正しい言論はなぜ通らないのか―現代権力のしくみについて―

 言論人の端くれとして、日ごろ「どうしてなのだろう」と、とても悔しく感じていることがあります。それは、自分ではそれなりに勉強し、この問題についてはこう考えるのが正しいとどうしても思えるのに、また、いろいろな人の言論を読んで、この説は正しい、この説はおかしいとどうしても思えるのに、社会がその正しい方向に少しも向かわず、むしろおかしな方向にばかり向かっているように感じられることです。あるいは、いくら正しい説が繰り返し説かれていても、人々が聴く耳を持たず、山が少しも動かないことです。こういう印象が積み重なると、だんだん言論に対する絶望感が増してきて、えい、もう面倒だ、俺もいい年だし、たいして売れてもいないからそろそろ言論活動なんかやめちゃおうかとまで考えることも稀ではありません(目の黒いうちは絶対やめませんが)。

 こうした絶望感を打ち消してくれるのは、不撓不屈の精神をもって、いくら自説が思い通りにとおらなくても、飽くことなくめげることなく精力的に闘っている少数の優れた人たちの存在です。ここ近年の言論人で私が感心している人を二、三具体的に挙げてみると、政治経済のあらゆる分野にわたって鋭く本質を突いた議論をしている経済評論家の三橋貴明氏、国土強靭化とそのための財政出動の必要を説き、大阪都構想の有害さを徹底的に突いている京都大学教授の藤井聡氏、広い視野からグローバル社会のもたらす危機を一貫して唱えている評論家の中野剛志氏、主流派経済学の誤りを理論レベルで精密に指摘している東海大学講師の青木泰樹氏といったところでしょうか。他にも優れた人たちはもちろんたくさんいますが、とにかくこの人たちの存在は、たいへん励みになります。この人たちが絶望せずに旺盛に活動しているのを見ていると、自分も老骨に鞭打って頑張らなくてはと、臍を固める気になってしまうのです。

 ところで、この小文では、なぜ正論(と感じられる説)が、政治中枢やマスコミや知識人世界や世間一般に、その努力にふさわしい形で浸透していかないのかについて考えてみます。もちろん一定の浸透力があり、少しずつその成果が出ていることは認めますが、いかんせん、まだまだ少数派の域を出ていません。これは現代社会の権力のあり方を総合的に論じなくてはならない途方もない課題なのですが、ここではさしあたり、いくつかの仮説を提出するにとどめたいと思います。

 その前に、いま、世界と日本のさまざまな社会問題について、私自身が何を「正論」と考えているか、ごく簡単に列挙してみましょう。なぜそれらを正論と思うのか、その根拠に関しては、残念ながら本稿では展開する余地がありません。もしご関心のある方がいましたら、このASREADに掲載されているこれまでの拙稿、雑誌『正論』、『Voice』のバックナンバーおよび以下の拙ブログなどをご参照ください。
http://blog.goo.ne.jp/kohamaitsuo

A. 従軍慰安婦問題などは存在しないのに、国際社会、特に欧米がそれを認めないことは極めて不当である。また「南京大虐殺」はでっち上げである。わが国は韓国、中国、朝日新聞への批判だけにエネルギーを注ぐのではなく、広く欧米社会に向けて宣伝戦を展開すべきである。それが現状では十分になされていない。

B. 安倍政権の次の政策は誤りである。
 ・消費税増税
 ・景気回復策を金融緩和政策だけに丸投げし、公共投資を増やさないこと。
 ・外国人労働者受け入れ拡大策
 ・「すべての女性が輝く」政策
 ・電力自由化政策、固定価格買取制度(FIT)
 ・農協解体など、一連の規制緩和による成長戦略
 ・TPP交渉参加
 ・グローバル化への対応としての英語教育推進策

