ズレはあさっての方向へ風を通す ~おおひなたごう作『おやつ』(少年チャンピオン・コミックス)について~
- 2014/7/3
- 思想, 文化
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6 同一化する=ズレる
以上で見てきたように、いわゆるポストモダン的であり、デリダの言う脱構築や差延作用を思わせるものを『おやつ』は持っているのだが、ことはマンガで起こっている。もともとマンガというジャンル自体がメインカルチャーを脱構築する立ち位置にあり、『おやつ』は、そのマンガをさらに脱構築するという二重構造の体を成す。が、近年はマンガも大学で講義されたり美術館で展示されたりして、脱構築どころかメインカルチャーの中にあっさり取り込まれているように見える。というよりも、マンガというフォーマットに注目したジャンル区分で全体が一括りにされるのではなく、学問として分析や批評に供しやすいマンガ、美術館に飾りやすいマンガ、コンテンツになりやすいマンガ等といったように、従来のジャンル区分から別のジャンル区分へ移動しつつあるのかもしれない。しかし、新たなジャンル区分は、従来の少年マンガ、少女マンガ、青年マンガ、エロマンガ、レディース、BLといった区分が意味をなさないくらい、マンガが表現として本質的な多様性を失い一様化してきたことのごまかしでしかないように思える。
『おやつ』は、メルヘンなこどもマンガのフリをして中身は全く違うという、ジャンル分けそのものでもズレており、自らも身を置く固定観念を笑うことができる視点を与えてくれる。私たちが信じているルールや価値観がいかに錯覚や恣意性でできているか、にもかかわらず、その錯覚や恣意性は私たちには必要であり、実際いかに私たちはそれらを基本にしてきたかということを、『おやつ』は示唆する。そして、読んでいてその世界に入り込むことを許さない、どこから来てどこへ向かうとも知れない隙間風にさらされるような面白さもあるということも。
注
(※1) ジェフリー・チョーサー『名声の館』
(※2) アライダ・アスマン『想起の空間』
(※3) (※4) (※5) フランセス・A・イエイツ『記憶術』
(※6) おおひなたごう『おやつ』1巻「自転車置き場」
(※7) おおひなたごう『おやつ』3巻「スポーツバッグ」「サイドカー」「ファイトクラブ」、
4巻「まくら」
(※8) 例えば、おおひなたごう『おやつ』1巻「VHS」
(※9) おおひなたごう『おやつ』1巻「ユニホーム」
(※10) おおひなたごう『おやつ』2巻「90度」
(※11) おおひなたごう『おやつ』1巻「電気スイッチ」
(※12) おおひなたごう『おやつ』2巻「バックネット」
(※13) おおひなたごう『おやつ』4巻「サンプラス」
(※14) おおひなたごう『おやつ』1巻「ポッケに手」
(※15) おおひなたごう『おやつ』1巻「ノーカラー」
(※16) おおひなたごう『おやつ』1巻「ひき潮」
(※17) (※18) おおひなたごう『おやつ』2巻「山脈」
(※19) おおひなたごう『おやつ』1巻「十字架」
(※20) おおひなたごう『おやつ』4巻
(※21) おおひなたごう『おやつ』5巻
(※22) おおひなたごう『おやつ』1巻「ベースボールキャップ」
(※23) おおひなたごう『おやつ』3巻「カッター」
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