日本であまり広まっていない、物価や雇用の安定化をもたらすELR政策
- 2014/7/3
- 経済
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本稿では、Randall Wrayの「最後の雇用者(Employer of Last Resort,ELR)」政策(以下ELR政策)について述べる。ELR政策という概念は、日本ではあまり広まっていないといえる。現在の日本が抱えるデフレーションなどの問題を考えるにあたり、ELR政策は参考になると思われるので、以下で簡単に解説、検討したい。
最後の雇用者である政府が雇用の安定化を担う
ELR政策とはどのような政策なのだろうか。端的にいえば、公共部門が失業者を雇用する政策である。Wrayによれば、政府は「民間部門雇用を見いだせないすべての労働を雇用する最後の雇用主として行動する」(Wray,1998,p.125)とされる。具体的には、政府はある賃金を設定し、その賃金での雇用を求めている人をすべて雇う。このようにして提供される雇用をBPSE(basic public sector employment)といい、設定される賃金をBPSW(basic public sector wage)という。BPSWは生活賃金であり、また法定最低賃金ともなる。
WrayはELR政策の目的を、’stable prices’ と’full employment’1の両立だとする。一般に、失業率とインフレーションはトレードオフ関係(「失業率を低下させようとすればインフレが発生」し、「インフレを抑制しようとすれば失業率が高くなる」 )にあるといわれる。では、ELR政策は、どのように’stable prices’ と’full employment’を達成するのだろうか。
Wrayによれば、ELR政策により雇用された労働者は、緩衝在庫(buffer stock)として作用するという。雇用された労働者、言い換えれば、貯蓄された労働の「緩衝在庫」は、他の商品の緩衝在庫がその価格を安定させるのと同じように、非BPSE労働の価格の安定化、つまり賃金の安定化に役立つだろうとWrayは述べる。また、政府による外生的なBPSW設定は、貨幣価値を変動させる。
さらにWrayは政府主導で労働市場を作ることを提案する。政府は、ELRプールに貯蓄された緩衝在庫としての労働者を利用し、マーケットメイカーとして行動する。つまり、外生的に設定される固定価格(BPSW)で失業者を購入し、BPSWにマークアップした価格で労働者を民間部門に売ることにより、労働市場を作るのである。
失業保険等の削減、社会問題の改善など二次的な効果も期待
以上のことから、WrayはELR政策の「労働」と、金本位制下の「金」との共通性を指摘する。金本位制において政府は、貨幣価値を金と関連づける形で外生的に決定、緩衝在庫を利用することでマーケットメイカーとして振る舞う。また、政府は固定された価格で金を買い取ることになる。このような制度は物価の安定をもたらしたとWrayは述べている。同じ構造をもつELR政策もまた、物価の安定をもたらすことが期待される。
ELR政策には他にも様々な効果があるとWrayはいう。ELRは直接雇用を提供するため、失業保険等の削減が期待できる。また、失業をなくすため、犯罪、児童虐待、離婚などの様々な社会問題の改善に寄与すると思われる。さらに、失業による人的資本の質の劣化を防ぐだけでなく、BPSEプールにいる間にその質を向上させることも可能だという。質の向上した労働者は、インフレ圧力を減少させるであろう。
以上、ELR政策について解説してきた。以下ではWrayの議論をごく簡単に検討したい。ELR政策では、BPSWにより労働市場に労働賃金の「底」が与えられている。一方、「天井」は存在していない。インフレーションを回避できるとは言い切れないのではないかと思われる。また、「様々な社会問題を改善する効果」といっても、強調するだけの効果があるのかどうか疑わしい。とはいえ、公共部門による失業者の雇用は、即効性があり、不況時には有効な手段となるだろう。また、インフレ抑制に関しても他の制度と組み合わせることにより、よりよいものとなる可能性があるのではないだろうか。
参考文献
Wray,L.R. 1998.Understanding Modern Money: The Key to Full Employment and Price Stability,Cheltenham: Edward Elgar
Wray,L.R. 2012.Modern Money Theory: A Primer on Macroeconomics for Sovereign Monetary systems,Palgrave Macmillan
内藤敦之,2011.『内生的貨幣供給理論の再構築 ポスト・ケインズ派の貨幣・信用アプローチ』日本経済評論社
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