『日本式正道論』第五章 武士道

第五項 吉田松陰

 吉田松陰(1830~1859)は、幕末の思想家で尊王論者です。名は矩方(のりかた)で、通称は寅次郎です。萩に松下村塾を開き、多くの維新功績者を育成しましたが、安政の大獄で刑死しました。
 『講孟余話』には、〈経書を読むの第一義は、聖賢に阿ねらぬこと要なり。若し少しにても阿る所あれば、道明ならず、学ぶとも益なくして害あり。孔孟生國を離れて、他國に事へ給ふこと済まぬことなり〉とあります。聖人の本を読むときも、それにおもねってはいけないと語られています。おもねれば、他国に仕えることになってしまうからと説明されています。
 人臣の道については、〈道を明にして功を計らず、義を正して利を計らずとこそ云へ、君に事へて遇はざる時は、諫死するも可なり。幽囚するも可なり、饑餓するも可也。是等の事に遇へば其身は功業も名誉も無き如くなれども、人臣の道を失わず、永く後世の模範となり、必ず其風を観感して興起する者あり。遂には其國風一定して、賢愚貴賤なべて節義を崇尚する如くなるなり〉とあります。道においては義を正しくするのであって、利益を計るようなことはしないのだと説かれています。人臣の道は、諌めることで死ぬことも、捕らえられることも、飢えることも覚悟すべきだというのです。我が身の名誉は失われるとしても、永く後世の模範となるからです。その模範があれば、国民は節義を尊ぶようになるのだと語られています。
 道一般については、〈人と生れて人の道を知らず。臣と生れて臣の道を知らず。子と生れて子の道を知らず。士と生れて士の道を知らず。豈恥づべきの至りならずや。若し是を恥るの心あらば、書を讀道を學ぶの外術あることなし。已に其數箇の道を知るに至らば、我心に於て豈悦ばしからざらんや〉とあります。人には人それぞれの道があり、その道を知らないでいることは恥ずべきことだというのです。恥じる心があるなら、本を読み道を学ぶべきだとされています。道を知ることは、喜ばしいことだと考えられています。士道については、〈然れども汝は汝たり、我は我たり。人こそ如何とも謂へ。吾願くは諸君と志を勵まし、士道を講究し、恆心を鍊磨し、其武道武義をして武門武士の名に負くことなからしめば、滅死すと雖ども萬々遺憾あることなし。豈愉快の甚しきに非ずや〉とあります。我は我であり、汝は汝だというのです。その差は決定的ですが、願うならば皆で志を励まし合い、士道を解き明かしたいと語られています。そこにおいて進むなら、死ぬことになっても遺憾はなく、それどころか愉快だとさえいうのです。
 以上のように、松陰においては日本という国が意識されています。〈國體の最も重きこと知るべし。然ども道は惣名也。故に大小精粗皆是を道と云。然れば國體も亦道也〉とあります。日本の国体は道なのだとされています。
 また、安政二年に記された『士規七則』には、〈士の道は義より大なるはなし。義は勇に因りて行はれ、勇は義に因りて長ず〉とあります。
 安政三年の『書簡』では、〈有志の士、時を同じうして生れ、同じく斯の道を求むるは至歓なり。而れども一事合はざるものあるときは、己れを枉(ま)げて人に殉ふべからず、又、人を要して己れに帰せしむべからず。ここを以て反覆論弁、余力を遺さず〉とあります。道を共に求めることができるということは、素晴らしいことだと語られています。ですが、自分を枉げて人に迎合するならば、自分のためにもなりません。そのときは徹底抗戦すべきだというのです。
 安政六年の『書簡』には、〈皇神の誓おきたる国なれば正しき道のいかで絶べき〉とあり、日本は天皇や神々の誓いがある国なのです正道は絶えることがないと述べられています。〈道守る人も時には埋もれどもみちしたゑねばあらわれもせめ〉ともあり、時には道を守る人が埋もれてしまうのだとしても、道を慕わねば道を守る人が現れることはないのだと語られています。ですから、道を慕うべきことが示されているのです。

