『日本式正道論』第四章 儒道

「日本正道論」特集ページ

【目次】
第四章 儒道
第一節 朱子学派・京学
第一項 藤原惺窩
第二項 林羅山
第三項 室鳩巣
第四項 新井白石
第二節 朱子学派・南学
第一項 山崎闇斉
第二項 浅見絅斉
第三節 陽明学派
第一項 中江藤樹
第二項 熊沢蕃山
第三項 佐藤一斉
第四項 大塩中斉
第四節 古学派・朱子学
第一項 貝原益軒
第五節 古学派・聖学
第一項 山鹿素行
第六節 古学派・古義学
第一項 伊藤仁斉
第二項 伊藤東涯
第七節 古学派・古文辞学
第一項 荻生徂徠
第二項 太宰春臺
第三項 亀井照陽
第四項 広瀬淡窓
第八節 近世の儒者
第一項 横井小楠
第二項 橋本左内

第四章 儒道

 儒教は、孔子(前552~前479)を祖とし、道徳的・宗教的意味を持った社会的教説のことです。儒道とも称されます。
 日本における儒教の受容は古代にさかのぼります。古代から中世にかけて儒教は、教養として貴族層によって、あるいは禅儒一致の立場から禅僧によって学ばれてきました。ただし、儒教が庶民にまで浸透するのは、徳川幕府成立にともなう江戸時代からとなります。儒教は武家政権によって庇護され、民衆の道徳的教化の役割を担いました。近世の日本儒教は、武家や町人や農民などの様々な階層の出身者によって構成されています。
 儒教の教えは「聖人の道」であり、儒教関連の書物には人道や天道といった「道」についての伝統が展開されています。本章では、日本の儒教における「道」を見ていきます。

第一節 朱子学派・京学

 朱子学は、南宋の儒学者朱熹[朱子](1130~1200)によって大成された学問とその弟子によって再構成された学問の総称です。日本では江戸幕府から官学として保護されました。朱子学派の一つに京学があります。京学とは、京都に発達した藤原惺窩を祖とする一派を言います。

第一項 藤原惺窩

 藤原惺窩(1561~1619)は、安土桃山・江戸初期の儒学者です。惺窩の儒学は、心に拠点をおき、国際的な観点から理を説いたことに特色があります。林羅山など、多くの門人を育てました。
 惺窩の『寸鉄録』では、〈ヲヨソ「政ハ正ナリ」(ト)テ、政ハ人ヲ正道(タダスミチ)ナリ〉とあります。これは『論語』の[顔淵篇]で、〈政とは正なり。子、帥いて正しければ、孰か敢へて正しからざらん〉とあることに影響を受けています。
 『惺窩先生文集』では道について、〈道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万を生じて、万は一に帰す〉とあります。これは、『老子』からの影響です。天道については、〈一に曰く、それ天道なる者は理なり。この理、天にあり、未だ物に賦せざるを天道と曰ふ。この理、人心に具はり、未だ事に応ぜざるを性と曰ふ。性もまた理なり〉とあります。天道を理と結びつけるのは、宋学の重要な主張です。
 『千代もと草』では、〈日本の神道も我心を正して万民をあはれみ慈悲を施す極意とし、堯舜の道も極意とするなり。もろこしにては儒道と云、日本にては神道といふ。名はかはり心は一なり〉とあります。中国の儒道と日本の神道、名前は違えどその心は一つだと語られています。

