過去に何度か取り上げさせていただきました、藤井聡さんと先崎彰容さんとの対談の中で、藤井聡さんは
「世の中は、嫉妬と金が欲しいという感情が入り混じることで、めちゃくちゃなものになる」
ということを述べていましたが、一体、これはどういう意味なのでしょうか。
「嫉妬」は古今東西 根深い問題を引き起こしてきた
すでに、これまで「金が欲しいという感情」を拝金主義、金銭至上主義的価値観と呼び、様々な角度から批判してきましたので、今回は特に嫉妬という感情の問題について考えてみたいと思います。
聖徳太子は、かの有名な十七条憲法の第十四条で「嫉妬することなかれ」と述べています。つまり嫉妬という感情は現代社会のみならず、どうやら古くから非常に根深い問題を引き起こしてきたようです。
では、なぜ嫉妬という感情は過去から現在にわたって様々な悪影響を及ぼしてきたのでしょうか。その理由の一つには嫉妬は隠蔽されやすいという問題があります。
フランス人の精神科医であるマリー=フランス イルゴイエンヌが職場でのモラルハラスメントの問題について書いた著書『モラル・ハラスメントが人も会社もダメにする』で、著者は嫉妬という感情についてこのように説明しています。
羨望とは相手と自分を比較したり、ライバル関係にあったりする人間のあいだに否応なく生まれる自然な感情である。この感情は人を醜く争わせ、その結果、組織に対して計りしれない損害を与える。だが、経済学など社会科学の分野では、この感情があたかも存在しないかのように無視されてきた。また、個人のレベルで見ても、この感情は堂々と口に出せるようなものではない。たとえば、ほかの人に対して―あるいは自分自身に対して、「あの男はおれより頭が良い(ハンサムだ。金持ちだ。人に好かれているように思える)。だから、気にくわない。」などと言うことができるだろうか?もちろん、できない。
また、ニーチェも『善悪の彼岸』の中でこのように述べています。
「私には気に入らない」―何故にか。―「私は彼に匹敵できないからだ。」―かつてそう答えた人間があろうか。
もちろん、特定の感情が隠蔽されているからといって、それだけの理由で重大な問題を引き起こすわけではありません。むしろ、ある程度の感情の隠蔽は時と場合によっては美徳であり、誰かが嫉妬を抱くたびに、腹が立って罵声を浴びせたり、突然殴りかかってくるようでは社会は成り立たないでしょう。
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