思想遊戯(12)- パンドラ考(Ⅶ) 上条一葉からの視点

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 それはもう大昔からきまっているのだ。人間には絶望という事はあり得ない。人間は、しばしば希望にあざむかれるが、しかし、また「絶望」という観念にも同様にあざむかれる事がある。正直に言う事にしよう。人間は不幸のどん底につき落され、ころげ廻りながらも、いつかしら一縷の希望の糸を手さぐりで捜し当てているものだ。それはもうパンドラの匣以来、オリムポスの神々に依っても規定せられている事実だ。楽観論やら悲観論やら、肩をそびやかして何やら演説して、ことさらに気勢を示している人たちを岸に残して、僕たちの新時代の船は、一足おさきにするすると進んで行く。何の渋滞も無いのだ。それはまるで植物の蔓が延びるみたいに、意識を超越した天然の向日性に似ている。

 太宰治『パンドラの匣』より

第一項

祈「パンドラの匣ですよね?」
 水沢さんが、そう言いました。
 智樹くんが驚いて水沢さんを見ています。水沢さんは、私を見据えています。私は、水沢さんを見て静かに微笑みました。
一葉「そうですね。パンドラの匣をテーマにして、ちょっと論じてみましょうか。」
 私は、教室の黒板側にある前方の台に上りました。
一葉「ふうっ。」
 私は、一息入れてから、パンドラの匣について語り出します。

 一つの神話があります。
 例えば、それは“パンドラの匣”。
 その物語では、神様がすべての悪を封じ込めた匣を、地上における最初の女性であるパンドラに渡します。それは、決して開けてはいけない匣なのです。開けてはいけないのなら、渡さなければ良いのにと思います。
話の結末は予想通り。開けてはいけない匣は、パンドラの好奇心によって開けられてしまいます。匣からは、ありとあらゆる災厄が飛び出します。パンドラはあわてて匣の蓋を閉めたため、最後に匣の底には希望だけが残ったという、そんな話です。
だから、人間はどんなに悲惨な目にあっても、希望だけは失わずに済むという…。この神話が基になって、開けてはいけないものをパンドラの匣と言うことがあります。

 私はそう言って、みんなをゆっくりと見回すのです。
 それから心の中で、そっと付け加えるのです。

私は、私の中に、パンドラの匣が眠っていることを知っています。
それが開くとき、きっと、愚かでろくでもないことがもたらされます。
その瞬間を、きっと私は待ち望んでいるのです。

 さあ、“思想遊戯同好会”において、テーマ“パンドラの匣”で議論を始めましょう。
 空っぽには、空っぽなりの“意味”があるのですから。

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西部邁

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