ズレはあさっての方向へ風を通す ~おおひなたごう作『おやつ』(少年チャンピオン・コミックス)について~

5 マンガであることからもはみ出ようとするメタ的ズレ

主に風間慎というキャラクターが体現していることが、ここで述べようとしているメタ的ズレである。彼は1コマ目に、「俺の名は/風間慎/この不良高校に/転校してきて/一週間」と「早くも俺は/子分を/二人つくった」という四角い枠で囲まれたナレーションとともに登場するが、次のコマ以降ではそれらのナレーションは二つの看板に書かれたものであり、二人の子分が彼の両脇を持って歩いていることが分かる(※14)。彼の心の声のナレーションはすべてこのような看板になっており、回を重ねるごとに書かれる場所が、野球場の電光掲示板(※15)、砂浜(※16)、(実現はしなかったが)ひこうき雲(※17)、(逆に他人に伝わりにくい)星座(※18)と、おかしな方向へエスカレートしていく。また、マンガの背景によくある効果線やオノマトペも看板に書いておやつくんたちに持たせている(※19)。そして「チャンピオン(※20)」では、マンガのコマから向こう側へ飛び降り、マンガのルール(マンガであること)から逃走するという禁じ手を犯してしまった結果、追われる身となる。しかし、「軟球(※21)」で突然フェンスの向こう側に現れた風間慎の顔は、マンガ的処理で金網が消されたために見えているのではなく、彼自身がペンチで金網を切り落としたため見えているというオチになっている。

風間慎だけではなく、他のキャラクターたちもマンガの中の存在でありながら、マンガを外側から見る視点=読者の視点を持っている。例えば、乾刑事が幼い妹のために季節外れのクリスマスツリーを見せようと、木に登っている子供たちに銃を向け、動くと撃つと脅す。そのとき、脅された子供たちの心理状態を表すマンガ的表現として、頭上や顔の横などに明かりが灯ったような光が描かれるが、それが乾刑事と妹からは、クリスマスツリーに灯る電球の光に見える(※22 図2参照)。「ベースボールキャップ」より光(図2)また、おやつくんたちが、雨が降ってきたという話をしている場面で、それは実は雨ではなく「線」だという発見をする。発見された「線」は、雨を表す記号であることをやめ、物質となってキャラクターたちを突き刺すようになる(図3参照)。「カッター」より雨(図3)逆に、針金のような物質となった「線」を用いて、驚いたときに背景に現れる効果線=集中線にしてみたり、キャラクターの顔などに陰影をつけるための斜線にしてみたりする(※23)。

上記で挙げた、ナレーションを枠で囲って書き込む方法や、便宜上の絵の省略、心理状態や雰囲気を表す効果、雨を線で表現する方法といったものは、すべてマンガ独自の記号でありマンガを読む上での暗黙ルールである。読者はほとんど意識することなく、これらの記号やルールが示すものを正確に読み取って内容を理解することができる。マンガの記号やルールの自明性には、多くの場合作者も囚われているが、『おやつ』の場合は、作者がその自明性を自明性とはせずに揺さぶりをかけている。このゆさぶりによるズレは次元をまたぐズレであり、突き詰めていくと風間慎のように二次元(マンガ)の世界での法律違反=三次元の世界となり、マンガに登場できなくなる=マンガに描かれなることになってしまう。

これは、『わたしの宇宙』(野田彩子/IKKI COMIX)のキャラクターたちが、自分たちのいる世界はマンガだと気づいている状況と同じである。彼らは『おやつ』のキャラクターたちとは違って、常に誰かに見られていることを恐れているが、登校拒否になったり失踪したりして、「マンガであること」から逃れようとしていたことは風間慎と通じるものがある。しかし、マンガのキャラクターである以上、マンガから逃れることはできないし、実際は彼らよりも高次元の者(作者)の意思で動かされていることはどうにもならない。マンガの規則をまともに覆そうとした結果、当然行き着くべきこの袋小路は、ズレが本筋になってしまう地点といえる。上下や主従といった要素を逆転させようとする行為は、より良いものや正しいものを取り戻そうとする確固とした態度なのだ。だが、ズレは決して確固とはしない。では、自分の世界の構造に気づいてしまった者はどうすればいいのか。
その応えの一つが、すでに例に出した乾刑事のエピソードであると私には思える。乾刑事と妹は、本来彼らには目に見えないはずのマンガ的記号が見えてしまっているにもかかわらず、そこから自分たちのいる世界を暴こうとはしない。それをさらにクリスマスツリーの灯りに見立て、妹は「わーきれい」と言っている。日本人が伝統的に好んでいる「見立ての美学」へとズレているのだ。見えないはずのものが見えるというズレから、「見立ての美学」へズレ、さらに、『おやつ』というマンガにそぐわない「見立ての美学」を持ってくることのおかしさへもズレている。乾兄妹は、自分たちのいる世界の構造を横目に、何もせずただどこまでもズレていく。彼らだけでなく、『おやつ』のキャラクターはみな、見えているものや分かっているものに留まることを許されず、限りなくズレ続けていくのだ。

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西部邁

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