『日本式正道論』第二章 神道
- 2016/8/31
- 思想, 文化, 歴史
- seidou
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第一項 鈴木朖
鈴木朖(1764~1837)は、江戸時代後期の国学者です。本居宣長に入門しています。
『離屋学訓』では、〈道ハ一ツ也〉と述べられています。具体的には、〈是ヲ身ニ行フヲ徳行トシ、是ヲ口ニ述ルヲ言語トシ、是ヲ敷キ施シテ人ヲ治ルヲ政治トシ、是ヲ明ラメ知テ人ヲ教ルヲ文学トス〉と語られています。道を身に行うとは徳を行うことで、道を口にするのが言葉であり、道をもって人を治めるのを政治とし、道を明らかにして人に教えるのを文学とするのだとされています。
つまり、〈道トイフ名ノココロハ、俗ニイフ為方(シカタ)也〉ということで、道は物事の仕方なのだと語られています。そこで、〈凡テ、内外古今ノ道、皆ソノ道理ヲ以テ主トスル事ナガラ、ソノ道理ハ皆事実ノ中ニコモレリ。事実ヲ疎ニシテ、理ヲノミ好ム者ハ、其理必アヤマリアリ〉と述べられています。道には道理があり、その道理は事実の中にあるとされています。事実や現実をおろそかにして、理屈を好むだけでは誤りがあるというのです。
第二項 和泉真国
和泉真国(1765~1805)は、江戸時代後期の国学者です。本居宣長に師事しました。
和泉真国の『明道書』では、〈道といふ物は、天地に自然に有物にて、天の覆ふ所、地の載する所、人の生る所は、何れの国にても、必、自然に、其道は有物也〉とあります。道は天地自然にあるものとされ、どこの国でも自然と道は有るものだと語られています。そこで、〈天地の間、国として道路有らざる国はなく、人として人道あらざる人はなき也。此理をもて、万国とも、各其国には、必、自然に、其国に付たる道ある事をさとるべき也〉と説かれています。道路がない国がないように、人には人の道があるのであり、この理によって、すべての国に、自然と国ごとの道があるのだと語られています。
第三項 大国隆正
大国隆正(1792~1871)は、幕末・明治初期の国学者です。平田篤胤などから国学を学んでいます。
『本学挙要』においては、〈人の道は、天之御中主神の「中」よりおこりて、「ト」「ホ」「カミ」「エミ」「タメ」の「タメ」となり、わかれて「本による」「あひたすく」といふことばとなり、「本による」は、忠・孝・貞の本となり、「あひたすく」は、家職・産業の本となりて、本教のこころはとほるものになん〉と語られています。「ト」は人の立つところです。「ホ」は稲が穂となるところです。「カミ」は穂を噛むことで、消化器官の循環や食物連鎖を意味します。「エミ」は稲の種が笑割れ(熟して自然に割れ)て、芽を出すところです。「タメ」はためになることです。その穂は人の「ため」になり、その糞は稲の「ため」になるという言葉です。道はこれらの作用を持ち、忠・孝・貞の本となって家職・産業を助けるものだと語られています。
また、『学統辨論』では、〈皇統の長くつづき給ふわが国の国体を主張し、これをわが大道の基本〉とすると述べられています。天皇の皇統が長く続いていることが日本の国体であり大道の基本だと語られているのです。
第四項 宮負定雄
宮負定雄(1797~1858)は、平田篤胤の門人です。
『国益本論』では、〈国益の本は教道にあり〉とあります。国益は、道を教えることにあるのです。そこで、〈其道とは、人倫の所行、常に天地の鬼神に質して、聊も愧る事なく、専善行善心正直なるをいふなり〉と、道について述べられています。道とは人の倫理であり、鬼や神に少しも恥じるところはなく、善を行い、善を心懸け、正直であることだと語られています。
第五項 鈴木重胤
鈴木重胤(1812~1863)は、幕末期の国学者です。平田篤胤に書信にて入門しました。大国隆正にも親しく学んでいます。
『世継草』では、〈学びて此道を明かに為るを神習と云ひ、務て此道を行ふを神随と云ふ。此即、天下公民の道と為べき道なる者なり〉と述べられています。此道とは、神皇の大道です。道を明らかにするには神に習い、道を行うには神にしたがうのです。そうすれば、公民の道となると語られています。
第六項 長野義言
長野義言(1815~1862)は、江戸後期の国学者です。
『沢能根世利』では、〈儒仏両道をわが正道の枝葉とし給ふ事、貢献の具なればさもあるべし〉と語られ、吉田兼倶の三教枝葉果実説の影響が見られます。その影響下において、〈皇神の正道(ノリ)をおきて、他に幸ひもとむべからぬ和魂(ヤマトダマシヒ)だに定まれば、ものにまぎるる心もあらじ〉と述べられています。ここで正道を「ノリ」と読ませているのは、道に規範としての意味をもたせるためです。日本の規範において幸いを求めて、公共に仕える大和魂を定めれば心は穏やかに保たれると語られています。
そこで、〈勢ひに進むとしては、多く非道の行ひあり。又人によくいはれんとしては、しひてよわよわしく、道理にはづれたる行ひなどもあるなるは、政事を私ものにするにて、正道のならひにあらず〉と危機に対する警告が発せられます。時代が勢いにまかせて進むときは、非道の行いが多くなります。人に良く言われようと思うと、態度は弱々しくなり道理は外れて、政治は私心に墜ちます。これは正道にもとづく慣行ではないというのです。
また、道に適いつつ、時宜に適うことも述べられています。〈国政法則を以て行ふとも、神国の正道にあはずば又いかにかせん。唯その時々の法則は、その時々の規なれば、しわざは是にしたがひつつ、心は正道にとどめんことこそあらまほしけれ〉と語られています。国の政治は法則によって行いますが、それが正しい道に合わなければどうすればよいのでしょうか。ただ、その時々の法則は、その時々の規範なので、政策はこれに従いつつも、心は正道に留めることこそ重要だというのです。
第七項 桂誉重
桂誉重(1816~1871)は、江戸後期の国学者です。思想の特質は、荒廃する農村をいかに立て直すかという当時の村役人層の課題と結びついています。
『済世要略』では、〈道に叶へる行ひあるは何故ぞ。神より給はりし霊性を、まげずくねらさず固めし故也〉とあります。道に合った行いのために、神より授かった霊性に随うことが説かれています。
また、〈すべて奉仕、中正真情無二なるが、我国の大道〉とあり、奉仕を行うことが日本の道だと語られています。その際、根本となるのが〈夫婦真情の道を押及す事〉です。夫婦真情の道とは、産霊の道のことです。産霊とは、神道において天地万物を生成し発展させる霊的な働きのことです。
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