『日本式正道論』第四章 儒道
- 2016/11/1
- 思想, 文化, 歴史
- seidou
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第八節 近世の儒者
近世の儒者について述べます。近世の儒者は、西欧と直面した状況において言説を展開しています。
第一項 横井小楠
横井小楠(1809~1869)は江戸末期の熊本藩士です。富国強兵を説き、公武合体運動で活躍しましたが、明治維新後に暗殺されました。
『夷虜応接大意』では、〈我国の万国に勝れ世界にて君子国とも称せらるるは、天地の心を体し仁義を重んずるを以て也。されば亜墨(あめ)利(り)加(か)・魯(ろ)西亜(しあ)の使節に応接するも、只此天地仁義の大道を貫くの条理を得るに有り〉とあります。 亜墨利加・魯西亜の使節とは、嘉永六年六月三日浦賀に入港したアメリカ使節ペリー、同七月十八日長崎に来航したロシア使節プチャーチンを指します。日本が優れているのは仁義を重んじるからであり、その仁義をもってアメリカやロシアと応接すべきだと語られています。そうすることで、大道を貫く条理を得ることができると考えられています。つまり、〈凡我国の外夷に処するの国是たるや、有道の国は通信を許し、無道の国は拒絶するの二ツ也〉というわけです。
『国是三論』では、〈天地の気運に乗じ万国の事情に随ひ、公共の道を以て天下を経綸せば万方無碍にして、今日の憂る所は惣て憂るに足らざるに至るべきなり〉と公共の道について述べています。天地の気運とは、時の勢いのことです。万方無碍とは、すべての方面でさわりのないことです。時勢や各国の事情に従い、公共の道によって国の秩序を整えてすべての方向に対処すれば、問題はないのだと語られています。
人の道については、〈曰、凡人と生れては必父母あり。士となりては必君あり。君父に事(つかう)るに忠孝を竭すべきは、人の人たる道なる事を知るは固有の天性にして、教を待て知るに非ず。其道を尽さん事を思ふよりして、徳性に本づき条理に求め、是を有道に正すは文の事也。其心を治め其胆を練り、是を伎芸に験(こころ)み事業を試るは武の事也〉とあります。其道を尽さん事とは、忠孝の道を十分に実践することです。有道に正すとは、道を体得している人について正しく導くことです。忠孝は人間の天性であり、教えられて知るものではないとされています。人の徳の性質に基づき条理を求めるのは文であり、心を鍛えて事業に臨むのは武だと語られています。
第二項 橋本左内
橋本左内(1834~1859)は幕末の福井藩士です。杉田玄白らに蘭学・医学を学び、藩政改革に尽力しました。安政の大獄で斬(ざん)罪(ざい)に処されました。
『学制に関する意見劄子』では、〈聖人の道と申も、畢竟人倫日用之外には之れ無き候得ば、物外之道にてはなし〉とあります。聖人の道といえども、人間の日常の外にあるものではないとされています。具体的な事物以外に道理はないのだと語られています。
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