『日本式正道論』第五章 武士道

第十節 葉隠

 武士道といえば、山本常朝(1659~1719)の『葉隠』が有名です。『葉隠』は武士の奉公の心得を説いた書です。
 [聞書一]には、〈その道々にては、其家の本尊をこそ尊び申候〉とあります。道々には、仏道・儒道・兵法などが挙げられています。道においては、自分の家の大切なものを尊ぶべきだと語られています。その道の中でも、武士道については、〈武士道と云は、死ぬ事と見付たり〉という有名な言葉が語られています。〈二つふたつの場にて、早く死方に片付ばかり也〉というわけです。生きるか死ぬかの場面では、死を選び取るのが武士道なのだとされています。
 常朝の語る道は、〈道といふは何も入れず、我非を知事也。念々に非を知て、一生打置かずを道と云也〉というものです。自分の非を知ることが道だとされています。ですから道は一生に関わり、〈只「是も非也非也」と思ひて「何としたらば道に可叶うべき哉」と一生探捉し、心を守て打置ことなく、執行仕えるべき也。此内に即道有也〉と語られています。一生の間、自らの足りないところを思い、どうしたら道に適うかと探し求めることが道として示されています。その道には、盛衰と善悪が分けて論じられています。〈盛衰を以て人の善悪は沙汰されぬこと也。盛衰は天然のこと也。善悪は人の道也。教訓のためには盛衰を以ていふ也〉とあります。栄枯盛衰は天然のことであり、善悪は人の道だとされています。栄枯盛衰によって善悪を言うことはできないとされています。ですから武士道においては善悪のために「死」の覚悟が求められ、〈武士道は死狂ひ也。一人の殺害を数十人して仕かぬるもの也〉と語られ、士道についても、〈士道におゐては死狂ひ也。此内に忠・孝は自こもるべし〉と語られているのです。そこでは、〈何しに劣るべきと思ひて一度打向ば、最早其道に入たるなり〉という覚悟が必要とされています。
 道は一生に関わりますから、〈修行に於ては、是迄、成就といふ事はなし。成就といふ所、其まま道に背なり〉と述べられています。修行においては成就するということはありえないと考えられています。成就するということは、道ではないというのです。そのため、〈我非を知て一生道を探捉するものは、御国の宝と成候也〉とあり、自らの非を知り、道を求める者は国の宝だとされています。ちなみに、ここでの国は佐賀藩を指しています。
 [聞書二]では、〈武道は毎朝まいあさ死習ひ、彼に付、是に付、死ては見みして切れ切て置一也。尤大義にてはあれ共、すれば成事也。すまじきことにてはなし〉とあります。「切れ切て置」とは、死に心をはっきりきめておくということです。「すまじきことにてはなし」とは、できないことはないということです。つまり、武道では毎朝何事においても、死に心をはっきりと決めておくことで、大義を成すことができるというのです。できないことはないと考えているのです。
 また、〈非を知て探捉するが、則取も直さず道なり〉とあります。自分の非を知り、探し求めることが道として示されています。人間は、その途上において死ぬというのです。

