愛国心は必要か(前編)

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【議論参加者(敬称略)】
小浜逸郎
木下元文

議論の場へのお誘い [木下]

 「愛国心」は、何かと論争の的になる言葉です。特に現在の日本においては、愛国心を巡る議論は不毛な結果になりがちです。

 ウェブサイト『小浜逸郎・ことばの闘い』では、愛国心について興味深い論述がなされていました。その内容に対し、私(木下)がコメント欄で質問を投げかけました。それに対して、小浜氏が丁寧に返答してくれたため建設的な議論が展開されました。

 議論が落ち着いたところで、小浜氏より一連のやりとりをASREADに投稿してはどうかというご提案をいただきました。単純に面白そうという理由から、その提案に賛成することにしました。その際、実際のやり取りをそのまま載せると読者に対して不親切なため、議論の主たる流れに支障をきたさない限りで修正を行っています。

 まずは、議論の対象となった文章の要約を、以下に示す「愛国心について(1)~(8)」にまとめています。この小浜氏の文章をたたき台とし、議論が展開されていきます。読者の方々には、慎重に考えながら読んでいただけるようお願い申し上げます。

愛国心について(1)

 「国民国家」とは、具体的な歴史や伝統の共有を背負う人々が、その事実を根拠として、「他者たち」との差異関係を自覚することによって、暗黙の同意のもとに創出した「共同観念」である。そうしてこの共同観念が生きるのは、まさに「我々は同じ何国人である」という「心情」を保持することができる人々が現に一定の範囲で存在する限りにおいてであって、そのもっと奥底に何か決定的・論理的な根拠があるわけではない。

 現に私たちの一人一人は、同国人としての歴史を共通確認しつつ、生き生きと生活を続けることにおいて、この虚構の運動に不断に参加している。

 国家のこの非明示的な側面を仮に「心情としての国家」と呼ぶことにすれば、心情としての国家こそが、具体的な国家機能としての法や政府や軍隊やその他さまざまな政治システム、社会システムの存在意義を支えているのである。これらの政治システム、社会システムを心情としての国家に対して「機構としての国家」と呼ぶことができるだろう。

 私たちは自分の祖国をア・プリオリに愛するから国家の共同性を支えるのではない。ある国家のうちに生まれ育ったという宿命を背負い、またその地域で生活し続けるという現実を抱えているからこそ、その国家を支えたいという感情が育まれるのである。ただしそれには条件が必要である。その国家が私たちの生を充足しうるだけの人倫性を示す限りにおいて、私たちはその人倫性に対するおのずからな同化感情を抱くのである。

愛国心について(2)

 ここで「愛国心」という、議論の多い用語について考察を加えておこう。

 この用語ほど評価の別れる概念も珍しい。いっぽうの人々はこの概念のたしかな保持こそが国の結束をもたらし、それが私たち国民すべての安寧を保証すると説く。彼らにとっては愛国心の欠如は 極端な場合にはそのまま道徳心の欠落、人間性の歪みをすら意味する。

 他方の人々は、この概念のうちに、悲惨な戦争をもたらす危険な心理的原因を見出す。彼らによれば、これあるがために国家と国家とは不必要な摩擦と争い合いを引き起こし、その結果として多くの国民を「無意味な犠牲」へと駆り立てるのである。自国を愛することはそのまま他国に対して排他的な態度をとることである。愛国心を超克して、自国も他国も平等な価値をもつとみなすこと、それこそが平和への道を約束する。

 だが私の考えを端的に言うと、個人が「愛国心」を抱くことの是非をめぐって議論するという言葉の構造、その問題の立て方そのものが、国家(この場合は近代国家)という共同性に向き合う態度として的を外しているのである。国家(この場合は近代国家)というものは、もともと「愛する」という感情の対象として似つかわしくない。「愛された」近代国家は、その成り立ちを自ら顧みて、懸想された自分をかぎりなく照れ臭く思うに違いない。

 逆に個人が愛の反転としての「憎」を近代国家に差し向けて、それを滅ぼすことが理想に近づくことなのだと感じる場合もある。しかしそういう心情本位の思想は、一定の法的な完成度を具えた近代国家にとってあらかじめ織り込み済みの思想なのであり、いわば「釈迦の掌に乗った悟空」なのである。法治国家は、国内の社会秩序を乱す行動には断固として対峙するが、反国家思想を抱く自由を保障しているからである。

 こうして近代国家は、愛憎というような私たちの生活心情(エロス的心情)をはるかに超越した地平に打ち立てられた虚構なのであって、それに対する愛憎は、それだけとしては意味をもたない一種の擬似感情にすぎないのである。

→ 次ページ「愛国心について(3)」を読む

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