C. 反原発思想はエネルギー安全保障を考慮しない浅薄な思想であり、安全が確認された原発から速やかに再稼働すべきである。原子力規制委員会はこの進行を妨害している。

D. 「イスラム国」は単なるテロリスト集団ではなく、欧米型国民国家の押しつけを排して宗教国家の再興を目指しており、その勢力拡張を侮ることはできない。日本はこれに対して、安易に欧米の「対テロ戦略」に迎合すべきではない。

E. EUおよびユーロ圏は、その基本モデルにおいてすでに破綻しており、崩壊の道を歩みつつある。参加各国は不可能な理想にいつまでも拘泥せず、むしろその崩壊を早めて政治的経済的主権を回復した方がよい。

F. ロシアのクリミア併合およびウクライナ紛争には当該地域におけるそれなりの歴史的いきさつと現実的事情があり、これを単に「力による現状変更」として一概に否定すべきではない。したがって日本は、アメリカの尻馬に乗って経済制裁をただ続けるだけではなく、新たな対ロシア外交のあり方を真剣に模索すべきである。

G. 日本は対米従属根性から速やかに脱し、自立的な政策立案、自主防衛、自主外交、自主憲法への道を進むべきである。ただし、それはアメリカとの同盟関係を断つということを意味せず、集団的自衛権の確立などの協調路線と同時並行的に進めなくてはならない。自主独立と国際協調とは車の両輪であって、何ら矛盾しない。

 まだありますが、おおよそこんなところです。

 さて本題ですが、これらが正論であるという前提の下で(その前提は間違いだとお考えの方、コメントをお寄せください)、なぜこうした正論が、なかなか浸透しないのか。

→ 次ページを読む

固定ページ:

1

2 3

西部邁

関連記事

コメント

    • 岡部凜太郎
    • 2015年 4月 04日

    私は小浜先生の多くの論説を支持する立場であり、この記事も共感する部分が多いですが、一つ疑問があるのでコメントいたします。
    ISやイスラム国と呼ばれるテロ組織について、小浜先生は、欧米のテロ戦略に安易に迎合すべきでないと仰っていますが、これは欧米の反ISという考えではなく、ある種の友好関係を築くべきという考えなのでしょうか。
    友好関係は言いすぎたとしても、あまりこの問題に深入りするなということなのでしょうか。
    仮にそうならば、私としては反論したいと思います。
    確かに欧米諸国の今までの中東地域に対する対応というものは、非人道的と言わざるをえないというものも多かったです。現在も欧米流の世俗主義を押し付けている感はあります。しかし、だからと言ってISに正義は絶対、一片たりとも無いと思います。彼らは自らの聖戦の前に多くの同胞を殺害し、強姦しています。それを彼らはある種の正当化までしている始末です。自分たちの正義の為に多くの同胞を殺害したのは、スターリン率いるソビエトと同じです。それに対して欧米諸国が危機感を持つのは当然と言えます。20世紀の共産主義と同じく、病原菌のようにISが掲げる正義が世界に広がるかもしれないからです。もし日本にISが掲げる思想が流入すれば、神道や仏教の伝統的価値観は全否定され、万世一系の天皇や皇室も一瞬にしてなくなるでしょう。日本人はヤジディ教徒同じく、女は強姦され、男は殺害され、子供は奴隷として生きることになるでしょう。イスラム教が圧倒的少数派の日本でそのような自体は起こり得ないと言う人もいるかもしれませんが、北海道大学学生のIS参加事件があったように未知な若者が1960年代の学生運動のようにイスラム過激主義を広めることも十分、可能性としてはあるでしょう。そういった地獄を日本でおこさないためにも私は日本が積極的にIS討伐に参加し、ISを殲滅すべきと考えています。

