『日本式正道論』第五章 武士道

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【目次】
第五章 武士道
第一節 和歌
第二節 説話物語
第三節 軍記物語
第四節 家訓
第一項 北条早雲
第二項 黒田長政
第三項 本多忠勝
第五節 甲陽軍鑑
第六節 兵法家伝書
第七節 五輪書
第八節 驢鞍橋
第九節 士道
第一項 中江藤樹
第二項 池田光政
第三項 山鹿素行
第四項 荻生徂徠
第五項 林鳳岡
第六項 五井蘭洲
第七項 村田清風
第十節 葉隠
第十一節 武道初心集
第十二節 水戸学
第一項 徳川斉昭
第二項 会沢安
第三項 藤田東湖
第十三節 幕末の志士
第一項 横井小楠
第二項 佐久間象山
第三項 勝海舟
第四項 西郷隆盛
第五項 吉田松陰
第六項 橋本佐内
第七項 福沢諭吉
第八項 坂本竜馬
第九項 山岡鉄舟
第十項 高杉晋作
第十四節 新渡戸稲造の武士道

第五章 武士道

 武士道は、日本の武士階級に由来する思想です。日本史において、武士階級が政治上の実権を掌握した期間はおよそ600年の長きに渡ります。
 武士の思想は時代とともに変遷していますが、大きく分けると、鎌倉時代に始まる戦場における主従関係を基にしたものと、江戸時代の天下太平における儒教の聖人の道に基づいたものに分類できます。前者は、献身奉公としての武者の習いであり、後者は武士を為政者とする士道(儒教的武士道)です。
 武士道は、武士たる者の身の処し方としての「武士の道」であり、武士道関連の書物には、武士の「道」についての伝統が展開されています。その影響は、武士が政治の実権を握った時代のみならず、その前後の期間にも見ることができます。本章では、日本の武士道における武士の「道」を見ていきます。

第一節 和歌

 『万葉集』の[巻第三・四四三]には、武士と書いて「ますらを」と読む用法が見られます。〈天雲の向伏す国の武士(ますらを)〉とあり、天雲が遠く地平につらなる国の勇敢な男が武士なのだと語られています。また、[巻第六・九七四]には〈丈夫の行くといふ道そおほろかに思ひて行くな大丈の伴〉とあります。つまり、雄々しい男子の行く道は、いいかげんに考えて行くな、雄々しい男子どもよ、と謡われているわけです。『万葉集』において既に、〈武士〉という単語があり、武士道の前身となる道が「丈夫の行くといふ道」として謡われているのがわかります。
 室町前期の勅撰和歌集である『風雅和歌集(1349~1349頃成立)』にも、「武士の道」を見つけることができます。[雑下・一八二三]に、〈命をばかろきになして武士の道より重き道あらめやは〉とあります。武士の道は、命よりも重いものだと考えられています。

第二節 説話物語

 日本の説話物語においても、武士道に連なる道を見ることができます。
 『今昔物語集』には、「弓箭の道」が語られています。〈我弓箭の道に足れり。今の世には討ち勝つを以て君とす〉とあり、勝つことの重要性が説かれています。他には、〈心太く手利き強力にして、思量のあることもいみじければ、公も此の人を兵の道に使はるゝに、聊か心もとなきことなかりき〉とあり、「兵の道」という表現を見ることができます。〈兵の道に極めて緩みなかりけり〉ともあります。「兵の道」という言葉は、『宇治拾遺物語』にも見ることができます。
 『十訓抄』には、〈最後に一矢射て、死なばやと思ふ。弓矢の道はさこそあれ〉とあります。また、〈弓箭の道は、敵に向ひて、勝負をあらはすのみにあらず、うちまかせたることにも、その徳多く聞ゆ〉ともあり、弓箭の道は敵に向って勝負を決するばかりではなく、多くのことに武芸は見られると語られています。
 無住(1226~1312)の『沙石集』には、〈武勇の道は、命を捨つべき事と知りながら〉という表現を見ることができます。

第三節 軍記物語

 軍記物語とは、平安時代末期から室町時代に至る武士集団の戦闘合戦を主題にした叙事文学のことです。その先駆的作品は『将門記』や『陸奥話記』です。編纂された時代の主従の道徳、情緒や献身、不惜身命の精神、家名と名を惜しむ武士のあるべき姿が、仏教、儒教、尊皇思想を背景に語られています。
 『保元物語』では、「弓矢取る者」について語られています。〈弓矢取る者のかかる事に遭ふは、願ふ所の幸ひなり〉とあり、武士たる者が名誉の戦死に逢うことは、願うところであり幸いであると語られています。また、「兵の道」や「武略の道」という表現も物語の中に見ることができます。
 『平治物語』では、「弓箭取り」や「弓矢取る身」などの表現が見られます。弓箭取りに関しては、〈弓箭取りと申し候ふは、殊に情けも深く、哀れをも知りて、助くべき者をば助け、罰すべき者をも許したまへばこそ、弓箭の冥加もありて、家門繁昌する慣らひにて候ふに〉とあります。つまり、武士は特に情け深く哀れを知り、助けるべき者を助け、罰すべき者も許し助けてこそ武芸に加護もあり、一家が繁昌することになると語られているのです。
 『平家物語』では、仏教的な因果論が語られています。その中で「坂東武者の習」や「弓矢とる身」などの表現が見られます。坂東武者の習に関しては、〈坂東武者の習として、かたきを目にかけ、河をへだつるいくさに、淵瀬きらふ様やある〉とあります。坂東武者(関東武士)の習わしとして、敵を目前にして、川を隔てた戦いに、淵だ瀬だと選り好みしていられるか、というわけです。
 『太平記』では、儒教的な名文論が語られています。その中で「弓矢取る身の習ひ」、「弓馬の道」、「弓矢の道」、「弓箭の道」、「侍の習ひ」などの表現が出てきます。弓矢取る身の習ひに関しては、〈大勢を以て押し懸けられ進らせ候ふ間、弓矢取る身の習ひにて候へば、恐れながら一矢仕つたるにて候ふ〉とあります。大軍勢で押し寄せられたとき、弓矢取る身の習いとして一矢報いたというのです。弓矢の道に関しては、〈述懐は私事、弓矢の道は、公界の儀、遁れぬところなり〉とあります。恨みは私事で弓矢の道は公の道理で、これは避けられないことだというのです。また、〈今更弱きを見て捨つるは、弓矢の道に非ず。力なきところなり。打死するより外の事あるまじ〉ともあります。今更に弱いものを見捨てるのは、弓矢の道ではないと言います。そのときに力がなければ、討死する他の選択肢はないというのです。
 歴史的な事実がどうあれ、軍記物語からは現実の武士が、武士としての規範を持っていたことが伺えます。そうでなければ、軍記物語において武士の理想が語られることはありえないからです。

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西部邁

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