フラッシュバック 90s【Report.38】事なかれ主義者のタブー「日本は背負う価値がある国か?」~リオの勇者たちの君が代に思う~

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リオ・オリンピックが閉幕しました。日本選手団はロンドン五輪の記録を塗り替え、史上最多41個のメダルを獲得しました。
私としては、陸上競技の4×100mリレーで 銀メダルに輝いた速報では雄たけびを上げ、リプレイでは涙してしまいました。これは私が、陸上経験者ということが大きく影響していると思いますが、観覧されていた方々、それぞれに重いがあることでしょう。

さて、オリンピックの際の風物詩といえば、こち亀の日暮さんと並んで語られるであろう、メダリストが君が代を歌うか歌わないか問題。

今回のオリンピックでは、産経系列のメディアが金メダリストの多くが君が代を斉唱していたと嬉々として報道しています。

法制化された国旗・国歌

手前味噌で申し訳ありませんが、本連載のReport.6で国旗・国歌法について取り上げました。1999年、国旗を日の丸、国歌を君が代とする法律、国旗・国歌法が制定されました。

これにより、学校教育の現場の式典、特に入学式と卒業式の風景は一変します。それまで、国旗を掲げず、国歌斉唱もなかった学校が一斉に国歌斉唱を促す様になります。

ちょうど、私は、2000年の3月卒業だったので、前年との違いをはっきりと覚えています。起立する人間と不起立の人間の数が反転しました。

法制化されたことにより、強制力を持ったことでこのような変化が生まれたのだと思います。今現在でも、不起立のため教職員が処分を受ける事案も発生しています。

私が注目したいのは、法制化さえるまで起立していた人間がごく一部、法制化されると起立していない人間がごく一部、法制化の前後で態度を貫いている人間はごく一部しか存在しないということです。

どこまでも無関心な一般層

興味・関心のない一般層からすれば、特に大きな問題でもなく、どちらでもといったスタンスなのでしょう。ですから、お上が法律で決め、罰則を受けるとなれば、そちらの方向へと一挙に流される。彼らにとって見れば、事なかれ主義で、物事がトラブルなく進むことのみを望んでいますから、議論の是非よりもそもそもその議論を吹っかけている方がトラブルメーカーに見えるわけです。

ちなみに、安倍政権下の今日では、左派のほうが余計なトラブルメーカー的な立ち位置にいますが、90年代からゼロ年代後半までは必ずしもそうではなく、トラブルメーカーは右派のように扱われていました。

右派にしろ、左派にしろ、何かの信条を持って活動していたとしても、一般層からしてみれば、トラブルメーカーか否かという点のみが注目されるわけです。
ただ、自分の生死や収入に関わる話になれば別ですが。。。

事なかれ主義者の国家は必ず滅びる。

国旗・国歌の問題に関して、結局は、日本においてあの戦争をどう解釈するかという議論を避けて通ることはできません。

戦後70年以上立った今でも、政府答弁で「さきの大戦」という表現をして、誰と誰が戦ったのか、結果どうなったのかなど分析していない状態です。

結局、1945年に日本という国は一度歴史を断絶したのか否かという問題をいつまでも引きずっているのです。この問題の本質は、明治維新で日本という国が歴史を一度断絶したように解釈していることにも通じます。

そもそも、ここの解釈をきちんと行わずに、日々の生活に忙殺されて人生を送っていること自体が、我が国が陥っている「集団的事なかれ主義」の源泉といえるでしょう。

国家をアップデートする時期

そもそも、国家というものは人為的に作成されるものです。

君主制においては、君主が権力を持ち、封建制では主従関係を持った武家のルール、民主制においては社会において制定された様々な契約関係を主権者で会える民主が制定されたルールにおいて権力を行使し、運営されます。
自然発生的に起こるものでないという点では、宗教と同じなわけです。神話ですら、誰かの手で書かれたり、まとめられたりしているのですから、何か一つのチームや組織、集団が生まれるときには、必ず人為的な要因が先にあります。

そういう意味で、今の日本の政治的対立もとい思想的対立は非常に深いものといえるでしょう。日本を日本たらしめているものは一体何なのか。そして、それがあるとすれば、誰がいつ、何のために作ったのか。

それだけではありません。外圧で生まれた明治以降の国家システムの維持の必要性、日本国憲法が大日本帝国憲法の改正の上に成り立っている事実。何より、皇室が継続されている状態。
継続しているのであれば、先祖の戦争責任といわれるものを引きついで謝罪する必要があるのか否か。

国旗・国歌の問題の本質は、上のような非常に厄介な問題にふたをし続けたことによって洗われた現象です。そして、これは氷山の一角に過ぎず、90年代に次々に洗われた現象でもあります。

日本は背負う価値のある国か。

君が代を歌う、歌わない、日の丸を掲げる掲げないという問題の手前で考えるべきことがあります。
「日本は背負う価値のある国か否か。」
日の丸選手団は世界に対して、日本を背負い戦っているわけですが、そもそも、その日本という国家が背負うだけの価値がある国かどうかの議論を闘わせる思想家を、表現者塾関係者以外に見たことがありません。

この問題は事なかれ主義者だけでなく、今の日本国民の大勢にとってはタブーだからでしょう。国民主権を制定している現憲法の体制下では、これは政治家、皇室、企業などに転嫁できる問題ではなく、直接国民に突きつけられる問題なのです。

そして、この問題に答えを出すことができなければ、私たちの国家は背負う価値も守る価値もないということになってしまう。

日々の経済活動も政治活動も全て自分の食い扶持を稼ぐだけの無意味なものになってしまう。

そうならないためにどうするのか、それは別段に譲るといたしましょう。


※本連載の一覧はコチラをご覧ください。

西部邁

神田 錦之介

投稿者プロフィール

京都大学大学院人間・環境学研究科修士課程修了。
大切なことを伝えることとエンターテイメントは両立すると信じ、「ワクワクして、ためになる」文章をお送りします。

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