    • 旅丘
    • 2015年 4月 05日

    私は、小浜先生と非常に近い問題意識を持っていると(勝手に)思っていますが、少し疑問に感じた点もあります。
    シンクタンクを作るのは多いに結構ですが、どうすればそのシンクタンクが既存の腐った言論機関や利益団体みたいにならずに済むのでしょうか?
    正しいかどうかは私にも分かりませんが、私の案としては、全国民から抽選で選ぶのがいいのでは、と思います。
    少なくとも、権力争いで選ばれた政治家よりはマトモな人が集まると思いますし、「次の選挙」がないから変な団体に取り込まれることも少ないのではないでしょうか。

  1. コメントをくださったお二人にこれからお答えしますが、まことに勝手ながら、お答えは今回一回限りにさせていただきます。よく延々と応酬を続けている例を目にしますが、残念ながら、だんだんお互いの言葉じりをとらえたただの消耗戦になっていくことがたいへん多いようですので。どうぞ悪しからずご了承ください。

    ●岡部凛太郎さんへ

    コメント、ありがとうございます。

    この問題は、じつはとても複雑にして微妙で、確定的な判断をためらわせるところがあります。私からのお答えとしては、ご指摘の二つの点、日本は友好的関係を結ぶべきだというのでも、深入りするなというのでもなく、現時点では、まさに字義どおりに、「欧米の対テロ戦略の動きに安易に迎合すべきではない」と言いうるのみで、言論としてはそれ以上の判断を下すのは控えた方がよいということになります。

    理由をなるべく簡潔に述べるために、箇条書きにします。

    ①私たち日本人のほとんどは、イスラム文化圏の独特な性格、また現在、中東および北アフリカ地域で起きていることの実態をよく知らない。よく知らないことについて、早急に支配的な流れに乗って旗幟鮮明にすることは避けた方がよい。
    ②この地域における混乱と不安定の主たる要因は、近くはアメリカの政治的・軍事的介入による、いわゆる「アラブの春」の失敗にあり、さらにさかのぼればそれは、イギリスとフランスの帝国主義的な植民地支配という歴史的事情にもとづいている。
    ③またさらにさかのぼれば、キリスト教徒、イスラム教徒、ユダヤ教徒の三つ巴になった近親憎悪的な確執の歴史が根深く絡んでいる。欧米の対イスラム・テロ戦略には、この複雑な宗教的葛藤の感情が大きな役割を果たしている。
    ④したがって、そうした歴史を共有しない日本にとっては、「どちらの味方につくか」という性急な問いの立て方自体が、軽率さを免れない。もし私たちが、「西側自由主義諸国」という枠組みだけをテコにして、この戦略に思想的に同調するならば、欧米諸国が経てきた凄惨な歴史をそのまま引き受ける覚悟を持たなくてはならない。
    ⑤「テロを絶対に許すな」というスローガンを掲げる欧米の対テロ戦略には、自分たちが切実に感じてきた被害と脅威に対する報復と防衛の意図が秘められており、そこには同時に、自分たちがなしてきたこと(たとえば中東支配やムスリム差別やアジア植民地支配や日本に対する原爆投下)から人々の目をそらさせる作用がはたらいている。したがって、このスローガンを、「普遍的な正義」として簡単に承認するわけにはいかない。
    ⑥「イスラム国」またはISが与えている「残虐さ」のイメージや「異教徒の奴隷化」のメッセージは、欧米社会がかつて盛んに行ってきたことであり、また、戦争状態においてはつきものの事態である。したがって、その部分の情報だけをよりどころに、正義か不正義かの道徳的判断によって態度決定をしても、あまり意味がない。
    ⑦今世紀におけるイスラム・テロの頻発には、経済的な格差に対する怨嗟も深く絡んでおり、そこには、繁栄した欧米先進諸国のイデオロギーであるグローバリズムがもらたした必然的な結果とみなせる部分がある。この経済的な世界矛盾に目を据えずに、ただ抽象的な命題としての「テロ撲滅」を謳うことは、私たちの視野をかえって狭くしてしまう。
    ⑧だからといって、日本もグローバル世界に生きているかぎりテロの脅威(もっと広げれば戦争の脅威)から無縁ではありえず、したがって、現実的な脅威に対しては、国家としての安全保障体制をしっかり固めるべきである。その限りで協調できるところとはうまく協調していくべきであろう。

