近代を超克する(28)対キャピタリズム[1]マルクス

『資本論』の資本主義的生産

 『資本論』の第1巻は1867年刊され、第2巻と第3巻はマルクスの死後にエンゲルスが遺稿を整理して1885年と1894年に刊行されました。下記の『資本論』引用箇所の()内の数値は、(巻-篇-章)を意味しています。
 まずマルクスは、「資本は、生産手段および生活手段の所有者が、自由なる労働者を、彼の労働力の売り手として市場に見出すところにおいてのみ成立する(1-2-4)」と定義しています。その上で、資本主義的生産について語っていくのです。
 彼は、「資本主義的生産は、生産労働者が彼自身の労働力を、彼の商品として資本家に売り、次いで、この労働力が、資本家の手中で単に彼の生産資本の一要素としてのみ機能する(2-3-19)」と述べています。このことは、「資本主義的形態は、自己の労働力を資本に売る自由な賃金労働者を、初めから前提している(1-4-11)」とか、「資本主義的生産の全体系は、労働者が自己の労働力を商品として売る、ということに基づいている(1-4-13)」などのように繰り返し論じられています。
 この仕組みについてマルクスは、「資本主義的生産過程は、それ自身の進行によって、労働力と労働条件との分離を再生産する。それは、このようにすることによって、労働者の搾取条件を再生産し、永久化する(1-7-21)」と述べています。
 その生産の動機と目的については、「資本主義的生産過程の推進的動機と規定的目的は、能(あと)うかぎり大なる資本の自己増殖、すなわち能うかぎり大なる剰余価値生産であり、したがって、資本家による労働力の能うかぎり大なる搾取である(1-4-11)」と語られています。
 つまり、「富の絶対的のみならず、相対的な増大は、何よりもまず資本主義的生産様式を特徴づける(2-1-6)」というわけです。さらに、「資本主義的生産様式を、初めからきわ立たせる二つの特徴(3-7-51)」があり、それは「第一に、それはその生産物を商品として生産する(3-7-51)」ことであり、「第二のものは、生産の直接目的および規定的動機としての、剰余価値の生産である(3-7-51)」ことだと考えられています。「剰余価値の生産または剰余労働の抽出が、資本主義的生産の特殊の内容と目的をなす(1-3-8)」ともあります。
 これらの他にも、マルクスは資本主義的生産様式について様々な前提を置いています。「資本主義的生産様式は、人間による自然の支配を前提とする(1-5-14)」とか、「資本主義的生産様式は、生産の大規模なことを前提すると同様に、必然的に販売の大規模なことをも前提する(2-1-4)」とか、「実際には、発達した資本主義的生産は、一般に流通過程に媒介される生産過程を、したがって貨幣経済を前提するように、労働者が貨幣で支払われることを前提する(2-2-11)」とか、「土地が、土地所有の形態を与えられたということは、資本主義的生産様式の歴史的前提である(3-7-51)」などです。

『資本論』の共産主義

 『資本論』において共産主義に言及されている箇所には、〈社会を資本主義的ではなく共産主義的なものと考えるならば、まず第一に貨幣資本は全くなくなり、したがって、それを通じて入ってくるいろいろな取引の仮装もまたなくなる(2-2-16)〉とあります。そこでは、〈事業部門に、社会がどれだけの労働、生産手段、および生活手段を何らの損害もなく振向けうるかを、社会はあらかじめ計算せねばならない(2-2-16)〉と語られています。

マルクスの資本主義と共産主義の検討

 『共産党宣言』においてマルクスは、資本主義を打倒し共産主義への移行を考えていました。
 その理論のために、彼は資本主義的なものと共産主義的なものをかなり詳細に定義しています。その定義が詳細であり、また多岐にわたっているため、資本主義と共産主義ではない領域の可能性がありえるのです。その可能性を追求する前に、マルクスの言う資本主義と共産主義について検討してみます。
 まず共産主義についてですが、マルクスの定義によると、私有財産制を廃止し、貨幣資本も廃止し、統治機構が損害のないように生活手段をあらかじめ計算することで成り立つような制度です。このような制度は、人々からやる気を奪ってしまいますし、あらかじめ損害のないように計算することなど不可能です。世の中は複雑であり、不確実性があふれているからです。そのため、大規模な失敗に陥りますし、現に歴史的に失敗しました。
 次に資本主義についてですが、資本の自己増殖および労働者からの搾取が注目すべき論点として挙げられます。そのため資本主義とは、労働よりも資本を優先する考え方だと言えます。

マルクスの外に立つ

 マルクスの資本主義および共産主義の考え方を、マルクス主義の外から考えることは重要です。
 共産主義は、当然ながら論外です。資本主義については、マルクスの詳細な定義から、私有財産制と貨幣資本を維持しながらも、資本主義ではない領域を導くことができます。資本主義でも共産主義でもない可能性が、マルクスの外に立つことによって見えてくるのです。
 そこに、われわれが選ぶべき選択肢が仄見えてくるのです。


※第29回「近代を超克する(29)対キャピタリズム[2]マックス・ウェーバー」はコチラ
※本連載の一覧はコチラをご覧ください。

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西部邁

木下元文

木下元文

投稿者プロフィール

1981年生。会社員。
立命館大学 情報システム学専攻(修士課程)卒業。
日本思想とか哲学とか好きです。ジャンルを問わず論じていきます。
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