小浜の見解(3)
今回の木下さんの見事な整理を読ませていただき、私もこの議論の噛み合い具合をよく確認することができました。また、意見の相違点は今後の課題としてもよいし、あるいは現時点で読者の方の判定にまかせるということでもよいと思います。いずれにしても、一致できる点が少なからず見出せたことをとてもうれしく思います。年のせいか他人との議論に対してかなり悲観的になっていたので、今回の試みによって希望が回復してきました。心から感謝します。
木下さんが議論を深めてくれた点で、なるほどと思えたのは、秩序状態と緊急事態とを区分し、前者の場合にこそ、後者の状態のための備えが必要であると力説している点です。両者がトレードオフの関係にあるのではなく、補完関係として考えるという論点にも完全に同意します。
ことに感心したのは、実際の「愛国心教育」なるものがどのようなかたちを取ればよいのかについて、(I)で、具体的な提案をなさっている部分です。こういうふうに論点をブレイクダウンしないと、お互いが「愛国心」という概念に何を込めているのかが明らかでないまま、「必要だ、必要でない」の抽象的な議論がいつまでも繰り返されるばかりですよね。
ところでこの提案の内容なら私はまったく賛成です。特に、≪日本語能力の育成≫というところと、≪道徳そのものではなく、道徳の系譜学≫というところがいい。これらについては、私のほうからもその必要をぜひ訴えたいくらいです。もっともこれをきちんとできる教師があまりいそうもないので、その育成の課題が先立つでしょうけどね(笑)。
なおまたつけ加えるなら、(M)の指摘とも絡みますが、年少者にまともな社会人感覚(自立心と実践力と法感覚)を身につけさせる教育も必要かと思います。
これからも折に触れて、有益な議論をいたしましょう。
木下の見解(4)
こちらこそ、有益な議論まことにありがとうございました。
意見の相違点について今後の課題とすること、および読者の判定にまかせること、同意いたします。ただ、議論を進めていく中で、ほとんど相違点はなくなったように思えます。
(D)(H)(J)(K)の問題については、同意に達しました。
(M)の長期的利益については、私は≪生の極限状況≫という論点を提出し、小浜さんは≪社会人感覚(自立心と実践力と法感覚)≫という論点を提出されました。それぞれ、考えるに値するテーマだと思います。
また、(N)の教育の印象については、基本的には強制という印象を与えないようにすべきだと私も思います。ただし、教育の強制性に疑問を持つ私たちのような人間もいるでしょう(笑)。そういった人間には、例えば、ここの議論を参考にしていただければよいのだと考えます。
それでは、また折に触れて、議論していただければ幸いです。
議論を終えて [小浜]
みなさんご存知のように、木下元文さんは、私がASREAD投稿者となる前からたくさんの優れた論考を寄せてきた若き論客です。
私は私で自分のブログ『小浜逸郎・ことばの闘い』に「倫理の起源」という原稿を長きにわたって掲載してきましたが、これまで温かく応援してくれるコメントや、いささか見当違いのコメントはあったものの、的確な議論を挑んでくるコメントはありませんでした。
そこへ木下さんが真剣な問題意識を抱えながら、拙稿に対して率直で忌憚のない疑問と意見をぶつけてきたわけです。正直なところ、これは苦戦を強いられそうでたいへんだなと思わないでもなかったのですが(笑)、議論を続けるうち、自分でも思わずのめりこむ形となりました。そうして結果的になかなか満足のいく議論となりました(と自分では思っています)。これは、私自身にとっても、自分の言いたいことがさらに明確となり、またひとりよがりに陥らずにより広い視野から自説を見直すことができたという意味で、とてもいい経験だったと思います。
言論界から丁々発止の真剣勝負が消えて久しい時が経ちます。それぞれの論客が自分の主張を言い放つだけで、だれもそれに正面から応えない。たまに論争になっても、イデオロギー的なレッテル貼りの応酬か、そうでなければ、当人たちだけにしか興味のない重箱の隅をつつくような神経戦に収斂していく。これは思想の発展にとってたいへん良くないことです。
こういう光景をいくつも見てきましたから、今度の経験には、ひときわ爽やかなものが残りました。願わくは、ASREADのような場でこそ、若い人たちが旧弊を見習うことなく、大事なテーマをめぐってスリリングな論戦を広げてくださいますことを。
なお、この二回の記事の掲載に当たっては、私は何もせず、もっぱら木下さんの綿密かつスピーディーな編集に頼ることになりました。改めてお礼を申し上げます。
備考
「愛国心について(1)~(8)」は、『小浜逸郎・ことばの闘い』内の「倫理の起源51」・「倫理の起源52」・「倫理の起源53」の内容を要約したものです。割愛した箇所も多いため、原文の方もご参照ください。
本議論は、ウェブサイト『小浜逸郎・ことばの闘い』内の「倫理の起源53」のコメント欄に若干の加筆・修正を行ったものです。
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