15歳が観る保守と憲法

憲法改正の時が来た

 現在、憲法改正論議が戦後、最も盛んと言われている。そのきっかけとなったのは、やはり安倍政権の誕生であろう。自由民主党と言えば結党以来、自主憲法制定を掲げてきた党であり、その党が護憲派左翼的な民主党から政権を奪還したのであれば、それは自然な流れと言える。
 とりわけ安倍晋三という政治家はかねてより自由民主党内の政治家でも憲法改正に熱心な政治家の一人に数えられてきた。我が国の保守派も安倍を支援、応援してきた。

 それはひとえに安倍の「戦後レジームからの脱却」という政治的理念に共鳴したからであろう。政治的意味における最大の戦後レジームとは即ち占領憲法、日本国憲法である。我が国の保守派の多くが現行憲法は紛いもの、外国製の憲法、占領基本法と批判してきた。こういった批判は紛れもない事実であり、私自身、大いにこの批判に賛同する立場である。しかし、一度考えて欲しい。保守派自身も占領憲法、戦後レジームの闇に取り込まれているのではないだろうか。昨今では現行憲法の平和主義に対する批判は以前より度々されるようになった。しかし国民主権、基本的人権の残りの日本国憲の原則に対する批判はないのではないだろうか。今回は日本を根本から破壊する国民主権、基本的人権の二つの思想を批判し、保守派が行うべき憲法論議について述べたいと思う。

国民主権の危険性

 大東亜戦争後、保守陣営は戦後体制の脱却を目標に掲げてきた。戦後体制とは何かと言われれば、様々なものが日本の発展を妨げる戦後体制と言えるが、最大の戦後の弊害は、民主主義礼賛と言えるだろう。民主主義は素晴らしい、民主主義は最高の体制、そんなことが小学校の教科書にまで記されている。私は昨年度、義務教育課程を修了し、今年度より高等学校に入学するが、社会科教科書や資料集、その他の副教材にも民主主義を肯定している。場合によっては民主主義の欠点を記しているが、それでも民主主義制度自体を人類最良の思想と捉えている。これほど、嘆かわしい事態はないのではないだろうか。

 多くの我が国の保守派は歴史における自虐史観、日教組教育に強く反対、抗議してきた。しかし民主主義とりわけ国民主権を礼賛する現行の義務教育には反対してこなかった。これは大きな過ちと言える。
国民主権は今や保守派の憲法草案でも当たり前のように記されている。先般、保守的軍事的と批判された自由民主党憲法草案においても我が国の基本的価値観として国民主権は明記されている。国民主権はそれほどまでに素晴らしい、左右両陣営からも礼賛される価値観であるとは全く私は思えない。

 まず国民主権という概念の成立から見ていきたい。国民主権という考えが初めて登場したのはフランス革命とされている。フランス革命とは説明する必要もないかもしれないが、当時のフランス王権に反対した一部の民衆が王権を打倒したとされる事件である。このフランス革命を痛烈に批判し、看破したのは近代保守主義の父、エドマンド・バークである。バークは自著の「フランス革命の省察」でフランス革命を無法と批判した。バークはフランス革命に伴って起きた殺戮などの犯罪行為の数々も批判したが、最も重きをおいて明確かつ徹底的に批判、論破したのはその理念である。それはなぜか、人間の理性は常に正しく、進歩は正義である。そういった人間の理性を全肯定し、通来の価値観や身分制度を極めて批判的に観るフランス革命主義者をバークは人間とは誤りやすくか弱い存在であり、ならば人間の理性などと言う不確かなものではなく、フランス革命主義者が毛嫌いする長年培われ、先人の知恵が詰まった倫理観や制度を重視するべきと考えたからである。このバークの書が以後、法と美徳を重視し、人間の理性の全肯定を否認する近代保守主義のバイブルとなった。

 保守主義者を自認するものにとっては敵とも言えるフランス革命、そんなフランス革命の集大成と言えるのがこの国民主権という考えである。
この歴史的経緯を観ただけでも国民主権に対して疑問を抱く保守派もいるのではないだろうか。そんな疑問を確信に変えるのが、その国民主権思想の中身である。
 国民主権とは読んで字のごとく国民が主権者であるということである。主権とはその国家の最高権力である。つまり我々国民はその国家、つまり日本国の存亡を託されているのである。しかしこれほど危険なことはない。国家とは現世代だけのものではない。数多の先人たちの血の滲むような努力と汗によって紡がれてきたものであり、我々の子や孫、ひ孫に受け継がれる存在である。にも関わらず、そのような国家を我々、生きている世代の人間のみが存亡を選択することができるであろうか。そのような思想自体に国民主権の根本にはフランス革命主義者の理性の全肯定、人間の理性とは万能であり間違いをしないという狂気の思想があると言わざるを得ない。