第十一節 武道初心集

 大道寺友山(1639~1730)は江戸中期の武士です。ほぼ同時期の『葉隠』と並び称される『武道初心集』の著者として知られています。『武道初心集』は主君や藩に対する奉公人の心構えを述べています。
 『武道初心集』には、〈武士たらんものは正月元旦の朝雑煮の餅を祝うとて箸を取初るより其年の大晦日の夕に至る迄日々夜々死を常に心にあつるを以本意の第一とは仕るにて候。死をさへ常に心にあて候へば忠孝の二つの道にも相叶ひ萬の悪事災難をも遁れ其身無病息災にして壽命長久に剰へ其人がら迄も宜く罷成其徳多き事に候〉とあります。武士は死を常に心掛けることが第一とされています。死を常に心掛ければ、忠孝の二つの道にも適合し、人格の徳も備わると考えられています。
 そのためにも、〈武士たらんものは義不義の二つをとくと其心に得徳仕り専ら義をつとめて不義の行跡をつゝしむべきとさへ覚悟仕り候へば武士道は立申にて候〉と語られています。武士が義を行い、不義を行わなければ、武士道は立つというのです。義を行うことについては、上等な順に次の三種類が上げられています。〈誠によく義を行ふい人〉、〈心に恥て義を行ふ人〉、〈人を恥て義を行ふ人〉です。
 また、〈武士道の学文と申は内心に道を修し外かたちに法をたもつといふより外の義は無之候。心に道を修すると申は武士道正義正法の理にしたがひて事を取斗らひ毛頭も不義邪道の方へ赴かざるごとくと相心得る義也〉とあります。武士道では、心の内に道を修め、外形において法を保つのだと考えられています。心に道を修めるとは、正しいことをし、不義へ進まないことだとされています。さらには、〈大身小身共に武士たらんものは勝と云文字の道理を能心得べきもの也〉と語られ、武士には「勝つ」という道理を心得ることが説かれています。
 そして、〈武士たらんものは大小上下をかぎらず第一の心懸たしなみと申は其身の果ぎわ一命の終る時の善悪にとゞまり申候〉とあり、命の散り際におけるまで善悪の観念に留まるべきことが語られています。そのために、武士道にとって肝心なこととして、〈武士道の噂さにおいて肝要と沙汰仕つは忠義勇の三つにとゞまり申候〉と示されています。

第十二節 水戸学

 水戸学とは、『大日本史』の編纂事業を遂行する過程で水戸藩に起こった学問です。幕末には内憂外患のもとで、国家的危機を克服するための思想が形成されました。

第一項 徳川斉昭

 徳川斉昭(1800~1860)は、江戸時代後期の水戸藩主です。会沢安や藤田東湖らを登用し、藩政を行いました。
 『弘道館記』は、弘道館の教育方針を宣言した書です。藤田東湖が起草し、1838 年に徳川斉昭の名で公表されました。そこには〈弘道とは何ぞ。人、よく道を弘むるなり。道とは何ぞ。天地の大経にして、生民の須臾も離るべからざるものなり〉とあります。人よく道を弘むとは、人に備っている道は人の力によって世に行われるという意味です。それが、道を世に弘め行う力なのです。『論語』の[衛霊公]篇からの影響が見られます。

第二項 会沢安

 会沢安(1782~1863)は、幕末の水戸藩士で儒者です。号は正志斎です。藤田東湖らと藩政を行いました。
 『新論』には、〈詭術と正道とは、相反すること氷炭のごとし〉とあります。正道については、他にも、〈政令刑禁は、典礼教化と、並び陳(つら)ね兼ね施して、民を軌物に納れ、正気に乗じて正道を行ひ、皇極すでに立つて、民心主あり。民の欲するところは、すなはち天の従ふところなり〉とあります。政治上の命令や刑罰は、儀礼や教えに適うように施し、民を法度に納得させ、正気によって正道を行うべきだというのです。そうすれば、治世の大方針はすでに立っており、民の心は天の従うところだというのです。
 『退食間話』には、〈中庸の語は道の立たる本を論ぜし詞なり〉とあります。また、〈父子あれば親あり、君臣あれば義あり、是皆天下の大道・正路にして、一人の私言に非ず。聖賢、上にあれば、政教を施して、道を天下に行ひ、下に在れば、言を立て材を育して、道を後世に伝ふ。道は大路のごとし〉とあります。親子は親しみ、君臣には義があるということは、天下の大道であり、一人が勝手に言っていることではないというのです。賢い人が高い地位にあれば政策や教育を施して天下に道を行い、低い地位なら言葉によって人材を育成して道を後世に伝えるのだと語られています。

第三項 藤田東湖

 藤田東湖(1805~1855)は、江戸時代後期から幕末期の水戸藩士です。対外的危機に対し、国民的伝統たる正気を発揮して国家の独立と統一を確保すべきことを説きました。正気とは、忠君愛国の道義的精神のことです。
 著作である『壬辰封事』には、〈中庸ノ道ト云ハ、万物ノ理ヲ尽シ、事ニヨリ品ニヨリ、夫々其理ノ当然ニ叶フテコソ中庸トハイフベケレ〉とあります。中庸の道は、万物の理によってそれぞれの理に適うことだと考えられています。

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