正しい言論はなぜ通らないのか―現代権力のしくみについて―
- 2015/4/3
- 社会
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まず簡単な回答を以下にいくつか考えてみます。これらのうちいくつかは、周囲の人たちにこの質問をしてみた時のものも含まれています。
①言論の声と力がまだまだ小さくて不足している。
②言論者が現実的な権力を手にしていない。
③政府関係者、マスコミ、知識人がバカである。
④これらを下から支える国民がバカである。
⑤正論を認めると、知識人やエコノミストやマスコミのプライドが崩れる。
⑥正論を認めると、権力者、関係者の既定路線を改めなくてはならず、その組織内での出世も妨げられる。
⑦政府、マスコミなどの主流の動きには、すべて権力者、関係者、財界などの利権がからんでいる。
⑧日本人は長期的な戦略思考が苦手で、いつも周りを伺いながら、事なかれ主義的な対応しかしない。
これらのうち、①と②はその通りというほかなく、言論人の今後の努力にかかっていると言ってよいでしょう。ことに戦後日本は、政策実現型、実践型の専門家・知識人の力が衰え、学者は象牙の塔の中でオタク的な研究に明け暮れるか、サヨク的な反権力思想に安住している人か、どちらかが多く(いまも多いですね)、政治家はそれらをまともに相手にしてこなかったという分裂状況が認められます。この点についてはアメリカ(かつての?)を見習うべきでしょう。言論も、時と所を得れば立派な「権力」なのですから。
③と④とは連動している話ですが、それぞれ当たっているとしても、その「バカ」であることの背景事情が異なると考えられます。③の場合は、重い公共的責任のある立場なのに、そこに視野狭窄がはびこっているとすれば、許されないことです。実際、各省庁の縦割り行政によるタコツボ型の官僚システム、深く総合的にものを見る健全なマスコミの不在、まともに勉強もせずにひたすら抽象的な反権力志向に身を寄せていれば知的優位が保てると高を括って、バカな社会的発言を繰り返す知識人、などの問題は、いまに始まったことではありません。
たとえば、朝日新聞、日本経済新聞などは、きわめて危険性と不透明性の高い中国主導のAIIB(アジアインフラ投資銀行)の勧誘に、諸外国が参加したというだけの理由で、またぞろ「バスに乗り遅れるな」の論理を展開しています。関係者がこれに動かされないかどうか心配です。
これに対して、④の場合は、ある程度あきらめるしかないと私は思っています。というのは、一般民衆は、自分たちの私的な生活関心に日々の時間を奪われ、上に挙げた議論のことなどふだんほとんど考えてはいないからです。ただ、まったく望みを託さないでいいかといえばそうではなく、民度を上げるためには、それぞれの国民に、自分の生活に直結しない公共的な問題についてもう少し持続的に、しっかりと考えてもらいたいと思います。なぜなら、現代のような大衆民主主義社会では、そうした人たちの動向が日本の針路に決定的な影響力を持つからです。そのためにもマスコミの情報や知識人の発言を鵜呑みにしない態度を身につけてもらうことが必要です。
⑤と⑥ですが、これも連動していますね。この二つは、関係者の心理にかかわりを持っていますから、なかなか実証するのが難しいのですが、実際に以前書いたこと、言ったことが現実によって裏切られていることが一目瞭然なのに、平然として責任を取ろうとしない人士が多すぎます。
たとえば、黒田日銀総裁や岩田副総裁は、2年前に「2年間で2%の物価上昇を実現する」と宣言しました。まったくそれが実現していないことはすでに明々白々ですね。それなのに何の責任も取ろうとせず、いまだに「長期的には緩やかな回復基調にある」「物価が上昇しないのは原油安のせいだ」などと見え透いた「大本営発表」をやっております。何と意地っ張りなのでしょうか。もっともこれは、日銀だけの責任ではなく、政府主導でできるはずの大規模な財政政策(公共投資など)をなんら打とうとしない安倍政権全体の問題でもあるのですが。
⑥は、特に官僚の組織体質として言えることです。財務省の財政均衡論に基づく緊縮政策は、こんなに不況が続いているのにどうして改められないのでしょうか。高給を取って霞が関の密室で机上の計算に終始しているので、平均的な国民生活の実態が感覚としてつかめないのでしょう。でも少し目を外に向けて、いや、外に向けなくても実質賃金の低下や投資・消費の停滞などの数字を心に留めるだけでも、既定路線ではまずいと気付くはずなのに。ここらあたりに、公共精神を喪失した彼ら高級官僚の最大の問題がありそうです。
⑦ですが、これはよくあるたぐいの臆説ですね。もちろん、そういう可能性は十分に考えられますが、私自身は、あまりこういう判断の仕方をしないほうがいいと思っています。なぜかというと、利権による結びつきによって間違った議論や政策がまかり通ってしまうという事実は、いつでもどんな場合にも起こりうることですから、特に上に挙げたような事項に特定されず、ゆえに一つ一つの事項についてのまともな議論の余地をかえってなくしてしまいます。
