『日本式正道論』第四章 儒道

第二節 朱子学派・南学

 朱子学派の一つに南学があります。南学は、海南学派とも呼ばれます。南村梅軒が土佐で興し、実践重視の思想に特色があります。山崎闇斎らが著名です。

第一項 山崎闇斉

 山崎闇斎(1618~1682)は、江戸前期の儒学者です。また、闇斎の独自の神道説である垂加神道の提唱者でもあります。神儒一致説を唱えました。
 『大学垂加先生講義』では天道に対し、〈造化ト云ガヤツパリ天道也。ソノ流行ノナリヲ云也。造ハ無ヨリ有ニ向ヒ、化ハ有ヨリシテ無ニ趣〉とあります。無より有に向かい、有より無におもむく、それが造化であり、その流れ行くあり方が天道なのだとされています。
 『闢異』においては、〈それ天下の道、経あり権あり、経は万世の常、人皆もつてこれを守るべきなり。権は一事の用、聖賢に非ずんば用ふる能はざる也〉と述べられています。経道とは常に成立つ道であり、万民が守るべき道です。権道とは時に応じて行う処置のことで、朱子学の立場から聖人に限っています。
 また、原念斎の『先哲叢談』第九条に、闇斎について次のような逸話が載っています。

 嘗て群弟子に問ひて曰く、「方今彼の邦、孔子を以て大将と為し、孟子を副将と為し、騎数万を率ゐ、来りて我が邦を攻めば、則ち吾党孔孟の道を学ぶ者、之れを如何と為す」と。弟子咸答ふること能はずして曰く、「小子為す所を知らず。願はくは其の説を聞かん」と。曰く、「不幸にして若し此の厄に逢はば、則ち吾党身に堅を被り、手に鋭を執り、之れと一戦して孔孟を擒にし、以て国恩に報ず。此れ即ち孔孟の道なり」と。

 つまり、孔子と孟子が日本に攻めてきたら、武器を取って戦って国の恩に報いるというのです。それこそが孔孟の道だと、闇斎は言うのです。

第二項 浅見絅斉

 浅見絅斎(1652~1711)は、江戸中期の儒学者です。山崎闇斎に入門しましたが、後に破門されています。
 『劄録』には、〈天地一貫日用常行ノ実理ヲ公ノ心ヲ以日用人道ノ正脈ト知ザルコトコソ悲キ〉とあります。日常の役に立つ公の心こそが人の道であり、それを知らないでいるなら悲しいことだと語られています。他にも道について、〈道ト云ヘバ、常行平易ノ行ヲ主トシテ、夫ノ孝弟忠信ノ筋ニ能合故也〉とあります。道は常にやりやすいことを主として、人との関わりによく合うものだというのです。
 道と理の関係については、〈道ト理ト両ツナシ。道ハ日用ノ則ヨリ云、理ハ其道ノ道タル真実ヲ云ヘバ、理ニ非レバ道ニ非ズ、道ニ非レバ理ニ非〉とあります。日常の面から言えば道であり、真実の面から言えば理なので、道は理であり理は道なのだとされています。
 天と道の関係は、〈夫天人ノ道ハ一也。人ヨリ云ヘバ人道ト云、天ヨリ云ヘバ天道〉とあります。道とは、人間から見れば人道で、天から見れば天道なのだとされています。
 『浅見先生学談』では山崎闇斎の影響から、〈異国ノヒイキスルハ大キナ異端、今デモ異国ノ君命ヲ蒙テ孔子朱子ノ日本ヲセメニ来ランニハ、ワレマヅ先ヘススンデ鉄砲ヲ以孔子朱子ノ首ヲ打ヒシグベシ〉とあります。ここでは攻めてくるのが孔子と朱子になっていて、攻めて来た孔子と朱子と戦うことが語られています。〈異国ノ人ノマネヲスル事、正道ヲ知ラザルガ故ナリ〉というわけで、正道には自分の国という意識が必要なことが示されています。

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西部邁

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