    だいたい以上です。日本は何ができるか。ぎりぎりのところで言えるのは、友好でも知らん顔でもなく、国益を第一に考えつつ、調停的外交という戦略的な立場をいかにして作り上げるかがこれからの課題だということです。もちろん口でこんなことを言うのは簡単ですが、これとて、たいへん難しい課題だということは心得ておかなくてはなりません。いずれにしても、「イスラム国」はただのテロ集団ではなく、ある歴史的・宗教的・社会的な必然の下に立ち上がった新興勢力であり、またこの流れは、たとえ一地域共同体としての「イスラム国」一つを滅ぼしても、今後、世界のあちこちに拡散していくことはまず確実だろうと思われます。失礼ながら、単純な正義感から「殲滅」などという言葉をお使いにならないほうがいいと思います。

    ●旅丘さんへ

    コメント、ありがとうございます。

    中央シンクタンクが、またもや利権にまみれてしまう、というのは、たしかに大いにあり得ることですね。そのチェック機構や規制する法律がまた必要になり、それを作っても有効に機能するかどうかも疑わしい。これは不完全存在としての人間のどうしようもないところで、イタチごっこを続けるしかないのではないでしょうか。

    その問題もさることながら、私自身がこんなアイデアを出しておきながら気になっているのは、いったいどういう手続きによってこういう組織を作り上げ、何によって権威ある機関たらしめるのかという問題です。メンバーの候補を誰がどうやって絞り出すのか、その資格要件は何か。長期間にわたって実質的な権威を保障するにはどうすればいいか。たとえばいまのアカデミズムにこれを期待するのはどうも無理なようです。東大教授の経済学者なども、とんでもないことを言っている人が何人もいますから。政治家も、与党野党ともに、わかっていない人がじつに多いですね。というわけで、まことに悩ましい問題で、言ってはみたものの、うまい答えが見つかりません。ただ必要性を強く感じるのみです。

    抽選というアイデアですが、これは何の資格要件も付さずに一般国民から選ぶというご提案だとすれば、私は反対です。人間の洞察力、思考力、表現力、視野の広さ、徳性には、人によって月とスッポンほどの差があるからです。まず、きわめてすぐれた少数者が権力を握るにはどうすればよいかから考えていかなくてはなりません。

      • 岡部凜太郎
      • 2015年 4月 08日

      返答ありがとうございました。
      正義、悪という二元論的な対立の価値観に終始していたことに気づかされました。
      これからイスラムと欧米について私なりにて勉強したいと思います。
      これから活動頑張って下さい。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

  1. 2014-10-20

    主流派経済学と「不都合な現実」

     現実にあるものを無いと言ったり、黒を白と言い張る人は世間から疎まれる存在です。しかし、その人に権力…

おすすめ記事

  1. SPECIAL TRAILERS 佐藤健志氏の新刊『愛国のパラドックス 「右か左か」の時代は…
  2.  アメリカの覇権後退とともに、国際社会はいま多極化し、互いが互いを牽制し、あるいはにらみ合うやくざの…
  3. ※この記事は月刊WiLL 2016年1月号に掲載されています。他の記事も読むにはコチラ 「鬼女…
  4. 多様性(ダイバーシティ)というのが、大学教育を語る上で重要なキーワードになりつつあります。 「…
  5.  経済政策を理解するためには、その土台である経済理論を知る必要があります。需要重視の経済学であるケイ…
WordPressテーマ「SWEETY (tcd029)」

WordPressテーマ「INNOVATE HACK (tcd025)」

LogoMarche

TCDテーマ一覧

イケてるシゴト!?

ページ上部へ戻る