 もちろん、私は主権者が国民でないなら天皇やその他の第三者が良いなどと意見する気は毛頭ない。しかし、ならなぜ、我々は主権の保有者を憲法に明記する必要があるのだろうか。
現行憲法では天皇の地位、つまり国体さえも、国民主権の名の下に今生きている世代の多数決で変えてしまうことができるのである。我が国の秩序ある自由の空気や議会制度も国民主権は破壊できるのである。

 主権が国民にある以上、それを制限するものは何もない。法や憲法も主権者の一存で変更できる。誰にも止めることはできない国民という名の暴君の誕生である。
こんなことを言えば例が極端であると指摘されるかもしれないが、バークの主張のように人間は弱い存在である。いつ間違いをするかはわからない。一度壊した制度や価値観を復興、復活させるのは極めて難しいのだ。
 こんな思想を日本を護るべき保守派が憲法に明記する必要性を説くことに私は甚だ疑問に思う。

→ 次ページ「基本的人権と国民の権利」を読む

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西部邁

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コメント

  1. 先日、私の論考にコメントをくださった方ですね。15歳とは驚きました。よく勉強されていますね。これからもどうぞ研鑽を重ねて自前の政治思想、社会思想を深めてください。一つだけ先輩ぶって言わせていただくと、文体にやや過激な調子が見られるので、多くの人を説得するには、少々不利かな、と愚考します。でもそれもあなたの年齢なら当然ですよね。

    あなたのご意見には、大部分賛成ですが、特に現憲法に謳われた「国民主権」に対する批判、保守派でさえもこれを疑おうとしない情けなさの指摘については全面的に支持します。これを疑う人がいないのは、まさに戦後レジームにすっかりやられている証拠だと思います。自民党憲法草案、産経新聞憲法草案など、名だたる保守論客や憲法の専門家が作ったものに、この欠陥がよくあらわれています。

    ちなみに、自己宣伝になってしまって恐縮ですが、私もこの点について、昨年、旧著『なぜ人を殺してはいけないのか』(PHP文庫)の増補版のかたちで詳しく論じ、自分なりの「自主憲法草案」なるものを提示してみました。ご参考にしていただければ幸いです。なお、この元になった原稿は、拙ブログの以下のURLで閲覧することができます。

    http://blog.goo.ne.jp/kohamaitsuo/e/f923629999fb811556b5f43b44cdd155
    http://blog.goo.ne.jp/kohamaitsuo/e/2aff34e653f463326a618d7e7376983f

      • 岡部凜太郎
      • 2015年 4月 20日

      コメントありがとうございます。
      小浜先生に小論を読んでいただき光栄です。私としては保守もかなり戦後的であると常々思っており、そういった思いで本文を書きました。このことは小浜先生と共有できているのではないかと思います。
      文体については寄稿後、自分でも固すぎたと反省しています。次回作はもっと多くの人々に語りかけるような文章にしたいと思います。
      これからも言論活動を行っていきたいと思いますので、ご指導いただければ幸いです。

    • しきしま
    • 2015年 6月 23日

      基本的に賛同します。小浜氏も述べられている通り、現在は国民主権自体が無批判に受任されています。その一方で、投票率の低下など、明らかに主権者としての意識の低下があり、真に日本は国民主権国家たるべきかを今一度とうべきと思います。ただ、「定着した」民主主義に就いては、私も(二〇一五年現在では)最良の政体と考えています。と言うのも、
    一、民主主義は国民の政治参与が前提であり、国会も内閣も国民が選任した者であり、専制君主の様な敵が存在し得ない。
    二、国会議員などは民意に強く依存する為に、国民の望まない事を行い難い。故に不満が溜まりにくく、抑圧され難い。
    三、上記故に、定着した民主主義は現在最も体制維持に

