若者の“恋愛離れ”は本当か?
最近、大学の同僚で、進路指導が上手なことで人気の高いある教員から、「いまの学生は、男も女も異性にもてたいという気持ちがないんですよ」という話を聞きました。これはあくまでも個人の立場からの観察と印象について語ったものですから、本当にそうかどうか確定はできません。でも長年、若者の心理に現場で接している人の弁ですから、かなり信用がおけます。話半分としても、そういう傾向がある程度みられることは事実なのでしょう。
半世紀以上前、女にもてたくてもてたくて頭をいっぱいにしていたわが薄汚れた青春時代を思い返すと、まさに隔世の感があります。たしかに街に出てみると、中学生から大学生まで、男女混合集団が互いにまったく壁を取り払った友達同士のような接し方、会話のやりとりをしているのによく出くわします。外から見た限りでは、彼らはあまり相手を異性として意識していないようです。かつてのような、汗臭い男文化、ムンムンとした女文化の並立は崩壊してしまったのでしょうか。
でも男女混合集団の場合は適応系の子たちが作っているので、その裏には膨大な不適応系の「孤独」が渦巻いているとも考えられます。しかしその孤独にしても、異性にもてたくて悶々としているというのとはちょっと違うような気がします。孤独にまったく自足しているとは言いませんが、オタク的な趣味に没頭していたり、自分のコミュニケーション不全をそんなに問題視せずに受け入れてしまっていたり、恋愛につきものの葛藤の面倒くささを回避していたり、軽いメンタル系だという位置づけに自分を同一化させて安心していたりするのでしょう。
ですから、適応系も不適応系も、異性への性愛的な関心を低下させているという意味では同じなのかもしれません。
性欲の処理の問題はどうしても残るのではないかと考えられますが、それは2次元がかなり解決させてくれるようですし、また実際に性関係を結ぶのに女の子があまり抵抗を示さず、簡単に「デキ」、簡単に「サヨナラ」するということを繰り返しているのではないでしょうか。ちなみにわが国の強姦検挙人員の年次推移を見ますと、1964年の東京オリンピック前後は人口10万人当たり常に8人を超えていましたが、その後激減し、最近数年間では1人以下です。
強姦、強盗強姦の認知件数・検挙人員の推移(1933年~)
先ごろ、春風亭百栄(しゅんぷうてい・ももえ)師匠の新作落語「キッス研究会」を聴く機会がありました(2回も聴きました)。この作品は、思春期の男の子たちの本音が性欲にあり、野球、サッカー、囲碁将棋その他、すべての部活動は性衝動をそらすためにあるという設定で、本音で勝負しようという部活「キッス研究会」の、先輩と新入部員とのやりとりを中心とした滑稽な話です。
キッス研究会、投げキッス研究会、ディープキス研究会、ウィンク研究会など、女の子に迫るテクニックを真剣に追究する部活がいろいろ出てくるのですが、要するにこの話は、私ども団塊以前の世代が青春期を送った戦後日本のアメリカナイズされた時代への風刺となっており、扱われている背景がすでに古典的なものです。古典落語のひとつに加えてもよいかもしれません。
こうして、いまの若者男と若者女の間には「深くて暗い河」はもはや流れていず、浅くて明るい河しかありません。ひょっとしてすでに干潟かも。女の子の男言葉、文化祭でのリーダーシップ、男の子いじめなどは当たり前となりました。また男の子の化粧、すね毛やわき毛剃り、気弱で優しい性格、目立ちたがらない傾向なども顕著です。
このことは同時に、異性間の恋愛が成り立ちにくくなったことも意味しています。なぜなら恋心というのは、単に自然本能によって発生・持続するものではなく、乗り越えがたい壁があるほど盛り上がるものだからです。相手がウンと言ってくれない恋、親の許さぬ恋、身分の異なる恋、不倫の恋、遠距離恋愛など、みなそうですね。抵抗を打ち破ろうとする意志と成就へ向かっての自己演出とが恋心を支えます。
こう考えてくると、現代の日本に生きる若者たちにとって、恋心をかき立てるに足る条件がきわめて乏しくなっていることに気づくと思います。個人にとって、異性に情熱を傾けることは、他のさまざまな面白いアイテムの狭間で、かなり優先順位が低くなっているのではないでしょうか。彼らには、そこに予想される厄介さへの警戒感も考慮されているのでしょうね。少子化問題、起きてきて当然かもしれません。
“恋愛離れ”の原因を探る
少子化問題といえば、いま日本では労働政策のアングルからたいへん重要視されており、政府も長い間かなりの予算をつぎ込んで解決に躍起となっています。ここには同時に高齢化も伴っていますから、たしかに何とかしなければ、という気持ちはわかります。しかし政府のとっている少子化政策は、果たして的を射たものでしょうか。
この問題を考える前に、ここ90年間の未婚率の推移、および未婚者の間での異性の交際相手のいない割合についての調査結果を見ておきましょう。
●未婚率:
これを見ると、高度成長が完成した1975年以降の上昇カーブがすごく、現在では30~34歳の男性の半分近く、女性でも3割半が未婚であることがわかります。
この調査では、男性の6割、女性の5割が異性の交際相手がいないと答えています。何ともため息の出るようなデータですね。
ところで、最近の未婚率の高さや異性の交際相手がいない人の割合の高さには、これまで述べてきた男文化・女文化の規範の崩壊や個人化傾向の進展のほかに、不況という経済的な要因が大きく絡んでいると私は思います。
たとえば男性正規社員と非正規社員とでは、明らかに後者のほうが未婚率が高く、所得階層別でも、低所得者ほど未婚率が高くなっています。また2008年のリーマンショックをはさんで、2006年から2010年にかけて、交際相手がいない男女が急増しています(前記URL参照)。やっぱりお金がないともてないだろうし、恋人を探す時間や余裕もできませんよね。
さてそこで政府の少子化対策ですが、これを見ると、まったく見当外れであるばかりか、なかには、少子化問題の解決にとって邪魔にしかならないものも含まれています。
たとえば平成25年6月に決定された「少子化危機突破のための緊急対策(案)」というのがあります。
http://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-12602000-Seisakutoukatsukan-Sanjikanshitsu_Roudouseisakutantou/0000022693.pdf
1
2コメント
この記事へのトラックバックはありません。
恋愛しない若者が増加している要因は男女共同参画政策かもしれません。
日本の男女の恋愛をおかしくしているのは男女共同参画です。
女性は男らしい男に恋しますが、男女共同参画政策では「男らしさ・女らしさの縛りをなくそう」という部分があります。男は女にモテたいなら男らしくしないとダメなのです。男の場合は腋毛やすね毛を剃ることは男らしさに反します。
また女性は自分をぴっぱる男に恋するのに男女共同参画の影響で、女性をひっぱる男が少なくなっている。
対等な立場とひっぱる立場は違います。
女は夫と対等な立場よりも夫に恋するほうが幸せだと思います。
こういった法には、特に女性に優しい男が影響されやすい。
要するに日本をおかしくしていたのは、恋愛を考慮しない男女共同参画が原因です。
また、これは外国の男女共同参画ですが、ノルウェーの調査論文では、家事を分担する夫婦は、妻が主に家事を担当する夫婦と比べて離婚率が高く、家事を平等に行う夫婦の離婚率は、妻が主に家事をする夫婦より約50%高かったと発表されています。
男尊女卑制度になれば元通りになるんじゃない?
どうせ、女性からクレームの嵐になるけど