日本は韓国に謝り続けなければいけないのか?内田樹の出鱈目コラムについて
- 2014/12/13
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「完全かつ最終的に解決された」賠償問題を蒸し返す異常性
次の文章も酷い事実誤認だ。
戦争ってのは勝ったり負けたりするものですから、負けたときにちゃんと「すみません」と謝っておけば、そんなに尾をひきずるものじゃない。中韓の日本に対する謝罪要求が終わらないのは、謝っていないからです。
外交では、「すみません」と謝るのではなく、そうした謝意を賠償という形にするものだ。そして日本は韓国に対しては日韓基本条約で韓国へ巨額の賠償金を支払い、「両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が,千九百五十一年九月八日にサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約第四条(a)に規定されたものを含めて,完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認」している。 「完全かつ最終的に解決された」問題を蒸し返す方が異常なことではないのか。
また、謝罪していないというのも虚偽だ。
謝罪は余りに多いから幾つかを挙げておく。
田中角栄
「日本側は、過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する。」
宮澤喜一
「日本政府及び日本国民は、過去において、我が国の行為が韓国・中国を含むアジアの国々の国民に多大の苦痛と損害を与えたことを深く自覚し、このようなことを二度と繰り返してはならないとの反省と決意の上に立って平和国家としての道を歩んできた」
今上天皇
「我が国によってもたらされたこの不幸な時期に、貴国の人々が味わわれた苦しみを思い、私は痛惜の念を禁じえません。」
そして謝罪がなかったからだという事実誤認に基づいての次のような妄想が続く。
平和条約でもODAでもけりがつかなかったのは、韓国市民にしてみたら、日本人に謝ってもらった実感がないからです。
どう考えてみても、冷静にみてみれば、中韓が歴史を外交問題に利用しているだけにしかみえない。別に日本国民はアメリカに対して、東京大空襲、原爆投下に対して謝ってもらった実感はないが、許している。アメリカ国民に対して謝罪を要求し続けている人など、殆ど存在しないだろう。歴史の問題を蒸し返すのではなく、積極的に将来に向かって良好な関係を構築しようと努力しているのだ。
そして勝手な結論を導き出す。
だから理屈は簡単なんです。先方が「謝られた」と実感してくれさえすればいい。「謝罪しろ」と言われる前に「すいませんでした」と言って頭を下げる。
これは個人の問題と外交問題を同一視した全くのナンセンスだ。国家として謝罪することと個人が謝罪することでは意味が全く違う。そして自分の不気味な謝罪の自慢を紹介する。
「僕は韓国の人に会ったら、とりあえず「先祖がいろいろご迷惑をおかけして、すみません」とまず謝りますよ。それでも怒り続ける人なんて会ったことないです。みんな「まあまあ、お手を上げて。別に内田さんがやったわけじゃないんですから」と言ってくれます。「おう、責任があると思うなら、誠意示せよ、誠意」なんてヤクザみたいなこと言う人いませんよ。」
老婆心ながら、内田は相当おかしな人だと思われていないか心配になってしまう。そもそも出会いがしらに謝罪する人間関係とはいったい何なのだろう。
私は出会ったアメリカ人がいきなり先祖の謝罪をしてきたら、薄気味が悪いと思う。
「原爆を投下して申し訳ないです」
「東京大空襲して申し訳ないです」
「日本国憲法を押しつけて申し訳ないです」
私だったら、こういう方とのお付き合いは避ける。のっけからこういう不気味な謝罪をされたら、何と答えてよいのか、返答に窮するのが常識人ではないだろうか。
私には中国人、韓国人の友人がいるが、そんな謝罪をしたことは一度もない。だが、良好な関係を保っている。
日本人の仕事は旧植民地の人に会ったら、とりあえず「いろいろすみませんでした」とさくっと謝ること。ドイツの大統領だってやってることなんだから、文句言わない。
全世界の植民地を所有していたかつての宗主国は全て、謝罪しつづけろということになるが、そんなことを実践している国家がどこにあるのだろうか。
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