愛国心は必要か(後編)

【議論参加者(敬称略)】
小浜逸郎
木下元文

議論の開始 [木下]

 『愛国心を巡る議論[前編]』の続きになります。前編を読んでいない方は、そちらから先に読むことをお勧めします。

 前編で示した小浜氏の「愛国心について(1)~(8)」を参照し、私(木下)と小浜氏の議論が始まります。以降、その議論をお楽しみください。

木下の見解(1)

 「愛国心について」を読ませていただきました。

 私は小浜さんとは、異なる見解になります。特に、≪ひとりひとりの心に愛国心を植え付けることであるよりも、ある政治的な意志や行動が、自分たちの生活の安寧を保障することにとっていかに有意義かということをよく理解させることである。それがよい統治なのである。≫という箇所についてです。

 私は、愛国心を植え付けるような教育は、ある程度は必要だと考えます。ちなみに私自身は、愛国心はそれほど強くはないですが、それほど弱くもない人間です。

 私と小浜さんの見解の相違は、おそらく前提となる世界観の違いに由来するのだと思われます。相違を明確にする意味でも、一つ質問させてください。

 小浜さんのようなやり方ですと、自分たちに都合の良い公共事業は賛成しますが、自分たちに利益のない公共事業には反対するような人間が出来上がるような気がします。そのような人間たちが集まった社会が理想だということでしょうか?

 ちなみに私は少しだけ愛国心があるので、私にとってはメリットがない(そして税収などでデメリットが発生したとしても)辺境の地域への公共事業に(程度問題ではありますが)賛成します。

小浜の見解(1)

 コメント、ありがとうございます。ご質問にお答えします。

 ことは、愛国心教育の有効性いかんをめぐっていますね。まず、この議論に踏み込む前に、私がこの記事の文章で、次の2点を論じていることをご確認ください。

(1)近代国家の複雑な構成は、素朴な愛郷心や日本が好きだという感情のようなものとなかなか順接ではつながらないこと。
(2)国家秩序が平穏に保たれていればいるほど、一般民衆の日ごろの生活意識の中に、「国を思う」といった感情は浮上しにくいこと。

 さて愛国心教育の涵養を訴える多くの人たちは、①の難しさに思い及ばず、「故郷の山河」への思いや、昔の日本人にはこんなに偉い人がいたという情報や、日本が好きだという感情があれば、それを出発点としてだんだん積み上げていくことによって、国家としての日本の将来を本気で(冷静に)心配する意志や行動力が具体的・持続的に身につくかのように考えています。民衆というものの長年の観察からして、私はそのようには思えません。それは残念ながら②のようなあり方が実態だからです。

 木下さんは、おそらく愛国心という言葉を、理性的な公共心という意味で使っていらっしゃると思うので、その点で共通了解が得られれば、私も愛国心教育の有効性を認めるにやぶさかではありません。しかしそれにしても、「教育」というのはとても長くかかり、方法も確定しがたく、しかもその結果の検証が困難であるという難点はどうしても残ります。

 私はそういうおぼつかないものに過度な期待を寄せるよりも、たとえば日本の外に出ていってみて初めて日本の素晴らしさがわかったとか、私生活に直接影響を及ぼすことがわかる形で内外の危機が意識されるような異変があったとかいった経験的な契機のほうが有効だと思います。現に前者は最近じつによく耳にしますし、民主党政治の体たらくや、中国の尖閣諸島への侵略圧力や大震災などによって、眠っていた国民意識が一気に高まった、などは後者の例です。

 さて、肝心のご質問内容についてですが、以下の私の記述は、たしかにやや舌足らずであったかもしれません。補足します。

≪ある政治的な意志や行動が、自分たちの生活の安寧を保障することにとっていかに有意義かということをよく理解させることである。それがよい統治なのである。≫

 この場合の「自分たちの生活の安寧」という言葉ですが、この「自分たち」という言葉には、特定の個人・団体ではなく、日本国民全体という意味を込めているつもりでした。ルソーの言う「一般意志」に近いものがあります。したがって、そこには、あらかじめ「多少とも公共精神を尊重する人たち」という条件が織り込まれています。

 この条件が織り込まれていれば、自分の税金が自分の私的利益に直接は還元されない形で(例えば過疎地への公共事業のような形で)使われても、それが日本国民全体の安寧に寄与するなら進んで承認するということになります。そうして、もしそういう承認の態度が、巡り巡って、結局はこの日本で生きていく自分にとってもよいことなのだと(最大多数の)国民に理解されれば、よい統治が実現したことになります。これは理性的な国家的人倫のあり方を説明するものであって、普通解釈されているような「愛国心」という感情的ニュァンスの濃厚な言葉によっては、うまく説明できないことだと思います。

→ 次ページ「木下の見解(2)」を読む

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