シールズデモって、実際のところどうなのよ?
評論家の古谷経衡氏が、『若者のデモはメディアの消耗品』と題するコラムをWillに寄稿していました。私の記事『シールズデモに参加したら、いきなりチンピラ6人に取り囲まれて、相手のケータイを触っただけで暴行罪で逮捕された男の話(前編)』でも書きましたが、私もシールズのデモに2回ほど直接現場へ行ってその様子を観察しています(そして、そのうちの一回はちょっとした事件の当事者となりました)。その上で、この古谷氏の主張には半分賛成、半分反対といったところです。以下、古谷氏のコラムの内容を解説しながら、私の考えを示していきたいと思います。
シールズデモの本質は若者と若者を囲む中高年の会?
重要なのは、主催者である「SEALDs」はたしかに若いが、その周りをぐるりと取り囲む聴衆は「SEALDs」とは明らかに異なっている、という点だ。
「SEALDs」の抗議集会に集まっている主力は、明らかに四十代以上の中高年である。
「SEALDsの抗議集会に一万人が参加した」という報道は「SEALDsの抗議集会にSEALDsと同じような年齢の若者一万人が参加した」という印象を与えるが、これは全く事実ではない。「SEALDsの抗議集会を中高年一万人が見物した」というのが正解だ。
(引用)
この点に関しては、全くその通りであると同意します。ネトウヨブームの最盛期には、「右傾化する若者たち」などという言葉も流行しましたが、すでにネトウヨブームのきっかけを作った小林よしのり氏の『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』が出版されたのもすでに18年前・・・当時20代の若者だった学生たちもすでにアラフォーの域に達しており、すでにネトウヨブームに沸いた世代は社会人としてのキャリアを重ね、再び学生の圧倒的多数派は政治的無関心層に戻っています(もっとも、ネトウヨブームといわれていた時期であってもやはり学生の多数派は政治的無関心層であったとは思いますが)。
そんな状況で、「国会前に数千人もの若者が大挙して反戦平和と政権批判を叫ぶ!!」なんことにはなるハズもなく、主催者である学生団体シールズとその関係者、その他冷やかしや野次馬も含めたちょっと関心を持ったという程度の学生が何人もしくは何十人か集まり、その周りを大勢の(とは言っても、主催者発表の何分の一あるいは何十分の一くらいの)中高年が取り囲んでいるというのが実態です。「(学生団体である)SEALDsの抗議集会に一万人が参加した」と発表し、可愛い女子大生や、壇上から必死に反戦平和を訴える若者の姿を大々的に取り上げれば、あたかも学生の中に反戦平和を求める気運や、政治的意識の高まりが起こりつつあるかのように感じ、学生運動などを体験した世代などはある種のロマンすら掻き立てられるのかもしれませんが、現実には、「数十人の学生と、数百人の中高年が国会前に集まり抗議活動をしていました」という、まあせいぜい「ふーん、そうなんだ・・・」程度の関心しかひかないような光景があるだけです(ただ、休日開催のデモではもっと大勢の人が集まっていたようですが)。
どこかシュールなシールズデモの光景
それで、まあ、数十人の若者と、数百人の中高年が国会前に集まって何をやっているのかというと、数百人の中高年の人々が取り囲む壇上で、若い学生がまともに韻も踏んでないヘタクソな反戦ラップを披露したり、安保法制や憲法に関する基本的な知識すら欠如している学生の拙いスピーチを聞いて、まばらな拍手をしているワケです。
反戦平和を訴えるプラカードを掲げる中高年のおばさま達を前に、ヘタクソなラップを必死で披露する姿は何とも言えないものがあります。
1
2コメント
この記事へのトラックバックはありません。
この記事へのコメントはありません。