『日本式正道論』第四章 儒道

第七節 古学派・古文辞学

 本節では、古学派の中でも古文辞学と呼ばれる類型について述べます。古文辞学は、荻生徂徠に代表されます。

第一項 荻生徂徠

 荻生徂徠(1666~1728)は、江戸中期の古学派を代表する儒学者です。朱子学や仁斉学を批判し、中国明代の古文辞派から示唆を受けて、六経に依拠した古文辞学を唱えました。
 『弁道』には、〈道は知り難く、また言ひ難し。その大なるがための故なり。後世の儒者は、おのおの見る所を道とす。みな一端なり。それ道は、先王の道なり〉とあります。そこでは、〈孔子の道は、先王の道なり。先王の道は、天下を安んずるの道なり〉と考えられています。
 では、先王の道とは何かというと、〈道なる者は統名なり。礼楽刑政凡そ先王の建つる所の者を挙げて、合せてこれに命くるなり。礼楽刑政を離れて別にいはゆる道なる者あるに非ざるなり〉と語られています。統名とは、礼節・音楽・刑罰・政治など多くを総括した名称です。〈先王の道は、先王の造る所なり。天地自然の道に非ざるなり〉と徂徠は考えます。そこでは、〈礼楽刑政は、先王これを以て天下を安んずるの道を尽くせり。これいはゆる仁なり〉ということになります。そのため、〈故に人の道は、一人を以て言ふに非ざるなり。必ず億万人を合して言をなす者なり〉と語られるのです。人の道は、たくさんの人々有ってのものなのです。そこでは、〈故に先王の道は、礼を以て心を制す〉とされ、〈故に聖人の道は、養ひて以てこれを成すに在り〉と語られています。
 『弁名』でも、同様に語られています。『弁名』には、〈道なる者は統名なり。由る所あるを以てこれを言ふ。けだし古先聖王の立つる所にして、天下後世の人をしてこれに由りて以て行はしめ、しかうして己もまたこれに由りて以て行ふなり。これを人の道路に由りて以て行くに辟ふ。故にこれを道と謂ふ。孝悌仁義より、以て礼楽刑政に至るまで、合せて以てこれに名づく、故に統名と曰ふなり〉とあります。道は、礼節・音楽・刑罰・政治や孝悌仁義などを合わせた統名だというのです。それは聖王の立てたところであり、人が行う基準であると語られています。
 その道ですが、〈けだし道なる者は、堯舜の立つる所にして、万世これに因る。然れどもまた、時に随ひて変易する者あり。故に一代の聖人は、更定する所あり〉と、聖人が道を変更することについて述べられています。これは以前の道に足りないところがあるからでも、以前の道には既に至ったからでも、新しいものを善しとするからでもありません。〈一代の聖人には、数百歳の後を前知して、これを以て世運を維持し、遽かには衰へに趨かざらしむる所の者の存することあり〉と、聖人の未来を見通す知恵の偉大さが示された上で、〈聖人の智に非ざるよりは、いまだその更改する所以の意を与り知ること能はざる者なり〉と、聖人でなければ道の変更理由は分からないとされているのです。『徂來先生答問書』においては、〈古の聖人之智は、古今を貫透して今日様々の弊迄明に御覧候〉とあります。聖人の知恵は、古今を通じて今日の様々な弊害まで明らかに見通していると考えられています。
 道と徳の関係については、〈徳なる者は得なり。人おのおの道に得る所あるを謂ふなり〉とあります。道と理の関係については、〈ただ道はこれを行ふを主とし、理はこれを見るを主とす〉とあります。
 『学則』では、〈世は言を載せて以て遷り、言は道を載せて以て遷る。道の明らかならざるは、職としてこれにこれ由る〉とあります。時代の変遷とともに言葉が変遷し、言葉の変遷とともに先王の道が変遷します。これを主な理由として、道は明らかに成りがたいと語られているのです。

第二項 太宰春臺

 太宰春臺(1680~1747)は、江戸中期の儒学者です。徂徠学派の一人です。
 『経済録』では荻生徂徠の影響から、〈孔子之道者、先王之道也。先王之道ハ、天下ヲ治ル道也。先王ノ道ハ、六経ニ在リ〉とあります。孔子の道は先王の道であり、それは天下を治める道で、六経という書物に示されていると考えられています。
 『聖学問答』には、〈道は、帝王の天下を治め人民を安んずる所以の物なり。斯の物を作す、これを聖と謂ふ〉とあります。『礼記』の楽記篇に〈作る者これを聖と謂ふ〉とあるのを受けています。天下を治め人民を安心させる道は、聖人が作ったものなのだと語られているのです。

第三項 亀井昭陽

 亀井昭陽(1773~1836)は、江戸後期の儒者です。学問上の特徴として、徂徠学を基調としつつ、実際的機能における朱子学の有効性も否定していないことが挙げられます。
 『読辨道』には、〈道は其れ何するものか。唯だ聖人、能くその全きを観て、これを建つるを為す。後世、囂囂。而して道は則ち巋然たり〉とあります。囂囂とは、喧しいさまです。巋然とは、独り立ちしているさまです。道について、後世の人たちが色々と喧しく述べていますが、道は独立しているのだと語られています。

第四項 広瀬淡窓

 広瀬淡窓(1782~1856)は、江戸後期の儒学者です。近世最大規模といわれる私塾の咸宜園を創設して、三千人余りの門弟を教育しました。
 『約言』では、〈道の帰を論じて、これを敬天と謂ふ〉とあります。道の落ち着くところは天を敬うことだと述べています。また、治と教について、〈治なるものは教への具、教へなるものは治の本、合してこれを言へば道なり〉と述べています。治めることは教えることを備え、教えることは治める本で、併せて道だというのです。

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