つまりそうした判断は、本当にそういう事実が実証されるのでない限り、「どうせそうに決まっているさ」という形でこちらから引いてしまう結果になるのですね。それは、エゴイズム的な人間観だけに基づくニヒリズムであり、どんな正論を言っても無駄という話に落ち着くので、一種の自主的な思考停止でしょう。
最後に⑧ですが、この種のネガティブな国民性論は、かなり当たっています。しかしすべての事項に該当するわけではありません。たとえば、TPP交渉参加や外国人労働者政策は、新自由主義的な方針をいいことだと本気で信じているグループによるものですし、TPPの場合には、日本の安全保障の一端をアメリカに担ってもらう見返りに交渉参加を承諾したという計算が一応は認められます(これは間違った判断なのですが)。さらに、原子力規制委員会の再稼働妨害は、オタク科学者たちに主導された過剰な信念に基づく視野狭窄の結果です。事なかれなのではなく、むしろ事(トラブル)起こしと言ってよいでしょう。
コメント
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私は小浜先生の多くの論説を支持する立場であり、この記事も共感する部分が多いですが、一つ疑問があるのでコメントいたします。
ISやイスラム国と呼ばれるテロ組織について、小浜先生は、欧米のテロ戦略に安易に迎合すべきでないと仰っていますが、これは欧米の反ISという考えではなく、ある種の友好関係を築くべきという考えなのでしょうか。
友好関係は言いすぎたとしても、あまりこの問題に深入りするなということなのでしょうか。
仮にそうならば、私としては反論したいと思います。
確かに欧米諸国の今までの中東地域に対する対応というものは、非人道的と言わざるをえないというものも多かったです。現在も欧米流の世俗主義を押し付けている感はあります。しかし、だからと言ってISに正義は絶対、一片たりとも無いと思います。彼らは自らの聖戦の前に多くの同胞を殺害し、強姦しています。それを彼らはある種の正当化までしている始末です。自分たちの正義の為に多くの同胞を殺害したのは、スターリン率いるソビエトと同じです。それに対して欧米諸国が危機感を持つのは当然と言えます。20世紀の共産主義と同じく、病原菌のようにISが掲げる正義が世界に広がるかもしれないからです。もし日本にISが掲げる思想が流入すれば、神道や仏教の伝統的価値観は全否定され、万世一系の天皇や皇室も一瞬にしてなくなるでしょう。日本人はヤジディ教徒同じく、女は強姦され、男は殺害され、子供は奴隷として生きることになるでしょう。イスラム教が圧倒的少数派の日本でそのような自体は起こり得ないと言う人もいるかもしれませんが、北海道大学学生のIS参加事件があったように未知な若者が1960年代の学生運動のようにイスラム過激主義を広めることも十分、可能性としてはあるでしょう。そういった地獄を日本でおこさないためにも私は日本が積極的にIS討伐に参加し、ISを殲滅すべきと考えています。
私は、小浜先生と非常に近い問題意識を持っていると(勝手に)思っていますが、少し疑問に感じた点もあります。
シンクタンクを作るのは多いに結構ですが、どうすればそのシンクタンクが既存の腐った言論機関や利益団体みたいにならずに済むのでしょうか?
正しいかどうかは私にも分かりませんが、私の案としては、全国民から抽選で選ぶのがいいのでは、と思います。
少なくとも、権力争いで選ばれた政治家よりはマトモな人が集まると思いますし、「次の選挙」がないから変な団体に取り込まれることも少ないのではないでしょうか。
コメントをくださったお二人にこれからお答えしますが、まことに勝手ながら、お答えは今回一回限りにさせていただきます。よく延々と応酬を続けている例を目にしますが、残念ながら、だんだんお互いの言葉じりをとらえたただの消耗戦になっていくことがたいへん多いようですので。どうぞ悪しからずご了承ください。
●岡部凛太郎さんへ
コメント、ありがとうございます。
この問題は、じつはとても複雑にして微妙で、確定的な判断をためらわせるところがあります。私からのお答えとしては、ご指摘の二つの点、日本は友好的関係を結ぶべきだというのでも、深入りするなというのでもなく、現時点では、まさに字義どおりに、「欧米の対テロ戦略の動きに安易に迎合すべきではない」と言いうるのみで、言論としてはそれ以上の判断を下すのは控えた方がよいということになります。
理由をなるべく簡潔に述べるために、箇条書きにします。
①私たち日本人のほとんどは、イスラム文化圏の独特な性格、また現在、中東および北アフリカ地域で起きていることの実態をよく知らない。よく知らないことについて、早急に支配的な流れに乗って旗幟鮮明にすることは避けた方がよい。
