安倍首相は「妖怪」である ―「アベノセイダーズ」を考える

清原逮捕は安倍政権の陰謀!?

 みなさんは「アベノセイダーズ」という言葉をご存じでしょうか。
 分野を問わずあらゆる出来事の責任を安倍晋三首相に求め「安倍のせいだ!」と叫ぶリベラル派を揶揄する、ネットスラングです。
 本当に、なんでもかんでも「安倍のせい」になってしまいます。パリで同時多発テロが発生すると、「安倍のせいで次は日本がテロの標的になる」。北朝鮮が核実験を強行すると、「これは危機を煽って憲法改正を推し進めるための、安倍政権の陰謀だ!」。
 芸能ニュースまでもが「安倍のせい」です。2016年2月3日、元野球選手の清原和博容疑者が覚醒剤取締法違反容疑で逮捕されました。このときは、同時期に持ち上がった甘利明経済再生相の辞任騒動と結び付けて「清原逮捕は、甘利辞任という政治的失点を覆い隠すための、安倍政権の陰謀だ!」との声がリベラル派から上がりました。もちろん、これがなんら根拠のない陰謀論にすぎないことはいうまでもありません。
 私は最近、「安倍首相には『リベラル派の理性を打ち消してしまう特殊能力』が備わっているんじゃないか」と、よく冗談を言っています。
 人気ライトノベル『とある魔術の禁書目録』では、主人公・上条当麻は「幻想殺し(イマジンブレイカー)」なる特殊能力を操ります。これは、敵の超能力ないし魔術を打ち消すことができるというもので、上条当麻はこの能力を駆使して敵を無力化、倒していきます。なんだか安倍首相も、リベラル派の理性を打ち消す特殊能力を使って、彼らを自滅へと導いているかのように見えてしまいます。
 ひとたび安倍首相という「磁場」に絡めとられると、普段は理性的な人物ですら、にわかに陰謀論を主張しだすのです。まるで樹海のなかで方位磁針が狂ってしまうように。

安倍首相は保守? リベラル?

 安倍首相のこの特異な「磁場」の原因は、いったい何なのでしょうか。
 私が思うに、それは安倍首相が保守「ではない」からです。もっと正確に言うと、安倍首相は保守だかリベラルだかわからない、実にヌエ的な存在だからです。
 安倍政権の最大の特徴として、大胆な金融緩和を伴った「アベノミクス」が挙げられます。しかし本来、保守とは金融緩和を行うものなのでしょうか。
 経済学者の松尾匡さんは、「左派の立場こそ本来、金融緩和を重視するべき」と主張しています。松尾さんは朝日新聞のインタビュー記事において、以下のように述べています。

「欧米では左派は金融緩和に賛成という色分けが普通だ。金融緩和は雇用を拡大させる効果があり、それは左派が重視するものだからだ。一方、物価が上がってインフレになれば資産が目減りするから、お金持ちの階級が金融緩和に反対する。こういった人々の支援を受けた右派の政治家は普通、金融緩和については否定的だ」 (朝日新聞デジタル 2015年2月16日)

 松尾さんの整理に従えば、安倍政権はなんと(欧米基準での)左派ということになってしまうのです。
 安倍政権はまた、自らの支持層である保守派から反発を受けても、それに抗って政策を推し進める傾向があります。
 2015年10月、日米をはじめとするアジア・太平洋地域の12ヶ国は、環太平洋経済連携協定(TPP)締結交渉で大筋合意に達しました。TPPに関しては、自民党の支持基盤のひとつである農業団体が「日本の農業が破壊される」として、これに反対してきました。安倍政権は、支持基盤からのそうした反対の声を押し切って、TPP批准にむけて進んでいます。
 日韓関係においても同様のことが言えます。2015年12月、日本と韓国は「最終的かつ不可逆的に」慰安婦問題を解決することで合意しました。この合意に対し、日本の保守派からは「日本の名誉が傷ついた」として強い反発の声が上がっています。
 私は安倍政権のこれらの政策について、その是非をここで論じるつもりはありませんし、その能力も残念ながら持ち合わせておりません。私はただ、安倍政権がときに自らの支持層である保守派の反発に抗ってでも政策を推し進める、という事実を指摘したいのです。
 安倍首相のナショナリズム観にも注目する必要がありそうです。
 2015年に安保法制が成立した際、これに反対するリベラル派の間では、安倍首相をヒトラーになぞらえる言説が多く見られました。はたして安倍首相は本当に「現代のヒトラー」なのでしょうか。
 評論家の古谷経衡さんは、安倍首相が意外にも多民族・多人種社会を肯定していることを指摘しています(『愛国ってなんだ 民族・郷土・戦争』 PHP新書)。安倍首相が著書『美しい国へ』のなかで、1998年サッカーW杯においてアルジェリア系のジダン選手はじめ移民の選手たちが活躍してフランスを優勝へと導き、フランス国家の英雄となったことを称賛しているからです。
 いうまでもなく、このような安倍首相のナショナリズム観はヒトラーの人種主義とはまったく異質のものです。安倍政権を積極的に支持している(あるいは、してきた)保守派も、こうしたナショナリズム観を必ずしも肯定はしないでしょう。
 ガチガチの保守かと思いきや、妙なところで、ものすごくリベラル。
 憲法改正など、安倍首相の保守的な主張にばかり気を取られていると、彼のきわめてヌエ的な本質を見落とすおそれがあります。

安倍首相は「妖怪」である

 安倍首相の祖父である岸信介元首相は、その特異な経歴からか「昭和の妖怪」と呼ばれていました。その孫である安倍首相も、ある意味では「妖怪」といえるのかもしれません。
 民俗学によれば、時間や空間の境目に、妖怪は現れます。時間の境目とは、夕暮れ時や明け方など、昼と夜の間にある曖昧な時間のこと。空間の境目とは、辻や橋など、ふたつの空間の境界に位置する場所ということです。
 妖怪とは、このようにふたつのカテゴリーの境界に位置する存在です。そして人間は、このように既存の枠組みでは括りきれない存在に対し、恐怖を抱き続けてきました。
 どこか安倍首相に似ているとは思わないでしょうか。保守とリベラルというふたつのカテゴリーを越境ないし侵犯する「妖怪」としての安倍首相に。
 安倍首相を既存の「保守」のカテゴリーに括ることができないからこそ、リベラル派はこの得体のしれない安倍首相に―ほとんど「生理的」とすら言っていいほどの―強い嫌悪と恐怖を抱いてしまうのではないか。
 これこそ、冒頭で紹介した「アベノセイダーズ」が生まれてしまう原因ではないのか―私はそう考えています。 

西部邁

古澤圭介

古澤圭介フリーライター

投稿者プロフィール

1984年、静岡県生まれ。横浜国立大学工学部卒業。ナショナリズム、ジェンダー論、言語学、映画、アニメ、将棋など幅広い分野に関心を持つ。

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