思想遊戯(1)- 桜の章(Ⅰ) 桜の森の満開の下
- 2016/2/24
- 小説, 思想
- feature5, 思想遊戯
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第二項
僕は講義の後、友人の水沢祈(みずさわ いのり)に話しかけた。
智樹「なあ、水沢。」
祈「何かな?」
水沢がこちらへ振り向く。ショートカットの髪が静かに揺れた。
智樹「坂口安吾って、読んだことある?」
祈「どうして?」
僕は、聞く相手を間違えたかなと思った。
智樹「そうだよなぁ。水沢はそんなの読むようなタイプじゃないよなぁ」
そう言うと、水沢は意外そうな顔をした。
祈「どうしてかな? あるよ、読んだこと。」
智樹「あるの?」
僕は、質問しておきながら、その答えに少し驚いた。本当に読んだことがあるとは思っていなかった。ただ、坂口安吾の知名度はどのくらいなのかと試しに聞いてみただけだったのだけど。
智樹「『堕落論』は? 読んだことある?」
水沢は、う~んと少し考えこんだ。あと、実際に「う~ん」とか言うな。なんか、こいつに合っていてかわいいではないか。
祈「ええと、『堕落論』は素晴らしいよね。人間は堕落しろって。朝は布団にくるまって寝過ごし、お昼はおいしいものをカロリーを気にせずに食べ、夜は・・・」
智樹「スト~~~ップ。それ違う。何、そのダメ人間のための本は。そんなこと『堕落論』には書いてないっしょ。」
祈「あれ? でも『堕落論』って、堕落を勧める本じゃなかったっけ?」
それは違うだろうと言いかけて、僕は黙ってしまった。『堕落論』という題名なのだから、堕落を勧めているのではないか? だとしたら、その堕落の内容こそが問題なのではないのか?
黙って考え込んでしまった僕を見て、水沢は面白そうに言った。
祈「確かに、ダラダラしろっていう堕落の勧めではないね。ええと、私が読んだ感じだと、堕落っていうのは、人間の醜さみたいなものを見すえろってことだったと思うな。」
水沢の言葉に、僕はうなずく。それにしても、水沢ってけっこう難しい話もいけるのかな? それはともかく、水沢が言ったことはとても重要なことだと思う。
智樹「人間の醜さから眼をそらさないことが、堕落ってこと?」
祈「う~ん? 読んだのはけっこう前だから、うろ覚えなんだけど・・・。」
智樹「それでもいいから。」
祈「え~と、確か、人間ってきれい事が好きだけど、きれい事じゃすまないこともあるでしょう? でも、やっぱりきれい事が好きだから、嫌なものに蓋(ふた)じゃないけど、きたないことから目を背けるでしょう。それじゃダメだってことじゃないかな?」
僕は水沢の言葉に驚いて、そして素直に少し感動した。
智樹「水沢の言う通りかもな。堕落にこそ、何か真実が隠されているのかもしれない・・・。」
祈「でもさぁ、それだけじゃなかったような気もするなぁ・・・。」
智樹「えっ? 何ですと?」
祈「う~ん? 忘れちゃった。私、次の講義があるんだ。それじゃ。」
そう言って、水沢は去って行った。なんだよ、大事なところで。しかたない。もう少し、
自分で考えてみるか。
僕は、家に帰ってから『堕落論』を読み返してみた。『堕落論』は、第二次世界大戦後に、つまり日本の敗戦直後に書かれた作品だ。この短いエッセイは、相当な評価をもって当時の日本人にむかえられたようだ。
安吾の語りの中に、戦争未亡人について論じた箇所があった。女心の変わりやすさを知っていながら、男の勝手な希望というか妄執のために、戦時中は恋愛の執筆が禁じられていたと指摘されている。つまり、貞操観念というきれい事が蔓延していたのだ。しかし、〈未亡人が使徒たることも幻想にすぎず、新たな面影を宿すところから人間の歴史が始まるのではないのか〉、そう安吾は述べているのだ。
そうかもしれない。そう、僕は思った。それが堕落だというのなら、むしろきれい事に留まっている方が、何も始まらなくなってしまうのではないだろうか? 堕落してこそ、前に進めるということもあるのではないだろうか?
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