『夢幻典』[弐式] 無我論

解説

 ここでは有の思想に次いで、無の思想が語られています。有の思想は、“有ること”を根拠とした思想ですので、無の思想は、“無いこと”を根拠にした思想になります。そのため無の思想では、“無いこと”の様々なあり方によって、思想の深みが示されることになります。
 無の中身については、宮元啓一『インド哲学の七つの難問』が参考になります。そこでは、実在論学派における関係無(~がない)や交互無(~でない)が紹介されています。関係無は、さらに先行無([生ずる以前に結果は]まだない)・破壊無([消滅したあとにものは]もはやない)・絶対無(絶対にありえない)に分類されています。また、独特な意味を持った『勝宗十句義論』における五種類の無も紹介されています。それぞれ、先行無(未生無)・破壊無(已滅無)・交互無(更互無)・関係無(不会無)・絶対無(畢竟無)の五つです。
 それらの無を加味した上で、やはり主となるのは西田幾多郎の無の場所の論理です。有の思想で示された「有」が、西田哲学では「無」の場所として示されることになります。西田の『場所』から、参考になる箇所を引用してみましょう。

 一般概念の外に出るというのは、一般概念がなくなることではない、却(かえ)って深くその底に徹底することである、限定せられた有の場所から、その根柢たる真の無の場所に到ることである、有の場所其者を無の場所と見るのである、有其者を直に無と見るのである。斯くして我々はこれまで有であった場所の内に無の内容を盛ることができる。

 この文章は、曖昧な表現で人を煙に巻いているように感じられるかもしれません。しかし、この文章は極めて厳密に厳格にこの世界のあり方を記述しています。この世界の現実がこうであるということを、冷徹に淡々と論じているのです。

 それでは、無の思想をできるだけ分かりやすく説明してみましょう。
 前回の有の思想では、この眼(私の目)とあの眼(他人の目)が異なることが語られていました。では、それが異なることを証明してみることにしましょう。ここで説明のために、“科学的”という言葉を導入してみます。あなたは言うのです。私のこの目は、あなたの目とは違います。私の目からは実際に見えていますが、あなたの目からは見えていません。だから、この眼とあの眼は違います。その違いを、科学的に証明したいのです。
 ・・・さて、この科学的探求は成功するでしょうか? 私には、成功しないように思われます。この眼とあの眼は、(どちらかの目が病気など特殊な条件がない限り)科学的には同じだという結果が出ると推測されるからです。しかし、科学的には差が“無い”目ですが、片方からは実際に見ますし、片方からは実際に見えないのです。つまり、科学的には“無い”ことを“有る”こととして語ることになるのです。それゆえ、その“無いこと”をどうにかして語る必要が出てきます。ここに、無の思想が展開されざるを得ない理由があるのです。


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西部邁

木下元文

木下元文

投稿者プロフィール

1981年生。会社員。
立命館大学 情報システム学専攻(修士課程)卒業。
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