②この地域における混乱と不安定の主たる要因は、近くはアメリカの政治的・軍事的介入による、いわゆる「アラブの春」の失敗にあり、さらにさかのぼればそれは、イギリスとフランスの帝国主義的な植民地支配という歴史的事情にもとづいている。
③またさらにさかのぼれば、キリスト教徒、イスラム教徒、ユダヤ教徒の三つ巴になった近親憎悪的な確執の歴史が根深く絡んでいる。欧米の対イスラム・テロ戦略には、この複雑な宗教的葛藤の感情が大きな役割を果たしている。
④したがって、そうした歴史を共有しない日本にとっては、「どちらの味方につくか」という性急な問いの立て方自体が、軽率さを免れない。もし私たちが、「西側自由主義諸国」という枠組みだけをテコにして、この戦略に思想的に同調するならば、欧米諸国が経てきた凄惨な歴史をそのまま引き受ける覚悟を持たなくてはならない。
⑤「テロを絶対に許すな」というスローガンを掲げる欧米の対テロ戦略には、自分たちが切実に感じてきた被害と脅威に対する報復と防衛の意図が秘められており、そこには同時に、自分たちがなしてきたこと(たとえば中東支配やムスリム差別やアジア植民地支配や日本に対する原爆投下)から人々の目をそらさせる作用がはたらいている。したがって、このスローガンを、「普遍的な正義」として簡単に承認するわけにはいかない。
⑥「イスラム国」またはISが与えている「残虐さ」のイメージや「異教徒の奴隷化」のメッセージは、欧米社会がかつて盛んに行ってきたことであり、また、戦争状態においてはつきものの事態である。したがって、その部分の情報だけをよりどころに、正義か不正義かの道徳的判断によって態度決定をしても、あまり意味がない。
⑦今世紀におけるイスラム・テロの頻発には、経済的な格差に対する怨嗟も深く絡んでおり、そこには、繁栄した欧米先進諸国のイデオロギーであるグローバリズムがもらたした必然的な結果とみなせる部分がある。この経済的な世界矛盾に目を据えずに、ただ抽象的な命題としての「テロ撲滅」を謳うことは、私たちの視野をかえって狭くしてしまう。
⑧だからといって、日本もグローバル世界に生きているかぎりテロの脅威(もっと広げれば戦争の脅威)から無縁ではありえず、したがって、現実的な脅威に対しては、国家としての安全保障体制をしっかり固めるべきである。その限りで協調できるところとはうまく協調していくべきであろう。
だいたい以上です。日本は何ができるか。ぎりぎりのところで言えるのは、友好でも知らん顔でもなく、国益を第一に考えつつ、調停的外交という戦略的な立場をいかにして作り上げるかがこれからの課題だということです。もちろん口でこんなことを言うのは簡単ですが、これとて、たいへん難しい課題だということは心得ておかなくてはなりません。いずれにしても、「イスラム国」はただのテロ集団ではなく、ある歴史的・宗教的・社会的な必然の下に立ち上がった新興勢力であり、またこの流れは、たとえ一地域共同体としての「イスラム国」一つを滅ぼしても、今後、世界のあちこちに拡散していくことはまず確実だろうと思われます。失礼ながら、単純な正義感から「殲滅」などという言葉をお使いにならないほうがいいと思います。
●旅丘さんへ
コメント、ありがとうございます。
中央シンクタンクが、またもや利権にまみれてしまう、というのは、たしかに大いにあり得ることですね。そのチェック機構や規制する法律がまた必要になり、それを作っても有効に機能するかどうかも疑わしい。これは不完全存在としての人間のどうしようもないところで、イタチごっこを続けるしかないのではないでしょうか。
その問題もさることながら、私自身がこんなアイデアを出しておきながら気になっているのは、いったいどういう手続きによってこういう組織を作り上げ、何によって権威ある機関たらしめるのかという問題です。メンバーの候補を誰がどうやって絞り出すのか、その資格要件は何か。長期間にわたって実質的な権威を保障するにはどうすればいいか。たとえばいまのアカデミズムにこれを期待するのはどうも無理なようです。東大教授の経済学者なども、とんでもないことを言っている人が何人もいますから。政治家も、与党野党ともに、わかっていない人がじつに多いですね。というわけで、まことに悩ましい問題で、言ってはみたものの、うまい答えが見つかりません。ただ必要性を強く感じるのみです。
抽選というアイデアですが、これは何の資格要件も付さずに一般国民から選ぶというご提案だとすれば、私は反対です。人間の洞察力、思考力、表現力、視野の広さ、徳性には、人によって月とスッポンほどの差があるからです。まず、きわめてすぐれた少数者が権力を握るにはどうすればよいかから考えていかなくてはなりません。
返答ありがとうございました。
正義、悪という二元論的な対立の価値観に終始していたことに気づかされました。
これからイスラムと欧米について私なりにて勉強したいと思います。
これから活動頑張って下さい。