当時のテレビ朝日の報道番組
90年代のテレビ朝日といえば、サンデープロジェクトや朝まで生テレビ、さらには、ニュースステーションなど、本来はお堅いイメージであった、夜のニュースや朝の情報番組を田原総一朗氏や久米宏氏などをキャスティングし、より浸透しやすいものへと変化させていったわけです。
民間のマスメディアはどこまで視聴率や購読料が命です。どれだけ優良なコンテンツでも視聴率が稼げなければ、生き残ることはできません。まして、93年といえば、メディアミックスを巧みに操ったセーラームーンやエヴァンゲリオンの成功の前であり、テレビ業界はもっぱら、代理店からの広告料で成り立っていたわけですから、視聴率へのこだわりは今以上だったと思われます。
そのテレビ朝日の報道局の総監督的な立場の人物が、反自民党を掲げて番組編集を指示していたとなれば、大問題になります。
大人な対応で透明になった問題の本質
しかし、ことの顛末は椿氏の証人喚問まで行われましたが、調査会では椿氏が「口を滑らせた」ことを陳謝する一方、社内において、発言のような内容を業務指示したことはないという歯切れの悪い言い訳。
当時、放送事業を管轄していた郵政省も行政指導のみで幕引きでした。
むしろ、問題の本質はそこではなかったのではないかと思います。
94年に自民党は社会党と組んで与党に復帰しますが、その後のテレビ朝日はご存知の通り、自虐史観まっしぐらな報道姿勢が目立ってきます。それは、朝日新聞もしかりですが、20年後には、この頃の報道を「誤報」として謝罪しなければいけなくなるなど、誰も予想できなかったでしょう。
結局、メディアの受けてである私たちが、情報を精査しなければいけないわけです。マクルーハンは「メディアはメッセージである」と述べましたが、まさにその通りで、私たちは、社会の木鐸の仮面を被った情報屋たちが導こうとする方向を冷静に見破り、自分の立ち居地を確保しなければいけないのです。
しかし、椿事件以降、メディアのメッセージはより透明になっていき、私たちの無意識化にまで働きかけるようになっています。そこを脱色したいと願った人々から、マスメディアからネットメディアへと早々に移行していったのかもしれません。
※第16回「フラッシュバック 90s【Report.16】90年代、紅白歌合戦超個人的名場面集。」はコチラ
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