日本は韓国に謝り続けなければいけないのか?内田樹の出鱈目コラムについて
- 2014/12/13
- 歴史
- ポツダム宣言
- 80 comments
産経新聞のコラムを読んで、驚愕した。久々に怒りが湧いてきた。全国の読者、とりわけ、若い世代の読者がこうした出鱈目なコラムを読んで、おかしな妄想に取りつかれないために、ここで批判しておく。
日本は謝り続けないといけないのでしょうか? 内田樹の「ぽかぽか相談室」という記事。まずはご一読頂きたい。
日本は謝り続けないといけないのでしょうか? 内田樹の「ぽかぽか相談室」
「無条件降伏」に対する無知
この内田なる人物の回答が余りに酷いので、ここで訂正、批判しておく。内田はこう言っている。
大日本帝国もミッドウェイ海戦の敗北の後、降伏していれば、海外植民地を手放すくらいで政体は維持できた
何という無知なのだろう。
アメリカのルーズヴェルト大統領は日本に対して「無条件降伏」という過酷な要求を突き付ける意図を有していた。この「無条件降伏」なる降伏が如何に過酷な降伏だったかの認識が内田には欠落しているようだ。「無条件降伏」について誤った認識をしている人が多いのでこの「無条件降伏」について説明しよう。この「無条件降伏」とは、戦勝国が敗戦国に対して何の要求もしないで無条件に許してあげようということではない。全く逆で、敗戦国が何の条件をつけることも出来ないまま降伏するという意味だ。例えば、「いくら戦争で負けたからといっても、日本語を廃止して英語にするのは止めてほしい」といった条件を1つもつけることが出来ずに降伏することを意味する。従って、何の保障もないままに勝者の好きなようにしてくださいと降伏するのが無条件降伏だ。
何もかもが勝者の手に委ねられ、何ひとついうことが出来ない。これが無条件降伏なのだ。これほど過酷な要求は歴史上例がなく、米国内の軍人たちもルーズヴェルトが無条件降伏に拘ることに関して、批判的だった。このような過酷な要求を突きつければ、日本は態度を硬化させ、なかなか降伏を受け容れず、多くのアメリカの青年が血を流すことになるからだ。だが、ルーズヴェルトは無条件降伏に拘った。従って、仮に日本がミッドウェイ海戦で負けて降伏していたとしても、相手は「無条件降伏」を望んでいるのだから、とても「海外植民地を手放すくらいで政体は維持できた」とは思えない。
天皇(国体)を守ろうと必死に模索し、降伏に到った
また、つぎの文章も酷い。
ミッドウェイで負けて、マリアナ沖で負けて、制海権・制空権を失った状態でも戦い続け、東京、大阪はじめ主要都市を軒並み空襲で破壊されて、広島、長崎に原爆を落とされて、焦土と化して、戦争指導部も「このままでは革命が起きて自分たちが殺されるかもしれない」という恐怖に取り憑かれて、そこでようやくポツダム宣言を受諾した。
これも全く歴史的事実とは異なる。
日本が降伏したのは、「戦争指導部」が『このままでは革命が起きて自分たちが殺されるかもしれない』という恐怖に取り憑かれて」いたためではない。日本が滅びるかもしれないと感じたから、何とか天皇(国体)を守ろうと必死に模索し、降伏に到ったのだ。(国体と天皇の関係については複雑なのでここでは省略する)
そもそも、この内田の戦争指導部が革命で殺されることを恐れて降伏したという主張が、単なる妄想に過ぎないのは、次の事実を確認すればよいだろう。
まず、戦時下の日本で革命を起そうとする勢力は日本共産党など極少数であり、とても革命が勃発しそうな状況になかった。むしろ、降伏した後に共産主義革命の危機が迫った。また、戦争指導部が自身らが殺されることを恐れていたというが、彼等の多くが降伏することによって、東京裁判で死刑とされたのだ。自分の命だけを守ろうとして、戦争を終えたというのは余りにナンセンスだ。
また、ここで見落とされているのがソ連参戦だ。原爆が投下されただけでなく、日ソ中立条約を破棄してソ連が日本に参戦してきた。原爆投下とソ連の参戦とどちらが、降伏の決定的なポイントになったのかについては、議論が分かれるが、この中立国であったソ連の参戦も日本にとっては衝撃だった。
次もペテンのような文章だ。
大日本帝国が瓦解して、そのあと新しい政体ができました。帝国臣民は一夜明けて民主日本国民になってしまった。
宮澤俊義の八月革命説を採りたいのだろうが、法的なロジックはさておくとしても、現実において、敗戦を機に「別の国」の国民になってしまったなどと考えているひとはいなかった。仮に内田の議論を鵜呑みにして、帝国臣民が一夜にして日本国民が全く違う国民になってしまったのならば、中韓に謝罪すべきは帝国臣民であって、日本国民ではないだろう。
1
2コメント
この記事へのトラックバックはありません。
この記事へのコメントはありません。