近代を超克する(30)対キャピタリズム[3]ケインズとシュンペーター

「近代の超克」特集ページ

 今回は、イギリスの経済学者ケインズ(John Maynard Keynes, 1883~1946)と、オーストリアの経済学者シュンペーター(Joseph Alois Schumpeter, 1883~1950)の見解を参照します。

ケインズの資本主義

 ケインズは、ケインズ革命と呼ばれる経済学の大変革をひきおこしました。彼は1926年に出した『自由放任の終わり』で、次のように述べています。

 わたし自身の見方をいうなら、資本主義は賢明に管理すれば、現時点で知られているかぎりのどの制度よりも、経済的な目標を達成する点で効率的になりうるが、それ自体としてみた場合、さまざまな点で極端に嫌悪すべき性格をもっていると思う。いまの時代に課題になるのは、効率性を最大限に確保しながら、満足できる生活様式に関する見方とぶつからない社会組織を作り上げることである。

 ケインズは、資本主義の問題点をかなり正確に認識していたと思われます。例えば、『雇用、利子、お金の一般理論』の第24章には、「消費性向と投資誘因の間での調整には中央のコントロールが必要ですが、その範囲を超えてまで以前より経済生活を社会化する理由はまったくありません」という言葉があります。
 ケインズは資本主義を無条件に肯定してはいません。資本主義を管理することで、満足できる生活様式を目指しているのです。

ケインズの外に立つ

 ケインズの意見には、参照すべき点が多く含まれています。
 経済史においては、第二次世界大戦後に各国がケインズ主義を受け入れて以来、程度の差はあれ混合経済(mixed economy)になっているという考えがあります。混合経済とは、生産手段は私有されていますが、自由放任主義の弊害を矯正するために、政府が経済管理の一翼を担っている経済体制を指す言葉です。
 例えば、新古典派総合のサムエルソン(Paul Anthony Samuelson, 1915~2009)は、「われわれの社会は、公私いずれもの機関が経済的統御に一役を果たすような『混合経済』である(『経済学(第十一版)』)」と述べています。この混合経済の考え方は、参照に値します。
 ただし、別に我々はケインズ信者でもケインジアンである必要もないので、ケインズの管理された資本主義という条件に囚われることなく、満足な生活が可能な社会組織を模索していけばよいのです。その際に、効率性をある程度犠牲にせざるを得ない状況もあるでしょうし、そのときは効率性を犠牲にすればよいのです。

シュンペーターの資本主義

 シュンペーターは1942年に発表された『資本主義・社会主義・民主主義』で、資本主義の本質を創造的破壊だと述べています。その上で、この創造的破壊の過程が、官庁や委員会による日常的管理の仕事としてやがて自動化されると述べています。そのため、生産を中央当局が支配し、経済的な事柄が公共的領域に属する社会主義社会へ移行すると考えられているのです。

シュンペーターの問題点

 シュンペーターの見解にはいくつかの問題点がありますが、まず創造的破壊は容易には自動化できないということを指摘できます。物理法則による制約や地球環境という制約や人間心理による制約などから、新しい財貨・生産方法・販路の開拓・供給源の獲得・組織の実現の自動化は極めて困難です。
 さらに、平等主義的で競争が働かないような状況では、創造的破壊のためのやる気が衰えてしまうということも指摘できます。つまり、シュンペーターの言う社会主義の優位性は、問題だらけなのです。
 確かに、資本主義では改良の普及に時間がかかることも抵抗があることも事実ですし、社会主義では改良を一気に普及されることも抵抗をなくすこともできると想像することができます。しかし、これは社会主義の優位性どころか、むしろ致命的な欠陥なのです。
 なぜなら、その人間の考えた「改良」が善い結果をもたらす場合もあれば、悪い結果をもたらす場合もあるからです。中央当局が唯一神のごとき全知全能であれば、社会主義はうまく行くでしょう。しかし、不完全な人間が完全な知識に到達することはないのです。そのため、解消の普及に時間がかかることや抵抗があることは、むしろ社会的な安定のために必要なことなのかもしれないのです。
 また、同様の理由から、社会主義社会になれば必要なくなると考えられている事業と国家機関との争いも、ある程度は必要なものなのです。中央当局が完全な知識を有しているならば、確かに事業と国家との争いは無意味でしょう。しかし、事業も国家も完全ではありえない以上、その争いと調停は必要なことなのです。

シュンペーターの外に立つ

 シュンペーターの述べる資本主義に対する社会主義の優位は、そのほとんどが間違っています。シュンペーターの考えは、中央当局が万能でなければ成り立ちませんが、もちろんそんなことはありえないからです。
 また、資本主義については、シュンペーターの考えを参考にしながらも、シュンペーターとは異なった立場から考えることが重要になります。すなわち、資本主義では創造的破壊を自動化できないため、予測困難な創造的破壊によって混乱が生ずるということです。そのために、その創造的破壊の破壊性に対する防御機構が必要になるのです。
 ここに、純粋な資本主義とも社会主義とも呼べない秩序の必要可能性が、仄見えてくるのです。


※第31回「近代を超克する(31)対キャピタリズム[4]キャピタリズムを超克する」はコチラ
※本連載の一覧はコチラをご覧ください。

西部邁

木下元文

木下元文

投稿者プロフィール

1981年生。会社員。
立命館大学 情報システム学専攻(修士課程)卒業。
日本思想とか哲学とか好きです。ジャンルを問わず論じていきます。
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