(国内放送等の放送番組の編集等)
第4条 放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。
一 公安及び善良な風俗を害しないこと。
二 政治的に公平であること。
三 報道は事実をまげないですること。
四 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。
こちらは、放送法の第4条です。放送業者、この場合、テレビ局は番組を編集する上で、この法律のガイドラインに則らなければなりません。
ちなみに、この放送法に違反すると最悪の場合、政府に放送免許を取り上げられてしまい、設備はあるのに、電波を使用して放送することができなくなります。
そして、90年代には、実はあるテレビ局がもしかすると、その電波を止められてしまう寸前まで追い込まれました。
1993年、自民党政権陥落
さて、このお話を始める前には、若干の前フリが必要となります。
本記事のReport.2で、90年代の始まりには冷戦対立、もとい社会主義勢力の弱体化があると述べました。
しかし、日本では、90年代に入り、それまで保守政党として君臨していた自民党が政権から陥落するという自体が発生しました。
簡単に言いますと、自民党に所属していた議員の多くが離党し、新たな政党を作り、自民党が中から崩壊していったわけです。その中には、2009年の政権交代に大きな役割を果たす、小沢一郎氏もいました。
小沢一郎氏を中心として、細川政権を七党連立で作り上げ、戦後続いてきた自民党の政権を倒すわけです。
その後、自民党が与党に返り咲くには、それまでの政敵だった社会党と手を組み、社会党の委員長であった村山富市氏を首班指名するというウルトラCが必要な状況まで追い込まれました。
93年の政変を指示した?椿発言
それまで、アメリカと一体に戦後政治を進めてきた自民党の牙城がいよいよ崩れるというのは、やはり戦後に青春期を過ごしてきた人々にとっては、かなり重大な出来事だったのでしょう。
その壮大な反権力闘争に、メディアが絡まないはずはありません。
当時、テレビ朝日の取締役で報道局長だった椿貞良氏が、放送番組調査会のようで下記のように述べたというリークがありました。
「小沢一郎氏のけじめをことさらに追及する必要はない。今は自民党政権の存続を絶対に阻止して、なんでもよいから反自民の連立政権を成立させる手助けになるような報道をしようではないか」
「日本共産党に意見表明の機会を与えることは、かえってフェアネスではない」
この発言は諸に、始めにあげた放送法に掲げられている「政治的に公平であること」という項目にひっかかるということで、テレビ朝日の放送免許の停止がまことしやかにいわれるほどでした。
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