思想遊戯(1)- 桜の章(Ⅰ) 桜の森の満開の下

第五項

智樹「『桜の森の満開の下』は、不思議な話ですよね。」
 僕は、桜の木を見ている彼女に話しかけた。
一葉「はい。不思議な話ですね。」
 彼女は、桜の木を見ながら応えてくれた。
智樹「桜の花の下へ行くと、人は気が変になるんでしたよね? 不思議ですよね。お花見して酔っぱらうとかいうわけでもないのに。」
一葉「桜の花には、不思議な力があるのでしょう。花の咲かない頃は問題ないのですが、花の季節になると、旅人は桜の花の下で気が変になると記述されていましたね。」
 そう言って、彼女は静かに僕を見た。彼女の視線に曝されると、僕の気は変になる・・・・・・、そんなことを漠然と考えていた。
智樹「桜の下に人の姿がなければ、怖ろしいといったような記述もありました。」
一葉「はい。『桜の森の満開の下』には、桜の不思議な力の秘密は明示的に示されてはいません。唯一示されている仮説として、桜の秘密とは孤独ではないだろうかと語られています。」
智樹「そうでしたっけ?」
一葉「はい。桜の下に人がいないと怖ろしいといっても、自分という人間はそこに居て、その自分が怖ろしいと感じられるわけです。つまり他人の不在が自分の心に孤独を発生させて、恐ろしさを感じさせるのです。もちろん、他人がいないところでは、常に孤独や恐ろしさがわき起こる可能性があります。ただ桜の下では、そういった感情を高める効果があるということなのでしょう。」
 彼女は僕に問いかけた。
智樹「そうかもしれません。なぜ、桜にはそのような効果があるのでしょうか?」
一葉「私には分かりません。ですから、単なる私の想像を言うしかないのですが、桜が不思議だからではないでしょうか?」
智樹「桜が不思議とは?」
一葉「はい。だって、考えてみてください。一年のうちの春の季節だけ、一週間程度の期間だけ、あんなに美しい花を咲かせ、おびただしい数の花びらを散らすのです。木が突然に綺麗なピンク色の、桜色の花びらをあんなにも咲かせて散らすのです。これを不思議と言わずして、何を不思議だといったらよいのでしょうか?」
 僕は、呆然とした。まったくその通りだと思ったからだ。ああ、なんて当たり前のことを今になって気づくんだ。僕はなんて愚かなのだろうか・・・。
智樹「そうですね・・・。いや、ホントに、その通りですね。もちろん化学的には色素がどうのこうのと言えるでしょうし、生物学的にも何かそれなりのことは言えるんでしょうが、それらは、この不思議さをまったく説明していないですよね。」
一葉「はい。そうですね。というよりも、それらの科学的な説明では、不思議さの説明、つまり何故かという疑問の根本的なところには、論理的に到達できないのです。」
 彼女の言うことについて、僕は何となく分かった気がした。特に肝心な部分については、想いは一緒だと感じた。
智樹「そうですね。桜の不思議さ、桜色の花を咲かせて散らせるという不思議。その不思議さが、人間の感情を揺らすのでしょうね。」
一葉「はい。みんなでお花見といった雰囲気では、桜の花はお酒の肴としてちょうど良いのかもしれません。ですが、森で人知れず咲いている桜の花については、確かに一人でそこを通るとなると、不気味に感じられるのでしょうね。」
 僕は、その場面を想像してみた。確かに、それは不気味なことだと思った。あるいは、それは孤独という感情であったかもしれない。
智樹「そうですね。ところで、上条さんは、桜はお好きですか?」
一葉「好きです。」
 そう言って、彼女は静かに微笑んだ。
智樹「僕も大好きです。」
 僕も彼女に微笑んだ。僕はバカみたいに嬉しくなってしまった。


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西部邁

木下元文

木下元文

投稿者プロフィール

1981年生。会社員。
立命館大学 情報システム学専攻(修士課程)卒業。
日本思想とか哲学とか好きです。ジャンルを問わず論じていきます。
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