思想遊戯(1)- 桜の章(Ⅰ) 桜の森の満開の下
- 2016/2/24
- 小説, 思想
- feature5, 思想遊戯
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第一節 桜の森の満開の下
とっさに彼は分りました。女が鬼であることを。
坂口安吾『桜の森の満開の下』より
第一項
学内には噴水があり、そこのベンチに腰掛けて本を読むことは、とても贅沢なことだと思う。
本を読んでいるうちに、しおりの挟んであるページまで進んだ。そのページをめくったとき、しおりが風に流される。僕は「あっ」と言って、流されたしおりを目で追っていった。
しおりは、少し離れたベンチの方へ流されていき、自分と同じように本を読んでいる人の近くに落ちた。その人は、本をから目を離し、こちらを見た。一瞬だけ目が合ったような気がした。
その女性は、長い黒髪で、薄い水色のワンピースを着ていた。持っている本は、文庫本だろうか。
僕はゆっくりとその人のそばまで歩いて行き、ゆっくりとしおりを拾った。その人の方を向いたとき、目が合った。今度は、気のせいじゃない。
ドキドキした。本当に、心臓の音がドクンドクンと脈を打つのが聞こえた。とてもきれいな女性だ。
???「こんにちは。」
僕が何か言おうとしたとき、意外にも彼女の方から話しかけてきた。
僕「あっ、こ、こんにちは。」
僕は、自分でも格好悪いと思うくらいにうろたえて返事をした。彼女の視線に耐えられない。自分が、とてもみっともなく感じられた。
???「どのような本を読んでいるのですか?」
彼女は、透き通った声で僕にたずねた。
僕「えっと、『桜の森の満開の下』です。坂口安吾って作家の。」
僕は、しどろもどろになって表紙を彼女の方へ向けた。彼女は、本は見ずに僕の目を見たままたずねる。
???「坂口安吾、好きなのですか?」
僕「いや、それほどでも・・・。あっ、でも、『堕落論』とかは、なんか好きかも・・・。」
そのとき、彼女の眼が妖しく光った・・・ような気がした。月並みな表現だけれども、ゾクッと背筋に寒気が走った。
???「私も、坂口安吾の『堕落論』は読んだことがあります。興味深いですよね。」
僕「ははっ・・・、そうですね。」
僕は、曖昧に答えた。興味深いって、『堕落論』のことか? それとも、『堕落論』を持ち出した僕のやり方のことか?
???「坂口安吾は、なぜ堕落するのかという理由として、人間だから堕落するとか、生きているから堕落するとかいうようなことを述べていますよね?」
僕は、『堕落論』についての記憶を思い出そうと、脳をフル回転させた。必要な情報を取捨選択し、選び取って、言語化する。
僕「はい。そうですね。確か、自分自身を救うために、墜ちるところまで墜ちることが必要だと、そういうことだったと思います。」
僕は、できるだけ平静を装って述べた。
???「あなたは、救いのために、墜ちるところまで墜ちることが必要だと思いますか?」
彼女は、僕に疑問を投げかけた。ここは重要だ。なんて答えを返すべきなのか? 僕は、一呼吸おいてから、静かに答えた。
僕「今、僕はすぐに提示できる答えを持っていません。もし宜しければ、よく考えから回答したいので、少しお時間をいただけませんか?」
僕は、彼女の瞳を見つめた。彼女も、僕を見つめていた。彼女は、どこか冷たさすら感じさせる無表情で、じっとそこにたたずんでいた。しばらくして、すっと、彼女の口元に薄い微笑みが浮かんだ。
???「分かりました。来週のこの時間、私はここで本を読んでいます。もし、答えが見つかったのなら、そのときに教えてくださいね。」
彼女の答えに、僕はとても嬉しくなった。
僕「はい。そうですね。来週にでも・・・。ところで、僕の名前は、佳山智樹(かやま ともき)と言います。もし宜しければ・・・。」
???「私は、上条です。上条一葉(かみじょう かずは)。上下(うえした)の上に、条件の条で上条、樋口一葉(ひぐち いちよう)の一葉(いちよう)で、一葉(かずは)と読みます。」
僕は、忘れないように、心の中で三回ほど彼女の名前を復唱した。
智樹「ありがとうございます。上条さん。それでは、また。」
一葉「ええ。さようなら。」
そう言葉を交わして、僕らは別れた。
こうして僕は彼女と知り合いになった。この出会いは、僕の人生に何か転機をもたらすことになる。そんな予感を少しだけ抱いた。
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