論、恋愛論を語っていました。
    いまから10年以上前ですが、その時語ったことそのままの行動を実践していたようですね。

    対談なので話は色々飛んでしまうのですが、
    要点としては今後恋愛や結婚は趣味の問題でしかなくなる
    個人が自立していけば当然そうなる。
    岡田氏はフェミニストを自認してないですが、
    個人の自由を礼賛する立場であり、フェミニズムと親和的な価値観をもっている人なのが伺えます。
    なので従来の家族観や、ロマンティックラブイデオロギーなども否定する立場です。

    倉田氏は離婚直後のシングルマザー状態のときで、
    「女性の自立、解放」といった面ではフェミニズムに賛同する立場です。
    雀荘に入り浸っていたような人ですし、深澤真紀氏との交流もある方ですので。
    ただ頭ではなく、心情的な面では伝統的な価値観を持っている人でもあります。
    少女漫画を書いていたり、サッカー部のマネージャーになる人ですから。
    ですので岡田氏の意見に理論的には納得しながらも、心情的に否定するという対談となります。

    岡田氏が語ったのは、未来の社会で待っているのは、
    男の8割は非モテとなり、2割だけモテる世界が来る。
    自分は2割に入れるように努力しているということでした。
    女性が自由な選択権をえることによって、恋愛強者が女性を独占する時代がくると。

    倉田氏は言ってることはわかるけど、それには納得しがたいと言います。
    複数の女の一人になることは嫌だし、
    女性は加齢とともに恋愛競争力が落ちるのが目に見えているから女に不利ではないかと。
    岡田氏は、そしたらランクを下げて8割の非モテの中から伴侶を選べばいいと説きます
    倉田氏はそれも納得しがたい様子でした。完全な自由恋愛は女にとって無理ゲーではないかと。

    この対談は10年以上前の話なので、今現在は倉田氏の考え方は変わっているかもしれません。
    しかし岡田氏の考えは当時とほとんど一緒だとおもいます。
    そしてこの倉田氏の考え方こそ、ネットフェミニストの反発と同じだと思いますね。

    岡田氏の行為に反発を覚えるのは、一夫一妻制であったり
    ロマンティックラブイデオロギーであったり、
    伝統的価値観(といっても100年程度でしょうが)にそぐわないからであって、
    本当のフェミニストであれば岡田氏の行為を当然のものとして受け取るべきだとおもいます。
    個人が、そして女が自由になればこうなるのはむしろ当然なのですから。
    岡田氏こそフェミニズムの行者といってもいいとおもいます
    大事な点として、岡田氏はみてくれこそアレですが東大講師やらなんやら務めた社会的強者で、
    好き嫌いはともかく知識も知能も凡人より数段上の知的強者なわけで、恋愛強者といってもいい。
    真の強者にとってはフェミニズムって都合がいいんですよね。男側にとっても。
    既得権益に唯拠する男にとっては都合が悪いけど。

    もし批判するのだとしたら、もし女が同じことをすればもっと非難されるのではないか?という視点とかでしょう
    あと女性が未だに弱い立場にいることが多いから、経済的社会的に強者の男性に囲われやすいとかね。
    あと岡田氏はハーレムを作りながら、女性が同じことをしたら激怒したとかならわかる。非対象性の批判として。
    社会構造としての批判はアリだけど、倫理的に岡田氏を批判する根拠はフェミニズムには本来ないはず。
    だから有象無象のネットフェミニストはともかく、
    アカデミアのバックボーンがあるフェミニストは批判してないんじゃないですかね?してるのかな・・

    しかし倉田氏が反発したように、フェミニストを自認しているような人でも伝統的価値観は残っていたりする
    そういう人たちが、ミソジニーという言葉を乱用して岡田批判しているのだとおもいます。
    またフェミニスト男性が岡田氏に覚えている反発も、
    デブキモオタのおっさんが女性を囲うなんてうらやま・・否、許せん!ってとこだとおもいます。

    ただ結局のところ、倉田氏みたいな反応がほとんどだとおもうのですよね。
    フェミニストを自認しているにせよしないにせよ、
    女性が自立して選択肢が増えることには賛成。もっと自由に、強くなりたい。

    でもお姫様でありたい。女性ジェンダーのおいしいところは手放したくない。
    恋愛弱者の男の伴侶にならなくてすむ自由はほしい。
    しかし恋愛強者の大勢の女の一人になるのは許せない。
    女同士で競争するには疲れる。しかも若い女が次々現れる不利な競争ではないか!
    女が逆ハーレム作るのは生物学的にも難しい。納得がいかない!
    原因は男が情けないことにあるのだ。みんなが王子様になれば幸せになれるのに!
    女が強くなった分、男も強くならないのが全ての原因だ!

    まあ後半あたりにきずきはじめたから、女性のフェミニズム離れが進んだのだと思います。
    なんだかんだいって、まだ恋愛したい人、未練がある人の方が多数派ですから。
    フェミニストでも恋愛そのものに否定的な人は、今回の件に怒らないんじゃないですかね?
    それはそれで少子化不可避という問題がでますが、
    そこらへんを精子提供によるシングルマザー推奨とか、
    生殖と恋愛の分離をはかることで解決しようとしているようにもみえる。

    • 兵頭新児
    • 2015年 2月 14日

    はじめまして、コメントありがとうございます!
    おっしゃる本は読んでいないのですが、岡田氏は一時期恋愛本をよく出していて、彼の著作『恋愛自由市場主義宣言!』でもくらたまさんと対談していますね。
    ここでの彼の主張は「オンリーユーフォーエバー幻想はもう古い」というもので、これがフェミニズムの「ロマンチックラブイデオロギーの否定」と「完全に一致」しているわけですね。

    >社会構造としての批判はアリだけど、倫理的に岡田氏を批判する根拠はフェミニズムには本来ないはず。
    >だから有象無象のネットフェミニストはともかく、
    >アカデミアのバックボーンがあるフェミニストは批判してないんじゃないですかね?してるのかな・・

    ぼくが見る限り、フェミニストが名指しで岡田氏に文句を言っているのは見たことがないです。
    ただ、それはオタク界隈のフェミは岡田氏とつきあいもあって文句を言いにくい、という程度のことであって、理を通しているからではないと思います。

    おっしゃるようにくらたまさんが岡田氏に反発したのは、論理的には矛盾しているし、多くのフェミニストがそうした論理的矛盾、ダブルスタンダードを平然と押し通そうとしているというのは、後半でご指摘なさっている通りだと思います。

    >あと女性が未だに弱い立場にいることが多いから、経済的社会的に強者の男性に囲われやすいとかね。

    ここはどうでしょう。
    それは単に「男は仕事を得られないと死ぬが、女は結婚に逃げ込める」ということでしょう。
    もちろん、その女性が必ずしも好ましい男性に「囲われる」保障はないけれども、死ぬ以外選択のない男性に比べればこれ以上はないほどに恵まれた立場なわけです。

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