第二項 林羅山

 林羅山(1583~1657)は、江戸初期の儒学者です。朱子学を藤原惺窩に学び、徳川家康から家綱まで4代の将軍に仕え公務に携わりました。
 『春鑑抄』では五常について、〈仁・義・礼・智・信之五ツノ道ハ、常ニシテカハラヌゾ〉とあります。続けて、〈人ト云モノダニアラバ、天地開闢ヨリ以来、末代ニイタルマデニ、此道ノカハルコトハアルマヒホドニ、常ト云ゾ。サルホドニ、万代不易之法ト云ゾ。不易トハ、カハラズト読ゾ〉とあります。人間が居れば、仁・義・礼・智・信は変わらず存在するというのです。これは、朱子の『論語集註』に影響を受けた意見です。
 不易に対するものとして、「権」も説かれています。〈権ノ道ト云ハ、法度ヲヒトツハヅシテモ、ノチハ直グナル道ヘイタル〉とあります。権ノ道は臨機応変の道で、直正なる道に対して言います。
 また、注目すべき点として、礼の重視が挙げられます。〈礼ハ恋ノ道ヨリモ大切ナコトゾ〉と述べられています。そこで、〈モツトモ礼ノ道ヲバ肝要ト心得テ、行フベキコトナルベシ〉と説かれています。
 『三徳抄』では、〈心ハ一ナレドモ、其ウゴキ働ク所ヲバ人ノ心ト云フ。其義理ニヲコル処ヲバ道ノ心ト云フ〉とあります。人の心が、義理に基づいて起こるところが道の心だというのです。ですから、〈不義ノ富貴ヲバ求メザル事アリ。是ヲ道心ト云フ〉わけです。人の心と道の心の区別は、〈心ハ一ニシテ二ツナキヲ、道ノ心ト人トノ差別ヲ云バ、道ノ心ハ理也。人ノ心ハ気也。是又、心ハ善ニシテ、気ニハ善悪アルノ本拠ナリ〉と語られています。道の心は理だとされています。
 『羅山先生文集』では、〈それ道は人倫を教ふのみ。倫理の外、何ぞ別に道あらんや〉とあります。道は、人の間において存在すると語られているのです。

第三項 室鳩巣

 室鳩巣(1658~1734)は、江戸中期の儒学者です。鳩巣は朱子学こそ正学とし、徳川幕府体勢の秩序を信頼し、それを支える階級における道徳を説いています。
 『書簡』では道について、〈蓋し道の大原は、天に出づ。これ道の一本なるものなり。ただ我が聖人のみ、能く天に継ぎ極を立つることをなし、以て教へを天下後世になす。則ち天下後世、これに由りて以て聖人の道となす。これ道の一統なるものなり〉とあります。ここでいう一本とは、一つの根源のことです。天に継ぎ極を立つるとは、天意を受け継いで道徳の規準を立てることです。一統とは、一筋ということです。つまり、道の根源は天であり、聖人は天意を受け継いで道徳の基準を立てるというのです。それが、後世が従うべき聖人の一筋の道なのだとされています。
 また、『読続大意録』では、〈道はこれ本然実有の物事なり〉と述べています。道は、実際に有る物事であり、机上の空論ではないということです。

第四項 新井白石

 新井白石(1657~1725)は、江戸中期の儒学者であり政治家です。6代将軍の徳川家宣に仕えて幕政に参与しています。白石の思想活動は、幕府における政治活動と不可分に結びついたものであることに特徴があります。
 白石の『読史余論』では、天道について三箇所で言及されています。一つ目は〈かくて失にしかば、是も天道にたがふ所ありとは疑なし〉とあり、二つ目は、〈天下の天下たる道を、少々なりとも思召れんに、殊更天道も佛神の御心にも立所に叶はせ給ふべきにと、愚なる心には存ずるぞかし〉とあり、三つ目は〈天道は、天に代りて功を立る人にむくい給ふ理〉とあります。白石の思想には、天道という天の力が働いています。
 白石の考えでは、天は人間の運命を左右するものと捉えられています。例えば、〈かゝれば時の至らず天のゆるさぬ事は疑なし〉や〈誠に天命也。正理也〉とあります。白石は、天は善悪に応じて、人に報いを与えるものとだという視点に立っています。〈天の有道にくみし給ふ所明らけしとも申すべし〉や〈天は報應誤らずといふべし〉、〈天の報應かくの如く明らかなり〉というわけです。ただし、〈天の報應あやまらずといへども、抑又みづから作れるの孽なり〉とされ、人の努力が大事だとされています。そして、〈天意のほどはかりがたき事にや〉と、天の知りがたいことが認識されています。

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