第六項 橋本佐内

 橋本左内(1834~1859)は、福井藩士で幕末の志士です。藩政改革に尽力し、安政の大獄で斬罪に処されました。
 『啓発録』には、〈稚心とは、をさな心と云ふ事にて、俗にいふわらびしきことなり〉とあり、〈余稚心を去るをもつて、士の道に入る始めと存じ候なり〉とあります。子供じみた心を去ることで、武士の道に入るのだと考えられています。
 友人関係については、〈吾が身を厳重に致し付合ひ候て、必ず狎昵致し吾が道を褻さぬやうにして、何とか工夫を凝して、その者を正道に導き、武道学問の筋に勧め込み候事、友道なれ〉とあります。吾が身を引き締め、吾が道をけがすことのないように工夫して、友人を正しい道へと導き、武道や学問に関心を持つように仕向けることが友道だというのです。
 左内は、〈後世必ず吾が心を知り、吾が志を憐み、吾が道を信ずる者あらんか〉と述べています。後の世に、吾が心や志に同情し、吾が道が正しいと認めてくれる者が現れることを願っているのです。
 また、左内の『書簡』には、〈実に尚武の風を忠実の心にて守り候はば、風俗もますます敦重に相成り、士道もますます興起仕り、国勢国体万邦に卓出仕るべく候事、目前に御座候〉とあります。尚武の気風を忠義と実直の精神で守り伝えて行けば、風俗は情味篤く質朴になり、武士道も盛んに興り、我が国の勢いが優れたものになることも遠くないというのです。

第七項 福沢諭吉

 福沢諭吉(1835~1901)は、啓蒙思想家で教育家です。
 『福翁百話』には、〈唯真実の武士は自から武士として独り自から武士道を守るのみ。故に今の独立の士人もその独立の法を昔年の武士の如くにして大なる過なかるべし〉とあります。武士ならば独り自(おの)ずから武士道を守るのみとされ、それは今も昔も変わりないと語られています。

第八項 坂本竜馬

 坂本竜馬(1836~1867)は、土佐藩出身の幕末の志士です。幕府の海軍創設に奔走し、薩長同盟を成立させました。
 『船中八策』では、統一国家構想を示しています。そこで八つの策を提示した後の文で、〈伏テ願クハ、公明正大ノ道理ニ基キ一大英断ヲ以テ天下ト更始一新セン〉と、公明正大ノ道理を示しています。

第九項 山岡鉄舟

 山岡鉄舟(1836~1888)は江戸末期から明治の政治家であり、無刀流剣術の流祖です。通称、鉄太郎です。戊辰(ぼしん)戦争の際、勝海舟の使者として西郷隆盛を説き、西郷・勝の会談を実現させ、江戸城の無血開城へと導きました。明治維新後、明治天皇の侍従などを歴任しました。
 『剣禅話』の[修養論]には、〈我が邦人に一種微妙の道念あり。神道にあらず儒道にあらず仏道にあらず、神儒仏三道融和の道念にして、中古以降専ら武門に於て其著しきを見る。鉄太郎之を名付て武士道と云ふ〉とあります。武門における道を武士道とし、神道・儒道・仏道の融和した思想として捉えています。その武士道は、〈善なると知りたる上は直に実行に顕はし来るを以て武士道とは申すなり〉とあり、善による実践が説かれています。さらに武士道に関して、〈而して武士道は、本来心を元として形に発動するものなれば、形は時に従ひ事に応じて変化遷転極りなきものなり〉と示されています。

第十項 高杉晋作

 高杉晋作(1839~1867)は、日本の武士で長州藩士です。幕末に尊王倒幕志士として活躍しました。奇兵隊など諸隊を創設し、長州藩を倒幕に方向付けました。
 『遊清五録』には、〈士を取るに多くは武を以てす。故に我邦は武文の人を以て有道者と為す。考試も亦た多くは武を以てし、或は文を以てする者あり。人を教ふるに忠孝の道を以てす。天照太神と孔夫子と異あるに非ざるなり。故に我邦の人、天神の道に素づきて孔聖の道を学ぶ〉とあります。神道と儒教の両方を取り入れていることが分かります。道には、文武や忠孝という考えが重要だと考えられています。

→ 次ページ「第十四節 新渡戸稲造の武士道」を読む

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