人間の将棋はなくなりません! ―コンピューター時代の将棋観戦のあり方

人間棋士はもう廃業?

 時に、西暦20XX年。もはや労働という労働はすべて機械にとってかわられ、人類はニート…ゲフンゲフン、有りあまる余暇の時間を生かして芸術活動に励んでいた。だが、人類にしかできないと思われていた芸術の分野にも、しだいに機械の足音が迫る…
 
 SFの世界では、このようなユートピアともディストピアともとれる未来社会が、これまで幾度となく描かれてきました。といっても、日々労働に追われる我々現代人にとっては、まだまだ縁のない話かもしれません。しかし、こうした未来がいよいよ現実のものとして迫ってきた業界があります。

 将棋界です。

 いまや、コンピューターソフトが人間のプロ棋士に勝利してしまう時代。
 2014年春に開催された「第3回将棋電王戦」ではプロ棋士5人とコンピューターソフト5本とが団体戦形式で対戦、コンピューターソフト側がなんと4勝1敗という好成績で勝ち越してしまいました。
 
 これほどまでにコンピューターソフトが強くなってしまうと、世間一般の人々は「もう人間が将棋をやることに意味なんてあるの?」と思ってしまうかもしれません。
 はたして人間のプロ棋士は、このまま廃業して路頭に迷う羽目になるのでしょうか。

 そんなことはありません。

 これからも人間同士の将棋は今と変わることなく続き、人気を博することでしょう。私にはそう断言できます。

「箱根なんてロマンスカーで行けばいいじゃねーか」

 拙稿『平成の将棋ブームを読み説く!―将棋棋士と「キャラ」』でもご紹介したように、いまや将棋のタイトル戦はニコニコ生中継(ニコ生)にて終局まで生中継されるのが当たり前となりました。

 この他、NHK杯テレビ将棋トーナメントも毎週テレビで中継されますから、いまや将棋観戦はテレビやパソコンのモニターを片目に、2ちゃんねるやニコ生の画面などにコメントを投稿して楽しむ―これを「実況」といいます―というスタイルが一般的です。

 実況する将棋ファンの中には、市販されているコンピューターソフトを使って形勢判断(どちらが有利か)や詰み筋(どのような手順で詰みに至るか)の検討などを行い、その結果をネットに書きこむ人たち―通称「ソフト班」がいます。
 
 彼らは、局面ごとに「現在の評価値(※)は+1000超えで先手優勢」だとか「後手玉はあと○○手で詰み」だとか、いちいち指摘してくれるわけです。

※「評価値」とは、コンピューターソフトが形勢を示すのに用いる数値のことで、プラスの値ならば先手有利、マイナスの値ならば後手有利を表します。数値の絶対値が500を超えれば一方が有利とされ、1000を超えるとはっきりとした優勢、2000を超えるともはや勝利が確実の「勝勢」と呼ばれる域にあるとされます。

 こうした指摘は初級者にとってはありがたい一方、スリリングな終盤戦で「後手玉はあと○○手で詰み」などと指摘されると、なにやら「ネタばれ」をされてしまったような感覚にもなります。実際、ソフト班の存在を煙たがる将棋ファンも少なくありません。

 しかし一方、ソフト班のもたらすデータをもとに観戦を楽しむというファンもいることも、また事実です。

 将棋の終盤はとにかく正確さが求められるため、ファンの関心は「棋士が最善手を指せるかどうか」に向けられます。最善手とは、この場合コンピューターソフトの推奨する手のことと言っていいでしょう。コンピューターは終盤では絶対間違えませんからね。

 このとき、棋士の指す手がコンピューターソフトの推奨手と一致すると、ファンは「おおっ、コンピューターと同じ手を指してる! すげえ!」と驚嘆するのです。

 これは、陸上競技にたとえると分かりやすいかもしれません。

 お正月の風物詩・箱根駅伝。私の父は毎年「なんで箱根までわざわざ走って行くんだ。箱根なんてロマンスカーで行けばいいじゃねーか」などと言います。私は「そういう問題じゃねーよ!」と毎回ツッコミを入れるのですが(笑)、しかし父の言うことも一面の真理です。

 鉄道を利用すれば、はるかに短時間で労力もかけることなく箱根まで行くことができます。そこをあえて人間の力だけで、それも常人離れしたスピートで、山を登り、箱根まで走って行く。その姿に人々は感動し、エールをおくるのです。

 将棋にも同じことがいえるのではないでしょうか。

 難解な終盤戦でも、コンピューターは「この局面は○○手詰み」と正確にはじきだします。でも普通の人間にはそんなの解けっこない。それを将棋棋士は自分の力だけで、それも少ない持ち時間の中で、解いてしまう。だからこそ、彼らはファンからの尊敬を集めることができるのです。

完全でないから、面白い

 とはいえ、人間はかならずしも最善手ばかりを指せるわけではありません。人間が人間である以上、悪手を指してしまうのは避けられないものです。

 しかし、それこそがむしろ人間将棋の魅力であると言えるのです。

 悪手を指せば、形勢が逆転する可能性が高まります。「将棋は逆転のゲーム」とよく言われます。たった一手で、それまで築き上げてきた優勢があっという間に覆ってしまう。そのためファンは、最後まで固唾を飲みながら、盤上での戦いを見守けなければなりません。

 こういった部分も、駅伝と似ているかもしれませんね。

 駅伝では、天候や、選手自身の身体のコンディションが悪かったり、選手がペース配分を間違えたりすると、エースでも失速してしまうことがある。すると順位に変動がおこる可能性が高まります。選手にとってはたまったものじゃないでしょうが、視聴者はこの先どうなるかと手に汗握りながら観戦することができます。

 完全でないからこそ、エンターテインメントとしての魅力が生まれるのですね。

 今回取り上げたのは将棋の話でしたが、チェスの世界でも事情は同じです。チェスではすでに20世紀末の時点でコンピューターソフトが人間に勝利しましたが、それにより人間のチェスプレイヤーが全員廃業したかといえば、とんでもありません。21世紀の今日でも人間同士のチェス対局は世界的な人気を集めており、多くのチェスファンがコンピューターソフトの解析結果を参照しつつ、観戦を楽しんでいます。

 人間同士のチェスがなくならなかったのと同様、人間同士の将棋もなくなることはないでしょう。

 時に、西暦20XX年。機械が棋力において人間を凌駕するようになってもなお、人間は将棋を指し続けるのです。未来永劫。

西部邁

古澤圭介

古澤圭介フリーライター

投稿者プロフィール

1984年、静岡県生まれ。横浜国立大学工学部卒業。ナショナリズム、ジェンダー論、言語学、映画、アニメ、将棋など幅広い分野に関心を持つ。

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