    • しきしま
    • 2015年 6月 23日

      基本的に賛同します。殆どが自分の意見に合致していた為、前に私が書いたのかと錯覚する程違和感画ありませんでした(笑)。
     さて、小浜氏も述べられている通り、現在は国民主権自体が無批判に受任されています。その一方で、投票率の低下など、明らかに主権者としての意識の低下があり、真に日本は国民主権国家たるべきかを今一度問うべき段階が来たと思います。ただ、「定着した」民主主義に就いては、私も(二〇一五年現在では)最良の政体と考えています。と言うのも、
    一、民主主義は国民の政治参与が前提であり、国会も内閣も国民が選任した者であり、専制君主の様な分かり易い民衆の敵が存在し得ない。
    二、国会議員などは民意に強く依存する為に、国民の望まない事を行い難い。故に不満が溜まりにくく、また意見も抑圧され難い。
    三、上記故に、定着した民主主義は、現在最も安定した秩序と体制をもたらす。
    と、この様に考えているからです。ユビキタス社会の到来とビッグデータなどを活用したコンピュータが合わさる事で実質的に訪れるであろう管理社会を除けば、人間の創り出した政治体制の中では、最も実現難易度が高くかつ実現時の安定度が高い、民主主義とはその様な政体ではないのでしょうか。勿論、チャーチルが言ったように、民主主義は依然として他の政体を除けば最悪な分類に入ります。しかし、まだ民主主義は不完全な制度であり、その可塑性たるや、これからも発展の余地は充分にあるかと思います。

    • しきしま
    • 2015年 6月 23日

     失礼、ミスタッチで先の不完全なコメントをお送りしてしまったようです。申し訳ありません。

     それと、宜しければ私が作成した憲法案でも笑覧下さいな。私案はやや条数が多過ぎるきらいがあり、これからも見直しが必要なものと思っておりますが、私も貴方とほぼ同じ一九九八年生まれであり、恐らくは似た様な考えをお持ちかと思いますので、参考になれるならば、幸いです。

    http://shikishima4423.blogspot.jp/2014/07/blog-post.html

    • 岡部凜太郎
    • 2015年 6月 29日

    しきしまさま、コメントありがとうございます。
    私としても現状の民意に基づく政体を維持すべきと考えています。
    ただ、やはり民主主義で決めて良い部分と侵し難い部分を分けるべきと考えています。今の我が国では二院制が採用さています。それ自体には大いに賛同しますが、民意代表の院として衆議院が存在するのに、参議院まで民選制である現状は問題だと考えています。また民意を絶対善とする思潮も危険と言えるでしょう。デモクラシーを我が国の伝統と良識で規制する。これが私が考える民主主義(民本主義)です。

    憲法私案、拝読しました。実は私も憲法私案を作っていまして、内容が一致する部分が多く、驚いています。
    同世代で自分と似た考えを持っている方がおられるのは嬉しく思います。

    • しきしま
    • 2016年 3月 30日

     こちらのサイトはあまり読みませんから、完全に失念していましたが、ふと、思い出したので今更ながら投稿です。

     二院制であるにも関わらず、参議院が衆議院と似たような選出法をとっているのは私も問題と認識しています。憲法案では当初は貴族院で、英国を倣ったものでした。旧家の伝統を守るという意味もありましたが、現代の風潮にそぐわないことと、一君万民の観点から参議院に戻しました。可塑性の面もあり憲法案では簡素なもので、具体的な言及は無くなりましたが、地方の首長や議員、或いは完全な地方枠での選挙、また一定回数の首相経験者や一定年齢を過ぎた衆議院議員、大学教授への任命など、考えられるでしょう。首相経験者や一定年齢以上の衆議院議員の参議院任命は、参議院の若返り効果も期待できます。反対に参議院の監査機能の強化にも繋がるでしょう。
     民本主義については、国民を主権者から、観念たる国家に移し、公民という政治的存在を新たに創ることを提唱しています。国民と公民を分け、公民権とその義務を行う国民を公民とする訳です。これにより、まず国民は主権者でなくとも公民である限り、政治には参与できます。そして、重要なのは政治に対する義務感を高めることです。民本主義の擁護の為にも公民という意識は学校教育から叩き込むべきです。中学から徐々に始め、高校で本格的な公民教育を行うべきでしょう。公民は、十六歳以上の日本国民である。こう、法律で書かれるようになれば嬉しいものです。一方で、裁判所による公民権の剥奪なども刑罰に含む、或いは自主的な返納も可能な様にすべきです。公民権は行使しなければならないものであって、選挙をさぼれば罰金などを徴収したいですし、そもそも選挙に行く気がないもので投票数が変化すれば、公民としての義務を果たした者に不公平です。ただし、奪ってばかりではなく、公民権の回復もできるようにしたほうがよいです。人は変わるものですし、国民である以上は出来うる限り、公民にさせた方が民本主義の安定の為に望ましいですから。

     私が活発にコメントを投稿しているのはBLOGOSなのですが、岡部凛太郎氏と同じと思われるアカウントがありましたので、フォロー致しました。いまのところ、あまり活発では無いようですが、BLOGOSでの記事執筆や、様々な記事へのコメントなど、期待しております。

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