ズレはあさっての方向へ風を通す ~おおひなたごう作『おやつ』(少年チャンピオン・コミックス)について~

1 心に残らない作品

本を読むかどうかを決めるとき、判断材料の一つとして私はアマゾンのカスタマーレビュー星1つを参考にしている。星1つのレビューは、私が興味を持ち始めている本をそれほど面白くないとしているわけであり、ここを読むということは、好きな人のアバタもアバタとして見る冷静さを自分に与える行為に思えるからだ。また単純に、好きな人のアバタを見てしまうかもしれないという、恐いもの見たさによって得られるドキドキ感を味わいたいからでもある。

とは言え、おおひなたごうの『おやつ』は人に薦められて読んだので、とりあえず読後にレビューを見てみた。すると、1巻以外は星4つか5つしかないという私の読後感と同じような評価だったが、1巻の星1つレビューは、短いながらも表現というものの核心に触れるものと思われた。

「2,3日すると内容を忘れる
買う必要はまったくありませんでした」

私の結論から言えば、『おやつ』の内容は2,3日では忘れなかったし、内容を忘れるか否かが作品を評価するポイントになるとしたら、忘れる作品のほうに高得点を入れたい。この矛盾した結論についての説明をする前に、「心に残る作品が良い作品」という一般的な価値観について考えてみたい
そもそも、何らかの意味でインパクトを持ち受け手に何かを与えることを、通常、表現は目指している。絵(ビジュアル)にしろ言葉にしろ音楽にしろ、他者の注意を引き何事かを伝え、他者の記憶に己を残すために発せられ形にされる。つまり一見すると、表現とは「心に残る」ことが全てと言っても過言ではないように思われる。

ローマ神話に記念をつかさどる女神ファーマが出てくるが、彼女の神殿は「天と地と海のちょうど真ん中(※1)」に位置するという。そこへは世界中から情報が届けられるが、気まぐれな女神の神殿に確たる場所を占めるための有効な手段の一つとして、「活イメージ」と呼ばれるものがある。それは、「効果の強いイメージのことであり、与える印象が強烈なために忘れ難く、それゆえ、より印象の薄い概念を記憶するための支えとして用いることができる。この意味でローマの記憶術では、思い出を支える最も重要なものとして、情動が挙げられている(※2)」という。つまり、「できるだけ目立つ比喩を探し、無言でぼやけたイメージではなく、力のあるイメージを置(※3)」き、「これらのイメージに並外れた美しさや比類のない醜悪さを与えなければなら(※4)」ず、それによって「心が何か新しくて驚嘆すべきものによって刺激され(※5)」、記憶に長く残ることになるという。

確かに古来より人は、情動に深く訴えかけることで記憶に刻印されるものを作る(=自らを残す)ことに力を注いできたが、残ったものが情報や歴史となることとは別の次元に創作物の良し悪しはあり、時には間逆にもなり得る。残ろうとする=目立とうとすることだけが残り、空っぽの自作自演がまるで深く心に残すべきもののように振舞いだしたとき、それは良くない作品となる。

このような恣意性が『おやつ』にはないため、「内容を忘れる」という印象を星1つのレビュアーは持ったと思われる。そして後に見ていくように、おやつ』は、私たちが無意識の内に従っている様々な恣意性をむしろ逆手に取り、からかっているのだ。

2 つじつま合わせよりもズレを選ぶ

『おやつ』に、メインのキャラクターではないが、真中さんという失業中のサラリーマンのような風采のおじさんが出てくる。彼は名前通り、ふと気づくと何かの真ん中あるいは最中にいるのだが、それが高校球児が渦巻状にかけるトンボの中心だったり(図1参照)、青春のど真ん中だったり、銃撃戦の渦中だったりと、夢か現実かはっきりしないシュールなシチュエーションばかりである。しかも真ん中にいながらも、真中さんはその場面の主役ではない。中心軸がズレているのだ。この真中さんの立ち位置は、『おやつ』という作品全体を象徴するシンボリックな存在と思われる。つまり、読者の情動に真正面から訴えかけるのではなく、読者の期待する情動からわざとあらぬ方向へずらし、「並外れた美しさ」や「比類のない醜悪さ」といった固定観念に風穴をあけているのである。さらにそのズレ自体が固定観念になってしまわないように、ズレはどこまでもズレ続けていこうとする。
「スパイク」より真中さん(図1)

設定やキャラクターの個性を固めることよりもずらしていくことを選ぶという行為は、作者が自分の生み出したキャラクターに思い入れがないからこそできるのであり、読者の考えた「オリキャラ(オリジナル・キャラクター)」も、同じように作品に取り込んでしまうことに成功していることにも通じる。「内容を忘れる」というレビュアーの読みは、ある意味的を射ているものなのだ。作者が入り込まずに描いているものに、読者も入り込めるはずはないのだから。

ただ、そこで見過ごされているものが、「ズレ」という違和感だ。作者は、読者にインパクトや共感を与えて情動を操作することはせず、「ズレ」の違和感からくる面白さを差し出しているだけである。
この「ズレ」とは、例えば、『おやつ』は1ページから6ページほどのショートマンガの連作から成っているが、それらのタイトル全てが、1コマの端にちょっとだけ覗いている「自転車置き場」のように本題ではないものだったり(※6)、主人公のおやつくんのニセモノ(偽物とは、本物を前提とした「ズレ」そのものである)であるニセおやつくんがでてきたり(※7)と色々あるのだが、ここでは主なもの3点について詳しく見ていきたい。

→ 次ページ:「3 ドラえもんのいないドラえもん的キャラクター構成」を読む

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西部邁

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