『夢幻典』[伍式] 輪廻論
- 2016/12/6
- 思想, 歴史
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自己についての問い。
自己は身体と無関係である。
自己は性質と無関係である。
自己は記憶と無関係である。
そして、自己は世界と無関係である。
それゆえ、自己は世界を超えている。
自己は世界に内属しており、
自己は世界と同一であり、
自己は世界の外側にある。
だから、そこに、
世界と世界のつながりが想定される。
今の世界が、前後の世界とつながる。
自己存在の不可思議性のゆえに。
生と死の約束に亀裂が入る。
生と死が世界と結びつけられる。
世界において、時間による亀裂が走る。
今の世界、前の世界、後の世界
輪廻転生の思想が生まれる。
一つの時間軸による、もう一つの時間軸への浸食。
今の前後による転生が、歴史軸を浸食して展開される。
それゆえ、すべては一つになり、一つはすべてになる。
そういった想定も為され得ることになる。
成され得ることは示されえずとも。
浸食の仕方により、多くの輪廻転生の種類が示唆されるだろう。
自己は、常住にして不変であるか。
それは、そうだと言えるだろう。
しかし、そうではないかもしれない。
だから、自己は常にして常ならず。
不変にして、不変ならず。
それは想定され得るが、知り得ない。
そのため、それは態度の問題となる。
自覚できないことを、自覚することはできないがゆえに。
自覚できないことを、選択肢として可能性を想定する。
その選択肢から、何かを選び取る。
智恵により、自覚できないことを悟るのではない。
智恵により、自覚できないことを悟るのである。
智恵により、自覚できないことを悟ることはできない。
智恵により、自覚できないのだということを悟るのだ。
それゆえ、智恵における知識が問われる。
知識により、この世界は虚妄となる。
知識により、この世界は全てとなる。
すなわち、知識により、この世界は切り刻まれることになるのだ。
一つの選択は、すみやかに死へ向かう。
あらゆる欲望の消滅に伴い、生への執着が絶たれ、餓死へといたる。
また、一つの選択は、知り得ぬはずの設定を積み重ねる。
例えば、善悪の行為により、転生の先を導く。
例えば、執着の滅却により、輪廻の輪を絶つ。
また、一つの選択は、知り得ぬはずの設定を積み重ねる。
例えば、善悪の行為により、死後の世界を導く。
例えば、天国と地獄という仕組みを作り上げる。
その態度の問題は、善悪の設定の問題へとつながる。
そこで、ある思想体系において、善悪の設定が積み重ねられる。
それが様々に利用される。
善悪の根拠の底は抜けている。
だから、それこそが善悪を語る理由となる。
塞がれた底があり、底が抜けたままの語りもまたあるのだ。
だから、一つの選択は、死と無の思想を必要とする。
自死の可能性が問われることになる。
死が無となり、それゆえ、死に意味が与えられる。
輪廻の基に悟り啓く。
輪廻など無いと悟り啓く。
悟りは輪廻転生の解釈により、多様な形態を魅せる。
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